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『毛皮を着たヴィーナス』感想

「マゾヒスト」という言葉の元ネタになった人、それがオーストリアの小説家ザッハー=マゾッホです。

マゾヒストっていわゆる「M」のことですが、私は勝手に「痛いことされて嬉しい」とか「いじめられて嬉しい」とか、そんな風に感じる人のことを指しているのだと認識しておりました。

またそこまでではないにしても、日常的にちょっと強引にされてドキドキしてしまうとか、そういうのもM気質なのかなとも思ってました。

けれども、マゾヒストとは「痛くて嬉しい」とかそんな単に浅いものではなくて、ときには自分の生活を捧げて相手の奴隷となることを喜びとする方もいるのだとか。

Wikipediaには、「マゾッホ本人も情婦ファニー・ピストールと「夫人の奴隷となり、その願望と命令をすべて実現する」旨の誓約書を交わし、隷従した」と書かれていますね。なかなかの徹底ぷり(笑)

今回はそんなマゾヒストの語源となった作者の代表作、『毛皮を着たヴィーナス』を読んでみましたので、感想をつらつらと書きたいと思います。

邦訳はいくつが出版されていますが、今回読んだのはこちらです👆


全体的な感想としては、面白く、特に苦になることもなく読み進めることができました。

マゾヒストの小説とはいえ、それほどなまなましいエロティックな描写もなく、決して18禁小説というわけではないと思います。

正直、ちゃんと私に理解できているとは思えませんが、大まかな流れとしては、

主人公の男性は、宿所の近くにある「ヴィーナスの像」に恋をしていてそれを崇拝している。

毎日像のところに通っているうちに、その像と見紛うような未亡人に出会う。

するとその未亡人に女神の支配的なものを感じ、彼女の奴隷となる契約をする。

彼女の奴隷でありながら彼女を自分のものにしたい主人公は求婚するも断られ、そのまま単なる奴隷として過ごす。

ある日彼女が他の男性に恋をし、結婚をせがむ主人公をその男性とともに痛めつけ、そのまま出て行ってしまう。

捨てられた主人公はその後女に対する考えを改め、逆に女は絶対的に支配しなければならないものだと悟る。

けれども、支配者としての彼女と奴隷としての自分が描かれた絵画だけはいまだに大切に飾っているのだった。

と、このような感じでした。

主人公は元から女性を崇拝する人なんですよね。

しかもその崇拝対象は「美しく残酷な女神」という女性像で、女性の残酷な側面をかなり強調している印象がありました。

この小説が一般的にどのくらい女性に共感されているのかわかりませんが、個人的にはわからなくもありません。

子どもの頃の話ですが、私について回る男の子がいると、別にその子のことが特に好きでもないのに気分がよかったりしたのを思い出しました。

もちろん好きな人を前にしてはぎこちなくなるというか、可愛く見せようとしてちょっと見栄を張ったりして遠慮したりするんですが、ときにはその人を従わせて召使いのように扱ってみたいと思うことも。

(↑共感してくださる方いますか?)

さすがこの物語のように鞭で打ったりなんかは考えたこともないですが、どうなんでしょう。

好きな相手を傷つけてしまいたいみたいなエゴイスティックな感じは、やはり理解不可能ではない気がします。

そして主人公は元からマゾヒスト気質であるのですが、未亡人の方は元から別にサディストではないんです。

主人公に残酷な支配者として振る舞うように言われて付き合ってあげているみたいなそんな感じでした。

物語が進むにつれだんだんと主人公を鞭を打ったりすることに慣れてきてはいましたが、結局最後まで演技めいてたというか、言い換えれば真性のサディストではなかった気がします。

だから逆に、主人公が彼女に命令して彼女がそれにしたがっているという見方もできると思います。

とにかく主人公の未亡人に対する依存がすごくて、彼女の奴隷というポジションでなければ生きていけないみたいな。

しかも単なる奴隷ではなく、結婚して彼女を自分のものにした上で奴隷になりたいという願望を持っていますから、なかなかに錯綜しています。

「本当の奴隷なら、私があなたを足蹴にして他の人と結ばれても当然でしょう?」

と彼女が言うと、それは絶対に嫌だと。

最終的には他の人と結ばれそうになる彼女をナイフで殺そうとまでしています。

主人公は彼女に支配されたいのではなく彼女を支配したい。

こうした支配しつつ支配されたいという矛盾的な関係を、主人公は男女の理想像としてずっと求めていたようです。

主人公の場合、支配されたいという欲望が強烈だからこそ、その逆もまた然りだったのでしょうか。

そういう意味では主人公は真性のマゾヒストではなかったとも言えると思うんです。

この事件の後に主人公は女性に対して厳しくなるんですが、そのわけを友人に話している中でどうも自分に対して説得しているような感じなんですよね。

未亡人との思い出はそのままにしているところも、確かにひとまわり広い視点で見ることになったけど、やはり態度を決めかねているというか。

でも支配しつつの支配されるという矛盾的なものには共感できました。

未亡人の方は最後まで演技めいてはいるんですが、主人公の方はもう必死で、その矛盾してぶつかり合う気持ちは暴走しているかもしれませんが嘘ではないんです。

卑近な例になるかもしれませんが、「本当の愛はただ与えるだけ」というのはなかなか難しいんですよね。

私がどれだけ愛していても、一向に私を見向きもしない相手を純粋に愛し続けることができるのかと言われると、

そんなときは確かに愛しているんだけど、同時に憎しみも感じるようになる気がします。

もしかするとお互いに愛し合っていてもそうなのかもしれません。

そんな愛憎が混じり合った気持ちは、矛盾しているからといって決して嘘ではなく、本当であると思います。

ただ与えるだけであることはよりクリアな関係でスッとしている気がしますが、その領域はこの世界の人間にはまだまだ辿り着けない理想郷であるのかもしれません(笑)

普段は気にもとめない、そんなことを考えさせてくれる小説でした。

お読みいただきありがとうございました🌸

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