46.不要な子ども

薬の服用期間が短かったせいか離薬症状は特に感じませんでした。
むしろ、思考にぼんやり霞がかかっていたようだったり、昼間でも妙に眠かったりしたのがなくなり、スッキリした頭で物事を考えられるようになりました。

退院まではまだ1ヵ月以上もありましたが、どうしたら早く退院できるかを日々考えているとある日の夜、ナースステーションから面会室に行くように呼び出しがかかりました。

両親は日中に面会に来ることが多いので、珍しいなと思い面会室に足を運ぶと彼がいました。

「身内しかダメって言うけど、どうしても会いたいから婚約者ですってことにしたら入れたよ」

ニコニコ笑う彼を見て、これならイケると思いました。

彼には「退屈だし寂しいから、仕事帰りにでもなるべく来てくれると嬉しい」とお願いしました。

仕事帰りに、というのは彼がまともに働いている人だと看護師さん達に印象づける為でした。

私よりも多少年上の彼がスーツ姿で面会に来ることで、私は退院しても親以外にも保護者となる人がいるのだから、退院しても大丈夫と看護師さん達に思ってもらうことで、退院を早めるつもりでした。

彼は面会時間終了ギリギリになることもありましたが、ほぼ毎日来てくれましたし、休日は長く居てくれたり、一緒に外出もしたりしました。

彼が面会に来てくれるようになってから初めての診察で
「外泊してみようか?」
と先生の方から話が出ました。

これはきっと退院は近い!

そう思うと、外泊先は兄嫁もいる実家と指定されていても気持ちは昂りました。

外泊の為に迎えに来た両親と実家に戻るとどこか雰囲気が違いましたが、その理由はすぐに分かりました。

兄家族は実家を出ていました。

あれほど財産に執着していた兄嫁が自ら進んで家を出るわけはありません。

私の家では幼い頃から長男である兄がとても優遇されており、私は兄さえいれば私は不要な子どもだと感じることはしょっちゅうでした。

ですから、何があっても父は兄家族の味方につくと思っていました。
入院させたのは、治療と称して私を厄介払いする意味もあったのだと思っていました。

でも父は兄家族を家から出すか、出て行かざるをえないように仕向けるそのゴタゴタから、私を守る為に入院させたのかもしれません。

私は不要な子どもではなかったのかもしれない

そう思えて、ふいに涙がこぼれました。

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