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広島(1)

広島に原爆が落とされて77年がたち8月6日に平和記念式典が無事終了しました。
ここで2009年8月3日に私が体験したことを記述します。

その日は朝から体調がすぐれませんでした。
その前日の8月2日の夜、浄化と上昇をやっていると、映像が見えました。
家々が見えてその家並みの中に一本の大きな木がありました。その一本の木がズームされると木の枝に鳥がとまっていました。それをみているといきなり粉々になり、一瞬でなにもかも燃え落ちたビジョンを見たのです。その夜はそれで終わりそのまま眠りました。
次の日、目が覚めるとまだ体調が悪くエネルギーが体から抜けきれてない感じだったので浄化と上昇をやりました。
その時の情報を文字化したものです。

あさみたあさがお かあさんが水をあげて
ごはんをすこしたくさんたべて
いってきますと言ったんです
とうさんはもうしごとに行ってたからいなくて
あるいているとちゅう
みんな上をみるからみあげてみたけど
きれいで
そしたらいきなりあつくなり
もえたんよ もえたんよ
わたしはもえて かあさんももえて
みんなもえてしまったんよ
わたしは9さいです

その日から夜中の0時になると毎晩目が覚め、目を閉じると原爆のビジョンが見えて朝まで眠れなくなりました。子供のように夜中のトイレが怖くて電気を全部つけて行きました。夜中に見るビジョンは8月15日の終戦記念日までには収まるだろうと思っていましたが15日を過ぎても一向に収まりません。寝不足と身体の不調で精神的に良くない状態が続きました。このままではどうしようもなく、広島に行くしかないと思い、8月29日に家族と広島へ行きました。平和記念公園に到着後、原爆ドームへ。
ドームの前に立つと、ちょうどチャイムが鳴り響きました。8時15分のチャイムでした。まったく時間を気にしていませんでしたが、その時間に着くことが決まっていたかのように、原爆の落された時間にドームの前に立っていました。なんという偶然、ピッタリその時間に着くなんて。後程知ったのですが、車を止めた駐車場は原爆が落ちた場所だったのです。不思議なことです。

ドームを前にして改めて原爆の威力を実感しました。600m上空で爆弾が炸裂したそうですが、中心温度は100万度、こんなこと考えられません。人間が人間にむけてつかってはいけないもの。一発の爆弾が14万人以上の尊い命を奪い一瞬にして2kmを超える地域を燃えつくしました。人類初の核兵器による被害国、多分日本人でなければ耐えられないこと。そこに日本という国、日本人というものの不思議さを感じます。

ドームをあとにして公園を歩き始めるとだんだん肩が重くなり、霊が私たちについてきていると感じました。その後資料館を見学しました。そこにはボロボロに焼け焦げた服やごっそり抜け落ちた髪などが展示してあり、あまりの悲惨さに胸がしめつけられました。

最後に原爆死没者慰霊碑前で皆で祈りました。私の体調が悪いこともあって娘が代わりにノリトをあげてくれました。ノリトをあげはじめると、目がジリジリ熱くなり真っ赤に燃えた太陽のような光が一瞬で辺り一面にひろがり上にあがっていきました。こんなにも多くの霊が集まっていたのかと思い無事に終わったことに感謝をし、天に向かってありがとうございます、ありがとうございますと何度も言い続けました。

この日から夜中の0時に目がさめることはありません。こんなことがなぜ自分の身に起きたのか考えてみました。きっとエネルギーの勉強でもあったのでしょうが、それよりもその場に残された者達のために誰かが責任をとる、それが自分の役割だったのだと思います。

今の時代はなんでも選べる時代です。それでも生まれてきた目的を知ってその約束を果たせる生き方をするために人間としての存在があるのだと思います。










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