祖母のいた街の匂い
小さなベランダに出られる窓の向こうを指差して、「高速道路ができちゃってねぇ……」と小さく座った祖母が言った。ビルとビルの間を見上げれば、首都高速道の橋桁に縁取られた青い空が縮こまっていた。
それはもう、何十年も前の、わたしが小さな子供の頃の思い出だけど、7人兄弟の末っ子であるわたしの母の母は高齢で、友達の誰のおばあちゃんよりも「おばあちゃん」だった。
「高速道路ができちゃってねぇ」という祖母のことばに、わたしはなんだか申し訳ないような気持ちがしたのを覚えている。高速道路はこれからを生きる自分たちのものであって、祖母にはもう必要がない。そんな無機質なもので、祖母が見上げる空は覆われていた。
父方と母方、どちらの家も都内だったから、何の予告もなく(というのは子供のわたしにとってそう思えただけのことかもしれないけれど)ひょいと連れていかれる事がよくあった。
「おばあちゃんちに行くよ」と言われて母と電車に乗る。祖父は両方ともわたしが生まれる前に亡くなってしまっていたから、両親の実家といえば「おばあちゃんち」だった。どちらのおばあちゃんちに行くのか、母は言ったかもしれないけれど、わたしには分からなくて、分からないけれど尋ねることもせずに黙って電車に揺られた。
電車に乗るとすぐに眠ってしまう子供だったわたしは、地下鉄を降りたときにはいつもぼーっとしていた。それでも、どちらの祖母の街なのかは、駅を出ればじきに分かった。
川に丸太がゴロゴロ浮いていて、店先に材木が立ち並ぶ、木の匂い溢れる町だったら、母方の祖母の家。輪転機の規則正しい音の響く通りを歩き、紙の匂いがしたら父方の祖母の家が近い印だった。
高速道路ができたのは、材木の匂いのする母方の祖母の街の方だった。
大人になったわたしは、匂いではなく文字や記憶を辿って町を行く。今では、材木の香りなんて全く見つけることができないし、高速に乗れば、その下に祖母の家があるのを思い出す間もなく走り抜けてしまう。
父方の祖母の街にしても、もう輪転機の音も紙の匂いにも気づけない。その印刷工場が今でもあるのかどうかも知らない。
どちらの祖母も亡くなって二十数年。
懐かしさで辿り着きたくても、二度と同じ場所には逢えない。代替わりしてからは訪ねることも無くなっていたけれど、もう、伯父も伯母もいない。