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流れる血の色を忘れないー日向坂8thに見る欅の木の面影

けやき坂46、通称ひらがなけやきと日向坂46は、単なる改名ではなく、コンセプトも違うと感じている。

けやきの名前を冠する以上は、生きる上での主人公の葛藤であったり、どこかで似た葛藤で苦しんでいる誰かに寄り添おうとする世界観だったりが必要で、メッセージ性の強いものが中心だった。
ただその反面、その世界観を踏襲するがために、漢字欅との差別化を図りにくく、そこにも彼女たちの存在意義を脅かす元凶があったかもしれない。

でも、たとえそうだとしても、私は彼女たちの中に、欅の木の姿を見ていたい。



齊藤京子がセンター、というのも実に大きな意味がある。

ひらがなから日向坂へと改名するとき、その発表で改名することを喜んだとして、一部欅坂ファンからバッシングを受けた彼女ではあったが、それはつくづく彼女のことを表面上でしか見ていない表れで。
日向坂一期生は例外なく、漢字欅に対する強い想いがあるはずだけど、齊藤京子のそれはまた種類の違う強さだと認識している。
漢字欅になれなかったひらがなが、生きる道とは何なのか。
知らない人に自分たちの存在を説明するのも難しい。はっきり言えば、そんなややこしさを抱えるグループが売れるとも思えない。

自分たちが自分たちであるためには、改名しかなかった。欅の木から離れるしかなかった。だから彼女は改名が夢だと言った。
でもそれは決して、漢字欅が嫌いだったからでも、離れたかったからでもない。
むしろその逆で、それだけ憧れ続けた漢字欅に自分たちがなれないとわかったからこその、本当は取りたくなかった方策だったはずなのだ。

そうは言っても、選択肢がそれしかないとなれば、そこに邁進するしかない。

日向坂一期生が、改名のときに喜んだのはそういう意味があったのだ。

繰り返すけれど、彼女たちは決して欅の木から離れたかったわけではなかった。
それこそ様々な事情で独立して新たな坂道を上るしかなかったのだ。

「キュン」ももちろんいい。「ドレミソラシド」の世界観は、ひらがな時代にはなかった。「こん好き」で見せたかったのは、感情に生きる女性の悲哀だったと感じた。「ソンナコトナイヨ」の疾走感あたりは、ひらがなのアルバムを思い起こさせた。「君しか勝たん」のメロディラインは新しい挑戦だった。「ってか」のセンター金村美玖に新たな日向坂の姿を見て、「僕なんか」のセンター小坂菜緒に、日向坂の安心感を見た。

8枚目。
満を持して0番に立つのが、齊藤京子なのだ。
ある意味最も欅の色を残しているメンバーだと個人的に思っているのが、彼女だ。
齊藤京子センターと聞いた瞬間に、きっとメッセージ性の強いものに仕上げてくると思った。


欅坂の楽曲とは、やはり誰もが通る道である、生きていく上で避けられない葛藤であったり、そこから生まれる絶望であったり、或いは他人がどうしても信じられなくなって孤独な世界に身を置く人、それでありながら本当は孤独なんか好んでいるわけでもない人の隣に座って、励ますでも話を聞くでもなく、ただ傍にいて同じ景色を見ている、そんな寄り添い方もあるんだと教えられる世界だった。

だから、欅坂の主人公の「僕」は本当に孤独だった。

ある意味、その孤独や絶望は思春期が生み出したものと言えるかもしれない。

その思春期を超え、学生から社会人となった「僕」に、ようやく同じ景色を見てくれる同志ができて、「僕」から「僕たち」になった。そう、日向坂の世界観はやはり、「僕」よりも「僕たち」の方が似合う。
なぜならそれは、日向坂46というグループが、個々を大切にしながらも、メンバーがこのグループにずっといたいと思わせる空気を醸成したことが最大の特徴だからだ。

一人じゃない。

誰かの痛みというのは、他人にはわからないという。でも、経験を積むことで、同じような状況に陥ることが増える。そうなれば、完全一致でなくとも、人間ならほぼ同じような感情に襲われるだろう、という「理解」を得る。
だからあなたの気持ちはわかるよ、と背中をさするという励まし方もある。ただ絶望の底にいる人には、それが偽善に聞こえて仕方ない。だから激しく抵抗する。私の気持ちなんかわかるものか、あなたに私の何がわかるのか、と。

それがために、敢えて励まさず、何も言わずに隣で寄り添う、という励まし方もあるのだ。それが欅坂の進む道だった。

でも日向坂のそれは少し違う。

苦しさ、悲しみ、絶望、彼女たちも相当、マイナスの感情に襲われたことは多々あった。でも、いや、だから、と言うべきか。そんな彼女たちだから、人生楽しいこともあるんだよ、楽しまなきゃ損なんだよ、と言われると本当にそんな気になってくる。

自我が芽生えれば、世の中の不条理に触れて嫌悪感を持つ。それが思春期。激しい抵抗を起こす。
その時代を乗り越えて、自らが大人となって気づいたときには、そんな抵抗が消え、周りと同じように、社会に合わせることで生きている、そんな自分に気づく。
あの頃の抵抗心がまた首をもたげ、そんな自分が嫌になる。
そこで、目覚めて。
そうか、だからこそ自分のやりたいことをやればいいんだ。
誰に遠慮する必要がある。
失敗したっていい。失敗したって実は大してダメージを受けないことも知った。

「大人」だから。

大人だから現実に迎合するのではなく、大人だからこそ、夢に向かって突き進む尊さを伝えたい。
だから諦めるものか。

過ちを恐れるな。




自分たちが進んできた道は、並大抵じゃなかった。でも、それを乗り越えたから、誰かに優しくできるんだ。それを経験したからこそ、説得力をもって訴えることができるんだ。
ひらがなけやきを経て、日向坂となったからこそ、伝えたいこと。

そんなメッセージは、やはり最も響くのは、このメンバーの中で齊藤京子がダントツなのだ。



そんな欅の血を強く感じるこの曲、気になるのはそんなひらがな時代をご存じない、日向坂新規のおひさまの皆様の反応。
ある意味、そんな皆様にメッセージが届けば、彼女たちの力は本物なのだと自信を持って言える。



知らない人に伝わってこその、メッセージソングなのだ。


W-KEYAKI FES.2022。
日向坂46は、欅坂46の「語るなら未来を」を披露した。
ひらがな時代にも経験はあるが、そのときも今回もセンターは齊藤京子だった。
そして、意味不明なくらい賛否両論が溢れたあのカタミラの瞬間から、この8thは約束されていたのかもしれない。
いや、もしかしたら、既に8thが形になっていた時期だったのかもしれない。

欅坂の楽曲を真ん中で臆せず披露できること。それができる人はそうはいない。一期生は誰もが持つであろうその気持ちではあるけれど、その中でも齊藤京子のそれには重さと強さを感じる。

そして、私の意見はこれに繋がる。



日向坂が、日向坂であり続けるために
敢えて欅の色を忘れない。

たとえどんな名前に変わろうとも、血の色は変えられない

noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。