56.手握っていい?

離婚を機にそれまで働いていたパートは辞めました。

シングルマザーとして暮らすうえで、私は親からの金銭的援助を受けるつもりはありませんでした。
私の摂食障害による金銭的損害と、今回買い与えてもらった土地家屋を考えるとこれ以上両親の蓄えを食いつぶすわけにはいかないと思いました。

離婚したことで児童扶養手当を受給することになりました。
児童扶養手当は、所得によって金額が違ってきます。
私の周囲では手当を満額受給する為に、バイトやパートの収入を抑えている人が多数いました。
収入を抑えることによって、手当は満額で受け取り尚且つ非課税世帯に該当すれば様々な補助の対象となったり税金が免除になるのでそれをメリットと考えているようでした。

私はその人達からみたら頭が悪いと思われるでしょうが、払うべき税金は払い、手当も減額になり、様々な補助の対象外になるとしても正社員として働き離婚前よりも収入を増やす道を選びました。

確かに、収入を抑えていた方が子どもと過ごす時間は増えるし、体力的にも楽だし上記で挙げたように優遇される面も多くあります。

でも、目先の優遇される面ばかりを気にして収入を抑えた暮らしでは「お金がないから」と言わざるを得ない面が出てくるでしょう。
多分フルタイムで働いたとしても、そう言わざるを得ない場面はあるでしょうが、できるだけ言いたくないと思いました。

そして子どもが成長した後で「さて自分もフルタイムでしっかり働きたい」となってもスキルも経験もない中年期の大人が必要とされる場があるのか?という不安が拭えず、自分の希望と待遇面での折り合いがつきそうなところに絞って採用試験を受けました。

試用期間中に夜10時を過ぎる会議が月に数回ある為に短期間で退職した自動車整備会社では、社長室にお茶出しをする中で他の業種の社長と知り合い、お付き合いすることになりました。
「お金で解決できることはお金で解決したらいい」という人で、私が生活をするうえで困っているところはずいぶん助けてもらいました。
生活の心配をしなくて良くなった分、今度は長く無理なく勤められる所を探し、ある団体組織に正職員として採用されました。

順調に数年間継続勤務し、ここなら長くいられるかもと思っっていた矢先のある出来事で、出産以来治まっていた過食嘔吐がぶり返してしまいました。

それまでもその人はなんだか気が付くと背後にいるなぁという感じでしたが、話をする時に近いなとは思っても特に食事に誘われたりボディタッチされたりはなく、背も高く爽やかで女性社員に優しくて紳士的と言われていたのであまり警戒せずに接していました。

その日、私は外出の用事があり社用車に向かいました。
あの時車の中でそれまでも十分確認したのだから書類の最終確認なんてしなければよかったと後悔しています。

書類をカバンに戻し、エンジンをかけるとすぐに助手席にその人が乗り込んできました。
多分、私がエンジンをかけるタイミングをどこかで見計らっていたのだと思います。

「ちょうど良かった、自分の行先も同じ方だから同行させて」
そう言うと私の返事を待たず、さっさとシートベルトをしました。
社用車の使い方についてガソリン節約の為、同じ方向への外出時は乗り合わせるようにと通達が出たばかりでしたので、断ることもできず私は車をスタートさせました。

先に私の要件を優先していいと言われ、用事を済ませて車に戻るとその人が運転席に移っていました。
この時、少し嫌な予感はしましたが
「俺が運転した方が早いから」
と言われればその通りですので、私は助手席に乗り込みました。

社用車は軽自動車でしたので、体の距離が近く私は息苦しさを感じ窓を開けました。
車が住宅街を抜けて民家のない道を走りだしたので、これはさすがにおかしいと思い
「あの、この先になんの用事ですか?」
と思い切って聞くと
「ん?君知らないと思うけどこの先にうちの倉庫があるんだよ。ちょっと在庫見に行かなくちゃならなくてさ」
と私の方を見ずに答えました。

そして唐突に
「手握っていい?」
と言いながらハンドルから離した左手で私の右手を握ってきました。

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