3分で哲学(近世④) バークリー
バークリーはイギリスの哲学者であり聖職者です。
その思想はロックと同じくイギリス経験論に立ちますが、ロックよりもさらに徹底的な経験論を展開したと言われます。
「存在するとは知覚されていることである」
ふつう私たちは、りんごが存在するからそれを触ったり見たりできる(知覚できる)と思っています。
しかし実際のところ、誰かが知覚する前にりんごの存在を確認することはできません。
りんごの存在の前には必ず私たちの知覚があります。
バークリーは物は存在するから見えるのではなくて、見えるから存在できるのだと言います。
このように考えると、知覚する者がいなければ物は存在しないということになります。
これがバークリーの主張する「存在は知覚である」ということです。
それでは誰も見ていないりんごは存在しないのでしょうか?
聖職者であるバークリーはここに神を登場させます。
人間の誰もそのりんごを見ていなくても、神がいつでもそれを見ているから、やはりりんごは存在するということになります。
けれどもこの神にあっても、知覚しているから存在するという構造は維持されています。
第一性質の否定
ロックはものの性質を第一性質と第二性質にわけて考えました。
しかきバークリーは第一性質も人間の感覚器官によるものだと考えます。
たとえばロックは固体性を第一性質としましたが、バークリーによれば物が固体であるかどうかを確認するには触覚によってしかありえません。
また数についても、りんごが何個あるのかは目で見て確認するか触って確認するかしない限り認識することはできません。
このように知覚が存在に先行すると考えたバークリーにとっては、客観的な性質に思われた第一性質でさえも、実は個人の感覚によって認識することができる主観的な第二性質と同じだと考えられるのです。
ものの客観性はすべてを知覚している神にのみ保証されているのであり、人間はその中から自分が知覚できるもののみを存在させることができるにすぎないと、バークリー考えるのでした。
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