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看護師無理だ!と思った話①

私が感じる看護師というお仕事、学生時代の話。

まず、私が看護師を目指した経緯。

きっとよくある話。家族の誰かが医療従事者だと看護師という仕事は、割と身近な職業になる。私の家族には看護師がいた。

特別、入院しお世話になった経験や直に看護師の仕事をみて感動をしたという経験はなかった。

ただ、医療ドラマで見る看護師、特に私に影響を与えたのは『ナースのお仕事』、『救命病棟24時』海外ドラマの『ER』だろうか。「人を救う」力がとても魅力的だった。自己犠牲が美しく見えて仕方がなかった。海外ドラマの方が所謂血なまぐさい描写が多いのだが、血や手術シーンなどに嫌悪感はなく食事中でも見ていられた。また、同じくらいかそれ以上に読書が好きで、小学校低学年くらいから闘病記などを好んで読んでいた。一番最初に感動した記憶があるのは「さと子のにっき」という本だ。先天性の病気で14歳にしてこの世を去ってしまったさと子ちゃんが書き綴った日記にお母さんの言葉が添えられていた記憶がある。何を思ったかは正確には忘れてしまった。ただ、胸を打たれたという思いがあるから、20年近くたった今でも思い出せるのだろう。

そんな私は、幼稚園の頃から看護師になる、将来の夢にはそう書き続けていた。

高校の頃は、英語を頑張って海外で働けるような看護師に憧れていた。志だけは高かった。

初めて、私は本当に看護師になりたいのか?と疑問に思ったのは、忘れもしない高校3年生。大学に出す志願理由を担任の先生に添削していただいた時だ。

「人を助けるのは看護師だけではない。なんの仕事でも誰かの役に立っている。」

今思うと、当たり前のことだ。だが、その時の私は初めて世の中の仕事を知ったのだ。また、その時の私は働くことは自己犠牲で他人を幸せにすることだと思っていた。本当にやりたいことが分からなくなった。

それでも、時というのは止まってくれないものである。高校3年生の1年なんてあっという間。答えが出ないまま私は、看護学部のある大学1校と専門学校2校を受験した。結果は2勝1敗。専門学校の一つに落ちた。

落ちた理由は何となく想像がつくがそれはまたの機会に。

とりあえず、私は大学に受かってしまったのだ。

受かってしまったという言葉を使うのには理由がある。

ここで唐突ながら私は受からなかったら、劇団のオーディションを受けようと思っていたし、親にに伝えてみた。そのとき、看護師をしている家族から、生まれて初めて「あなた看護師向いてなさそうだもんね」と、私にしては衝撃的な言葉をいただくことになったのだが。

受験期、歌に助けられた。お気に入りはZARD。真っ直ぐな声と歌詞が受験期のもやもやを少し晴らしてくれた。私という人間は元々歌うことが大好きで、感情が揺さぶられやすい。イヤホンから誰かを勇気づけられる。舞台の上で誰かの心を動かすことも、好きなことをしても仕事になるんだと気づき始めた私にとって、向いてないと言われてまでやりたい仕事なのか?という疑問を抱かせるには十分すぎる言葉だった。

そんな気持ちのまま、次の日大学の2次試験を受けた。その日のことは、雪が降っていたこと以外ほとんど覚えていない。

合格発表の日、張り出された掲示板には私の番号があった。

私より看護師の資格が欲しくて、この大学に入りたいと思っていた受験生もいたと思う。

だが、私にとって向いてなさそうな夢に向かう生活の始まりである。


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