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1.23に寄せて

2020年1月23日。
欅坂46界隈に衝撃が走った一日だった。


当然ながら、私も推しメンである佐藤詩織活動休止という場面に遭遇することになり、その衝撃も凄まじかったが、それ以上に、一気に四人がグループからいなくなること、そして絶対的センターと言われていた平手友梨奈が「脱退」と、衝撃に衝撃が重なって立ち直るのに時間がかかり過ぎた。

確かに、この日を境に、欅坂から離れたファンも多かったと推察する。

推しメンも、センターも居なくなって、私は…

私は…

私はどうしたいのか。

そのときに浮かんだのは、残ったメンバーの顔だった。

あれだけのメンバーが一気にいなくなって、それこそ欅坂だということさえ、知らない人が見たら気づかないかもしれない、まさにどうしていいかわからない状態になっている、彼女たちの表情だった。

確かに推しメンは卒業する。でも、それではいさようなら、なんてそんな情に薄いことができるような思い入れではない。どうしていいかわからない状況で、まだ前を向こうとする彼女たちを見捨てて、自分は彼女たちから去る。そんな芸当ができるわけがない。
それに、卒業する推しメンが、そんなことを喜ぶはずがない。

ここで離れるということは、欅坂そのものに魅力を感じなくなったということ。
でも本当にそうなのか?
反骨心という言葉が正しいかわからないが、「欅坂はもう終わりだ」と言われてからが本当の本番じゃないのか。彼女たちが本物ならば、ここからが勝負だ。

彼女たちが全身全霊で立ち向かうグループの活動を見ずに去る?そんな選択肢は私には存在しなかった。


2020年前半、そして中頃は本当に苦しかった。
私が、ではなく、メンバーの苦しさ。
想像を絶する。
しかも、欅坂は夏に改名という選択をする。



3年。

一言で言えばそれだけの文字数にしかならないが、そこにどれだけの涙が染み渡っているか。どれだけの想いが含まれているか。

もちろんあの日のことを忘れるわけはない。
ないのだけれど、歴史は既にその先を刻んでいる。

あのときに欅坂を去ったメンバーも、新たな道を歩いている。
その活躍の素地は、間違いなく欅坂46での活動であって。

1.23を、あれでよかった、と言うつもりはない。
けれど、ああなる必然性があった、と言えば少しは納得できるかもしれない。

来年も、再来年も、この日はやってくる。
その日が来るたびに、忌まわしき出来事だったと振り返る、それを止めはしない。

でも私は、みんなが既に前を向いて進んでいる現状で、そんなことをすることに意味を感じないのだ。

あの1月23日があって、その後欅坂が櫻坂に改名して、
そして今があるのだ。


それぞれの道は、きっといつかは必ず分かれていく。
それがあの日であっただけのこと。
私はそう思っている。


noteの中でも、櫻坂46・日向坂46に特化した内容ですので、特に二つのグループの推し活を経て、皆様に文章で還元できるよう努めてまいります! よろしければサポートをお願い致します。