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ずーみんさんの棺桶に入れたいお話

遥かなるまわり道の向こうで

こんにちは。僕は、ずーみんです。本名は別にあり、昼間は会社員として仕事をしています。Twitterではずーみんとして発信をしています。今日は、僕のおかしくも、悲しくもある、光に満ちた話を聞いてほしい。


広島のど田舎で僕は生まれた。

5人兄弟の3番目。上に兄、姉、下に妹、弟がいる。

空は青く、雲は白い。山は緑、雪は白。

小学校の全校生徒は30人、同級生は3人。

コンビニより近くて便利なのは、

農協。

熊、猪はお金を払わなくても、畑を荒しに来たときに見れば良い。

この意味が分からない人は真の日本の田舎を知らないと思う。


そんなところから、ずーみん物語は始まる。


父親は自営業。母親は小学校2年生の時から病気で入退院を繰り返していた。

病名は、ガン。

母親が入院しているとき、僕はおばあちゃんの営む食堂の裏で、ずっとビデオを見て、父親の仕事が終わるのを待っていた。

小学校2年生のまだまだ小さい僕は、お母さんが家に居なくて寂しかったけれど、元気になって戻ってくることを信じて待っていた。

退院してくると、家族は一気に明るくなる。父親は、家族みんなを車に乗せて遊園地に連れて行ってくれた。

両親がいて、兄弟がいる普通の家族。母親が病院から退院して戻ってくると、僕の家族は普通の家族になる。

普通の家族が数か月続くと、母親が再び入院して、母親の欠けた家族になる。僕はまた、普通の家族に戻ってほしいな、と思ってお母さんが元気になるのを待つ。

小学校3年の頃、元気になって母親が退院したときに、手巻きずしを作ってれた。

母親が炊いた真っ白なご飯。砂糖と塩と酢で作ったすし酢をかけて、うちわでパタパタあおぐ。酸っぱい匂いがふわっと香って、お米がキラキラ光る。

5人の子ども達は、自分の大好きな具を我先にと包んで頬張る手巻きずし。

おいしかったな。


小学校5年生の頃、母親は自分の力では歩けなくなっていた。

顔色も悪くなって、話す言葉も小さくなって、短くなって、たどたどしい。

お母さんは、これから薬を飲んでどんどん元気になる、なってほしい、なって!がんばって!

でも、弱くなったお母さんを見ていると、一番望んでいないことが起こりそうで、怖かった。

父親は、母親の治療代と家族を養うために必死に働く。

いろんな思いがあったんだろう。

ときどき、大声で兄や姉、僕を怒鳴った。

僕たち子どもにも、いろんな気持ちがあった。

授業参観は、父親は仕事で、母親は病院で、僕だけ家族に来てもらえなかった。さみしかったし、授業参観は嫌いだった。

家族みんなが、我慢していた。

辛い気持ちはみんな、自分の心の中にしまっていた。

授業参観が大嫌いなことは、父親にも祖母にも、もちろん母親にも、兄弟にも言えなかった。言えるわけがない。

だって、みんなつらい気持ちは心にしまっていたから。


小学校6年の12月23日、最後の時間を家族と過ごすために、母親は病院から一時的に帰宅した。

その日も手巻きずしを食べた。母親は食べる力も残っていなかったけれど、横になって、にこにこ笑っていてくれた。

病院に戻るときに、母親は声は出せなくて、僕たちに手だけ振ってくれた。

それが、最後の母親の姿だった。


12月25日、永眠。


僕が中学生になるまでがんばるって言ってくれていたけれど、

母親は僕の学生服を着た姿も、妹のランドセル姿も、姉の高校生の制服も、兄の高校の卒業式も、

全部、春に、

一気にやって来るのに

僕たちの新しい姿を見ることはなかった。


お葬式で、初めて父親のむせび泣く姿を見た。

小学校の6年間、楽しいことも、嬉しいことも、腹がよじれるくらい笑ったこともあった。

でも、

母親の存在感、不在感、

そして

死は

大きかった。


ある時、父親が言った。

「お金さえあれば、お母さんを救えたのに。」


お金さえあれば、最新の保険のきかない薬や治療を受けることができた。

お金さえあれば、母親は元気になって、僕たちは普通の家族になって、普通の幸せを味わえた、

かもしれない。

病気の母親はいつもやさしかったから、叱られたことがなかった。

いたずらをしたり、母親の言うことに反抗して母親に叱られたかった。

褒められたり、怒られたり、兄弟ゲンカしたり、

温かい食卓を囲む、普通の家族。

お金さえあれば、僕たち家族は幸せになれた。。。


父親の言葉は、ずっと、ずっと、僕の心に残った。


劣等感

みんなにはあるけれど、僕にないものがある。

母親。

僕はみんなより、欠けているものがある。

それを、劣等感、と呼ぶ。


中学生時代は、学校の先生や同級生の温かい気持ちに囲まれて楽しく過ごした。

だけど勉強する意味が分からなくて、勉強をしなかった。

結果、地元で一番レベルの低い高校に入学することになる。


高校生の僕は、背が伸びて身長は180cmになっていた。

体育の時間は、地獄に近い。

身長の高い僕は、クラスメイトの期待のこもった視線を受けながら

バスケットボールの授業を受ける。

彼らは僕に期待して、パスをよこす。

ボールは、僕の指先をはじいて隣のコートに飛んでいく。

運よく、パスを受けても

僕は周りを見てドリブルなんてできない。

3回、ボールをつくと、限界がきて

えいやっと

ゴールをめがけてボールを投げるのに、

なんでかな、

ゆっくりと弧を描いて

ゴールポストのはるか上を

通過して、ポトンと落ちる。



バレーボールは、僕をねらってサーブを打ちさえすれば、

僕の手に当たったボールはとんでもない方向へ飛んでいくので

永遠と点を積み重ねられる。


人として、終わってるよね。

なんてつぶやかれた日には、地獄に落ちますよ。


運動神経が良ければ、女の子にモテモテの3年間が約束されているのに。


おまけに僕の趣味は、ドラクエ、ポケモン、遊戯王のカードゲーム。

周りはそんなのとっくに卒業していて、女の子とか、バンド活動とか興味の対象が違っていた。

ドラクエの攻略法を熱く語りたい、ポケモンの交換、対戦をして盛り上がりたい、お互いの遊戯王のレアカードを見せ合いたい。

熱く盛り上がれる仲間が欲しかったのに。僕しかいない。

孤独と劣等感。

この2つが僕の高校3年間を支配した。


1人暮らし

高校を卒業して4年制の専門学校へ進学した。

憧れの大都会、広島。

家賃3万円の1K。

大都会の洗礼は早速やってきた。

電車も、路面電車も、バスも、どうやって乗るのかが

わからない。。。

専門学校へ行ったは良いが、帰り道に迷う。

奨学金とアルバイトで生活費を賄う予定だったが、

バイトの面接は

毎度、毎度

落ちた。


いま思えば、たかがバイトの面接にスーツを着ていき、

ガチガチに緊張してたから、質問にろくに答えられなかったからだと思う。


9回落ちて、

10回目に受かった (*´Д`)


地元で人気の回転ずし店。とにかく人手が足りなかったらしい。

オラオラ系のガラの悪い先輩や、タメ口を聞く高校生と毎日一緒に働いた。

専門学校とバイトを行き来する4年間が始まったわけだが、ようやく僕はここで気の許せる仲間と出会う。

専門学校には、ゲームやアニメ、2次元の世界の話をどこまでも熱く語れる仲間と出会った。

2次元で生きているから、3次元の姿は気にしない。流行と関係ないシャツとパンツ。髪の毛は伸びすぎて脂っこいか、薄い。

愛すべき僕の仲間。

バイト先でも気の合う同い年の友達ができた。

一緒にボーリングに行ったり、広島カープの試合を見に行った。


社会人になるまでの4年間を一般的にモラトリアムと言う。青年が自己のアイデンティティを模索したり、大人になるための精神的自立をする準備のための猶予期間だ。

僕にモラトリアムはなかった。生活費を稼ぐためのバイトに明け暮れ、己がどんな人間なのかを考える余裕もなかった。

お金のある学生は、サークル活動を楽しんだり、女の子と遊んだり、ブランド物を身に付け、美容室に通う。そして時には海外旅行に行く。

貧乏学生の僕は、そんな彼らを尻目にバイトにいそしむ。

若干の劣等感を感じながら。


同じ貧乏仲間の親友がいた。

ちょっとしたことで落ち込みやすい彼は、ある晩、僕に電話をして

「もし良かったら、この後会って、話さんか」

と誘った。

バイトでクタクタだった僕は、その誘いを

「ごめん、明日にして」

と断った。

しかし、あくる日がくる前に彼は首を吊って自ら命を絶った。

僕に電話を掛けた1時間後だった。

。。。

僕が彼に会っていれば、彼は今もここにいたかもしれない。


この罪悪感は、今でも背負って生きている。


彼の分まで生きて、稼いで金持ちになって幸せになろう。

僕は、バイトだけでなく、勉強にも力を入れるようなった。

取れるだけの国家資格を取って一流企業に勤めて、お金持ちになって、俺より上にいるやつらの頭一つ分、抜けてやるんだ!


東京ライフ

幸せな人生への第一歩。

僕は努力の甲斐あって、東証一部上場企業への就職を果たした。

東京でシティーボーイの生活だ。

スーツを颯爽と着こなし、書類を読みながら社内を歩いていると、同じように前を見ないで歩いている可愛い新入社員とぶつかって、恋に落ちるのだ。

そんな想像を膨らませ、広島から出てきたのに

目の前の現実は

おじさんの頭に囲まれた

満員電車だった。

180cmの僕は、おじさん達の頭部が鼻の位置にあたり、

白髪、薄毛、ごま塩頭、黒髪ツンツンと

バリエーション豊かなおじさんの頭に包囲される。

とにかく、臭い。

朝は、整髪料とおじさん独特の匂い。

夜は、より強くなった疲れたおじさんの匂いとアルコールと整髪料の匂い。

僕は広島の田舎の澄んだ空気の中で育った。

緑と土が香る自然の空気は、どんな空気清浄機をもってしても再現できない。

そんな、恵まれた空気の中で育った僕に、満員電車のおじさんの匂いは耐えがたいものだった。

ATフィールド全開!

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今ならば

五条先生の領域展開!

したい!

たまに美人が前に立っても、痴漢に勘違いされるのが怖くて、生きた心地がしなかった。


広島人からすると、何よりも気味が悪かったのは

朝からみんな疲れた顔で、目をつぶるか携帯をいじっていて

あんなにたくさんの人がいるのに

車内が妙に

しん、としているところだった。


幸せな生活が待っているはずだったのに

満員電車と

上場企業ゆえに、学歴差別も待っていた。

新入社員は僕以外はみな一流大学出身者ばかりだったのだ。

振り込まれる給料は奨学金の返済と家賃にあてると、数万しか残らない。

この生活を40年続けるのか。。。

東京の4月は、絶望の4月だった。


副業ビジネス


東京で暮らし始めて2年。

もう、嫌だ。会社を辞めたい!

そんな僕は、副業で稼ぐことを思いつく。

副業で十分稼げるようになったら、会社を辞めて好きなことをして生きるのだ。


ノマド生活


糊のきいたキングサイズのベッドから起きる。

まずはお気に入りのリビングの窓からレインボーブリッジを眺める。

すると、メイドの二乃ちゃんが搾りたてのオレンジジュースを持ってきてくれる。

「ずーくん、おはよ💗」

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ツンデレの二乃ちゃんは、最初こそ「ご主人様」と僕を呼んでいたけれど、お互いに距離を縮めてようやく「ずーくん」と呼んでくれるようになった。

「朝ご飯は、目玉焼き?それともパンケーキ?」

それにしても、二乃ちゃん、メイド服が似合いすぎだよ!


妄想はここまでにして、

現実に戻ろう。


僕は、どうにか副業で稼いでお金持ちになりたかった。

自己アフィリエイト

DRMビジネス

とにかく稼ぎたくて、いろいろなビジネスに挑戦した。

手っ取り早く稼ぎたいから、高い教材も買ったし、高いコンサルも受けた。

詐欺にもあった。

詐欺にもめげず、努力を惜しまず、ひたすら行動した。

結果、1年後、会社を辞め、本当にノマド生活を実現したのだ。


リアル ノマド生活


最高月収50万。

社畜の生活から抜け出し、広島で理想の生活を始めた。


朝、11時に起きて、宅配のピザを食べる。

1、2時間、せどりのための商品をパソコンでリサーチし、発注する。

もしくは出品作業をする。

夕方になるまでゲームかアニメを見て

夜は散歩がてらに外で夕飯を済ませ、眠くなるまでゲームとアニメと動画を見る。

何にも縛られない、自由な生活!

2週間で飽きた。

そして

半年後には

死にたくなった。


パソコン以外、誰とも話さない。

誰ともかかわりを持たない。

1日1、2時間のせどりは、物をあっちからこっちへ移動させて売るだけ。

何のやりがいも感じない。


昼に起きて、ゲームばかりして、

午前3時、寝る前に、ふと思う。

俺は一体何やってんだろう。


このまま、孤独に人生を終えるのか。


理想の生活が今までで

一番、孤独で苦しかった。


独りで、ただ生きている中で

唯一、ほんのりと光っているものがあった。


毎日何通も届く、メールボックスに

たまに1通、ほのかに光っているメールが届く。

差出人は

新田祐士。


収入を自動化して月収1000万、

秒速で1億、

そんな言葉ばかりで飾られたメールの中、

新田祐士さんのメールは

誰かのために生きること

仲間と共に生きることの喜びや感謝の温かい気持ちであふれていた。

たった1通のメールで1億稼ぐ実力もあるのに

新田祐士さんのメールはギラギラしていなくて、ほんわか温かいのだ。


思えば、ずっと一人だった。

お金持ちになることを目指してからは、ずっと一人でやってきた。

僕のノウハウを求めて人が集まっても

ノウハウをものにすると、みんな僕から去っていった。

ずっと一人で生きてきた。


そうか、

今、一番欲しいのは、仲間だ。


再出発


僕は、今、再び会社員をしている。

理想の孤独な生活の最後に、仮想通貨に手を出し、借金を背負ったのだ。


しかし、幸せだ。


2020年にTwitterを始め、現在はフォロワーが3000人いる。

フォロワーの皆さんに

無料で、ときには有料でビジネスを教えている。

相談にくる人が、本当にしたいこと、本当に幸せになることを真剣に考えながら話をしている。

相手の本当の幸せを心から願うこと。

新田祐士さんから学んだことだ。

不思議と、フォロワーさんは僕からノウハウを学んだ後も僕から去らずに

むしろ、前よりも僕を応援してくれている。

それが、一人、

また一人と

増えている。


僕の周りに、

僕が支え、僕が応援する仲間、

僕を支え、僕を応援してくれる仲間が、

いるんだ!


あったかいんだよ。


人って、

なんて

あったかいんだ。


ずっと、

ずっと

幸せを求めてきた。


母親がいなくなった時から

僕は

ずっと幸せを求めてきた。


金持ちになることだと思っていた。

周りの奴らより、稼ぐことだと思っていた。


遥かなるまわり道の向こうで

僕は、原点に帰る。


本当に求めていたのは、

普通の家族の姿。

褒められたり、怒られたり、兄弟ゲンカしたり、

温かい食卓を囲む、普通の家族。


心を、あったかくしたかったんだ。


僕は、仲間と生きている。

これからも生きていきたい。

本気でぶつかったり、本気で心配したりしながら

家族のように、

お互いの幸せを願い、喜ぶような

仲間と生きていきたい。


母親は、ずっと天国で僕を心配していただろう。

とくに、僕が孤独にあえいでいた頃は

居てもたってもいられなかったに違いない。


お母さん、

ようやく

安心したでしょう。


僕は今、幸せだよ。





以上、ずーみんさんの棺桶に入れたいお話でした。


3時間以上かけて、ずーみんさんからお話を伺いました。

長い話になりそうなので、どこかをはしょりたかったけれど、

ずーみんさんは回り道を、一つ一つ、一生懸命生きてきたから、

はしょるわけにはいかなかった。

ずっと、一生懸命のずーみんさん、素敵です。


かなり!面倒見の良いずーみんさんと

お互いに助け合い、応援し合う仲間になりたい方

ずーみんさんのTwitter


ずーみんさんが学んでいる新田さんのセミナー(オンラインバージョン

*ずーみんさんはオンラインではなく、現在リアルセミナーに参加しているそうです。

新田祐士さんのメルマガ

長い、長い物語を最後までお読みいただきありがとうございました。


私は、たくさんの方と一緒にその方の棺桶に入れたい話を書いています。

興味のある方はこちらの記事も読んでみてくださいね。

一人目の主人公 星野太一さん

二人目の主人公 中村慎太郎さん

三人目の主人公 こまきさん


毎日のように記事の感想をTwitterにあげてくださり、本当にありがとうございます。

感謝でいっぱいな京子の五郎。

ほなサイババ。










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