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街道にて ー震災の夜に

昨夜は,東日本大震災を思い起こさせる地震がありました。私が住む街の震度は強くはなかったものの,ゆらゆらと長く揺れは,船の上にいるように感じたあの日の記憶が甦りました。

そして思い出したのは,あの震災の日の夜の風景でした。

当時,我が家は上の子が小学生,下の子が保育園児でした。私は都心の職場にいました。夫は職務上,職場に泊まることになり,鉄道が運行を停止していたため,私は徒歩で家へ向かいました。

途中で道を間違えながら,ようやく住む街へつながる幹線道路にたどり着いた頃には,すでに夜8時を過ぎていました。

幹線道路には,私と同じく都心から徒歩で帰宅する多くの人がいました。幅が狭い歩道を,皆ひとことも漏らさずに黙々と歩き続けていました。車線には自動車が上り車線,下り車線とも列をなし,歩道を歩く私たちが車を追い越していました。道路沿いの商店で自転車を買い求める人や,帰ることをあきらめて吞んでいる人もいました。

家で一人で待つ娘が心細い思いをしていないだろうか。保育園は延長保育でも7時が終了なのに着くのは何時になるだろうか。心配が頭の中を渦巻きながら,私も必死で歩いていました。職場から自宅まで歩いたことがなかったので,いったい何時に帰り着くのか見当もつきませんでした。

いつのまにか,私の右側に脚を引きずって歩く男性がいました。杖をついていたかもしれません。年齢は中年くらい。私と同じく職場で震災に遭ったのでしょう。

黙々と歩き続ける人の波の中で,彼も必死でついてきていました。しかし,ペースが遅いため,次第に集団の端の方へはじき出されていきました。この道の歩道は車道に申し訳程度に設けられていて,端は街路樹や柵があって歩きにくそうです。

私は横目で気にしながらも,声をかけることもできず歩き続けました。声をかけようにも,家に帰らなければならない,保育園へ子どもを迎えに行かなければならない私は,どう手助けしたらいいのか,わからなかったのです。

そしてとうとう,彼は歩道を下りて車道の端を歩き始めました。いくら自動車が徐行運転をしているとはいえ,歩行者が,ましてや脚が不自由な人が車道を歩く様子は異様でした。

少しずつ,彼は私の後ろへ遠ざかっていきました。

危険に直面した人々が,弱い人をはじき出す残酷。

そこに私もいたという事実。

象徴的な出来事で,今もあの夜の寒さと共に思い出します。

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