13.ストーカー被害

耳元にかかる荒い息、無理矢理ねじこまれた舌が口内をなめ回す感触、まるでムカデのように私の体の至るところを這いまわる手…犯罪者の行為のどれもが決して許せないのに、一番許せないのは自分自身でした。

私の心と意識は嫌悪感と屈辱と恐怖と殺意に近い感情で全力でその行為に抗っているのに、私の身体は犯罪者の興奮をさらに高めるような反応を示している。

その事を犯罪者が私の耳を舐め回しながら嘲るように指摘した時、私は自分の意識と体が真っ二つに引き裂かれた感覚に陥りました。

体を好きなようにされている私には心も意識もなく、私の心と意識は犯罪者に見つからないところに退避して一部始終を俯瞰しているような感覚です。

性被害にあった人に「助けを呼べばよかった」「全力で抵抗すればよかった」などという意見をみたことがあります。そういう対応があるたびに被害を受けた人は自分が悪かったと言われているような気持ちになります。

抵抗しないから合意かと思われても仕方ないと被害者に非があるような言い分をする世間の意見や加害者の言い分は、被害者をとことん追い詰めます。抵抗しないのではなく、抵抗できないのです。

自分より屈強な相手に抵抗することで、今感じている以上の恐怖と屈辱を受けることになると、本能的に感じとると体は自然に反応します。

どんなに心が拒否しても、身体のその反応は命を守る為の防衛本能です。
その体の反応を犯罪者は「喜んでいた」「合意だった」と言いますが、身体の防衛本能で、内部が傷つかないように反応しているだけです。

被害にあった後でそう分かっても私は自分の体が、自分の存在がこれまで以上に嫌いになりました。

そして私が女でなかったら、こんな目にあうことはなかったのにと女である自分を憎むようになりました。警察や誰か信頼できる人に被害を相談することはしませんでした。今はこうしてあれから数十年以上の時が経ち顔も見えない状態だから話せていますが、目の前にいる誰かに自分がされた事など、話せるわけがありません。今でも対面して話すことは無理だと思います。だから人通りがない道を通った自分を責め、女である自分を憎むことでなんとか消化しようとしていたのだと、今なら思います。

その日から過食嘔吐は激しさを増し、嘔吐に完璧さを求めるようになりました。胃液が出るまで吐いても胃に何かがある感じがする時は、水を大量にがぶ飲みして再度嘔吐をするようになり、同時に下剤の乱用も始まりました。

退院時に45キロあった体重は、更に減り胸はあばらが見え、腰骨も服の上からでも分かるくらいに出っ張り、膝や肘の関節の骨ははっきりと分かるようになり、お尻の骨もでっぱり背骨も浮き出た為、椅子に座るとお尻や背中が
痛く長時間座れなくなりました。

椅子や背もたれとの接点の皮膚は内出血したかのようにあざになりました。

薄着になるとハンガーに服がかかっているかのような薄い体と細い首、その上にのる顔は唾液腺が腫れて体とはアンバランスに頬がふっくらとしていましたので、そんな私に声を掛けてくる男はさすがにもういませんでした。

私はもうこれで性の対象にされずに済むことに安堵し、自分の体にあちこちでっぱった骨を触っていると、心が安らぐ感じがしました。

両親は急激に更に痩せた私を見ても、特になにもいいませんでしたが私が死んでいないかが不安なのでしょう。夜中に静かに私の部屋に入ってきて寝息を確かめていました。

高校3年生になると、私はカウンセリングを止めました。

もう病院では治らないのだと諦めました。そしてその頃には勉強も前ほどできなくなっていました。勉強しても前のように覚えたり理解したりができなくなっており、過食嘔吐で脳が委縮すると大人になって知った時にはなぜ勉強ができなくなったのかの謎が解けた気持ちになりました。

周囲が大学受験に向かっていくなか、私は早々と戦線離脱しました。もう中3の時のように頑張る気力はありませんでした。でも、このまま家にいては両親に迷惑が掛かるから家をでなければいけないとは考えていました。

両親は私が高校卒業したら家にいると思っていたようですが、私はAO入学で他県に進学先を見つけて両親に伝えました。両親は非常に驚きながらも反対はせず、入学金も一人暮らしにかかるなにもかもの費用を負担して送りだしてくれました。

そして他県での生活が始まりました。

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