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憂いとは可能性ー日向坂46、遂に四期生がベールを脱ぐ瞬間


昨日も書いた「月と星が踊るmidnight」に

憂いとは可能性

という歌詞があり、これがなかなかキャッチーなフレーズで、メンバーも結構言及していたりする。

たとえマイナスに見える事象でも、見方によったらプラスにも見えるんだよ、或いは、マイナスな思いがあったとしても、それは将来に生きることもあるんだよ、と。

日向坂に限らず、櫻坂にしてもそうだし、先行した乃木坂もそうだけど。
新しいメンバーが入ってくるというのは相当な緊張感があるものだ。
もちろん、当の新メンバー本人が何万倍も緊張しているに決まっているのだが。


私自身、乃木坂の新メンバーのときは、ながら見だったからよく覚えていないのだが、欅坂のときは今でもあの空気を思い出すことがあるくらい、強烈な印象だった。

欅坂46は、21人。
21人原理主義というか、それしか認めないという空気があった。だからこそ加入してくる二期生にとって、ファンに歓迎されてない空気は想像を絶するものだったと思う。それこそ本人たちにしかわからないであろう感覚。

この話になると、よくぞその空気に耐えてここまで来てくれたと感謝せずにはいられない。
私自身にも、希望を持って入ってきてくれた二期生ではあったし、応援したい気持ちは当然あったものの、それ以前の欅坂の姿の印象が強すぎて、そこに新しいメンバーが加わるということがイメージしにくかった。とはいえ、だからと言って彼女たちを叩くなど言語道断であるが、それをしてても気づかないくらい21人の欅坂に拘る向きは確かに多かった。

だからこそ、なんとかし彼女たちの力になりたいと、二期生おもてなし会大阪に参戦もした。


後にも先にも、当日券の出た欅坂のイベントなど聞いたことがない。それを現地で目の当たりにして、愕然とした。もちろん彼女たちにではない。そこまで欅坂に新しい空気が入ることが拒否されているのか。そう思いながら、それでも当日券のために並んでいるファンの姿を見てとても複雑な気持ちになったものだ。


日向坂の方にも、同じ坂道合同オーディションの合格者として上村ひなのが加入し、その後坂道研修生の期間を経て、髙橋未来虹、森本茉莉、山口陽世が加入したのは今更な話ではある。


そこからさらに時を経て。

12人。


おそらくこの数字を聞いて、おひさまの頭をよぎったのは、全員選抜が継続されるかどうか、つまり選抜制度が導入される可能性が高いのではないか、ということだろう。


その根拠となるのは、乃木坂のアンダー制度であったり、欅坂9thをめぐる選抜制度の顛末だったり、櫻坂の櫻エイトシステムだったり、結局誰かはそのあおりをくらってしまうということへの懸念が強いのだ。

櫻坂でさえ、全員が輝くということをコンセプトにはしているものの、それはていのいい外面で、内実は実質的な選抜制度。あの人数で選抜することにどれだけの意味があるのかと思っていたけど、未だにその意味はわからない。

まして今の日向坂に12人が加わるとなると、32人という大所帯となり、それでも全員選抜でできなくはないにしても、他の坂道シリーズの流れから、選抜が待つと考えるのが自然だ。逆に選抜を導入しないなら、なぜ櫻坂は櫻エイトなどというオブラートに包むような選抜制度を実施しているのか、という話になる。

日向坂メンバーはもちろん、おひさまもこの選抜制度というものは体験したことがない。選ばれたメンバーはともかく、選ばれなかったメンバーの苦悩たるや、経験したことがないとわかるはずがない。
そしてそんな選抜落ちしたメンバーを推す人たちは、どういう感情を持てばいいのか。

つまりこれが、四期生加入における「憂い」なのだ。

四期生に、もちろん罪はない。
50000人から選ばれた12人なので、相当精鋭揃いなのだろう。
でも、今いるメンバーと彼女たちを推す者にとって、精鋭だからこそ不安が募るのだ。新しい魅力を引っ提げ、そしてポテンシャルも高い、となると、どうしても自分が今のポジションをキープできるのか、という不安がメンバーを襲って当然である。

さらに、メンバーは今自分たちについてくれているファンをいかにつなぎとめるか、ということにも気を回さなければならない。
新しもの好き、というのは人間の習性だと思う。
となると、メンバーにとって恐怖なのは「推し変」だ。
既にメッセでは何人かのメンバーから「浮気するな」という内容が送られてきていると聞く。

推し変はともかくとして、でもこうやって新しい風が吹くことは、「憂い」の面もあるだろうけど、私は「可能性」の方に賭けたいと思っている。

欅坂の二期生が入って来たとき、前述のとおり、欅坂に21人以外が加わることそのものを許さない空気があった。欅坂一期生、という言葉がとにかく違和感満点で迎えられたときがあった。でも、あのときの空気は閉塞感しか感じなかった。
組織は、変化しなければ継続はできない。
全盛期にしがみつき、いつまでもそこから脱却できない組織は、会社であれ、グループであれ衰退する。
時流を見ながら、芯の部分はもちろん残しつつ、変貌を遂げていかないと生き残れないのである。

欅坂46は確かにムーヴメントになった。
でもそのことにずっとしがみついていると、メリットなど一つもないと思っていた。
欅坂の辿ってきた道に固執する向きは、おそらくファンの方が圧倒的に多かったように思われる。

私は当時からその空気が本当に耐えられなかった。

何より、そんな状況でも立ち上がって前を無効とするメンバーの邪魔をすることになりはしないのか、と。

メンバーを推している人たちにとっては、新しいメンバーほど動揺する事象も少ないだろう。そのことで、自分が推しているメンバーにどれくらいの影響があるのか。メンバー>グループ、という推し方をしている人にとっては、グループのことより推しメンのことの方が大切なのだから、そう考えても不思議ではない。

ということはつまり、私が欅坂二期生おもてなし会に行ったのは、とりもなおさず欅坂46というグループ全体のことを考えたからこそである。

私自身は、もちろん欅坂46の楽曲もパフォーマンスも、そしてグループの空気感も好きだった。今でもそうだ。それもそれでいい。そして櫻坂46となった今の雰囲気。これは誰に遠慮することもなく堂々と勧められる。

彼女たちでよかったと、心から思える。

だから、日向坂四期生も、必ずグループにプラスを与えてくれる存在であると信じる。

日向坂に入りたいと50000人が応募してきてくれたのだ。
その中から選ばれた12人なのだ。
明日から順に紹介されていくが、たとえどんなメンバーであろうと、私は「可能性」しか見ていない。

渡邉美穂が卒業し、宮田愛萌が卒業を控える中、四期生が加わることで間違いなく新章が始まる日向坂46。
そして、そのカギとなるであろう四期生を、私も楽しみに待ちたい。

結論。
「憂い」とは、やはり「可能性」なのである。


noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。