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奥伊勢での交流 その5・ Uターンと  Iターン

地方へのIターンとUターン
<監督補佐>
地域に溶け込んでのんびり田舎での生活を楽しんでおられるように見受けられるAさん御夫婦の、奥さんは高校まで地元で生まれ育ったということだ。
御主人の定年後しばらくして関東から実家のすぐ近くに戻られたとのこと。

勝手に推測するのは失礼かとは思うけれど、奥さんがUターンであるからこそ、御主人はIターンだけれど地元に違和感なく溶け込めているのだと思う。

私達がログ倉庫建築現場に行くのは週に1回程度、しかも現場で作業をして日帰りをするだけなので、Iターンですらなく、時間的にも心理的にも地元とは距離があるはずなのである。でも通い始めて20年以上経つと、表面的な道中の川や木々の様子も集落の佇まいにも、すっかり馴染んでいる。ただ、表面的に馴染んでいるつもりでも、集落の人達が長年培ってきた集落のやり方、考え方、人付き合いの仕方等は、そこに長年暮らしていないと、なかなか馴染めるものではないと思う。

馴染みの木立・瀬音

周囲のやり方に同調しない者は弾き飛ばす
私達の敷地から1キロ下流の川を挟んだ所に廃棄物処理場が出来ると聞いた時、もちろん、わけもわからず反対するつもりなど全くなく、ただどんなものが出来るのかを知りたくて、資料をもらうべく役場に行ったのだが、資料はない、との対応であった。

資料がないわけはないでしょ、と食い下がったのがまずかったようで、その後、あちこちから嫌がらせを受けた。

丸山健二氏の「田舎暮らしに殺されない法」という本には、町から甘い考えで田舎暮らしに飛び込むととんでもないことになる、という事例が、これでもかというくらい記載されている。

確かに田舎ではこちらの動向がどこかで見られていて、噂はたちまちに広がるのである。しかも不都合と断定した動向は力を合わせて止めるように仕向ける。

多数決なのか有力者の鶴の一声か知らないが、処理場歓迎で統一されていたらしい時期に、私達が役所に資料をもらいに行った、ということが、私達が廃棄物処理場に反対しようとしているらしい、ということになって子供っぽい嫌がらせが始まったのである。

また、地元の人に立ち話で処理場のことを聞くと、その後、その人から「何を言ったのかと地元の有力者に怒鳴り込まれた、もう放っておいてくれ」と言われ、あげくの果てに、全く関係ない人から「女だてらに役所に書面を送るなんて、楯突くなんて、恥ずかしい」などと言われる。
人里離れた道端で話を聞いていたのを誰が見ていたのか・・
書面を送ったことが何人に広まったのか・・
何をしても、周囲に同調しない者、と勝手に見なされると弾き飛ばされるのだと悟った。

  川に向かって張り出したテラス
         木材を置いているが、本来は月見をする月見台
  この床下に段ボール箱に入れた
ネコの死骸が置かれていた

必要な距離感・心理的住み分け
地元に詳しい知人から、土地を買った時に、すぐ地元の有力者に一升瓶でも持って挨拶に行っておけば良かったのだ、と言われたのだが、一升瓶を持って行くくらいは無理ではないものの、どこかで決まったことをそのまま受け入れ、ひたすら周囲に気兼ねしつつ生きることなど無理、できない。

処理場トラブル以後、相手のなさりようを理解しようなどと思わず、お互いの今までの生活や文化を尊重して、相手を無視するのではなく、心理的な住み分けを心掛けるべきなのだと思っている。

ただ、「女だてらに役所に楯突くなんて恥ずかしいことや、と言っといて」と言われたと知人から聞いた時はカッとなって、河川を守る何とか協議会に抗議の書面を送った。単なる質問の書面に対して、女だてらに、などのワルクチを住民に言いふらすのは如何なものか、文句があるのなら直接、差出人に「女だてらに」書面を送るなと返信するべきではないのか、と感情的に喧嘩を売りに。

返信はなかったものの、その話をあちこちにばらまいたと思われる有力者から、「ちゃんと謝りに行った」との手紙が来た。「謝る」対象は私ではなく、私からの抗議の手紙を受け取った協議会に、お騒がせしてすんません、と謝っておいたぞ、との手紙であった。笑った。


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