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前向きにと考えていても。


アイナナのOp.7のアーカイブを見て、めちゃくちゃ綺麗で、演出がすごくて、色はものすごく綺麗で、出ている演者さんたちの努力がすさまじくて、もうキャラそのまんまではないかと、感心しまくっている自分が、ふとした拍子に思うことは、やっぱりどんなに素敵で、どんなに綺麗な世界が待っていて、ものすごく楽しいことがあるのも、十分にわかっていたとしても、昔から、ぽっかりとある正反対の想いはある。


ああ、こんなに綺麗で、すごくて、楽しくて、周りの人たちは優しいのに。

もう、すべて終わりにしたいと思うこと。
それが、病気ならではの考え方なのもわかっているし、決して、それをしてはいけないこともわかっているけれど。

バランスは、思っているより、脆く。
7時起きを続けて、一ヶ月経過して、何とかがんばって、保とう保とうとしてきた一ヶ月。

病気になって、相当長いので、年数は相当なもので。
この思考が繰り返すこともよくわかっている。
一過性のものなのもわかってはいるが、毎回陥るのも本当だし、そう思うのも本当。

自分の立っている足場は、いつ崩れてもおかしくない。
ちょっとしたことで、足場は崩れるし、真っ逆さまに落ちる時も、実際、何度もあって。
その度、私はギャーギャー1人で泣いていたし、震えていたし、過呼吸にもなるし、かと言って、そのことを誰か言える訳でもなく、ただ通り過ぎるのをいつも待つしかなかった。

絶望的なことを考えていることを、知られてはいけない。
哀しむ。
平気な顔をしとくんだ。
そうやって、ずっとやってきたのだから。
我慢しなければ。
持ち堪えなくては。
それだけだった。


それでも、何もかもどうでもよく、ライブが好きでも、どこか遠くでやっているような、無の感覚にすらなるし、もはや何がどうでもよくなってくるのも、本当で。

あーあ、いつまでこの生活は続けなきゃいけないのかな。
どうして、生きていかないとダメなのかな……しんどいな、きついな。

勝手に、頭の中の思考がそうなるので、しばらくは、止まらない。

ふっと、そっち側へ傾く時があるので、正直なところ、しんどくて、きついことが多い。

落ち着くまでは、その思考は離れてくれないので。
これに、耐えられない人が、自分で苦しくて、命を絶ってしまうのではないか……と、思う。

私には、入院してた時期もあるので、そこで、かなりいろんな人を見たし、自分よりひどい人を見て、我にかえったこともあった。

心療内科、精神科、こう聞いて、どれだけの人が偏見を持つのだろうか。
私自身も、行くまでは怖いイメージしかなかったので、一般的な人のイメージは何だかわかるのだけど、通っている人は、殆どが普通の人ばかりだ。

奥さんであったり、女子高生であったり、20代、30代、40代、50代の方、はたまたおばあちゃん世代まで。
女性の病棟にいたので、当然なのだけれど。

どこにでもいる、普通の人なのだ。
そこから、学校に通っている女の子もいた。

優しすぎる人が、多いと自分は肌で感じたけれど。気の遣い方が、本当に頭ひとつ出ているというか、よく見ているし、頭が回る。
お風呂にいけば、さらっとシャンプーとリンスを貸してくれるし、自分のご飯の残りで、おにぎりを握って、中の具は、家族に差し入れしてもらったものを使う。
それを、私にくれたりするのだ。

某有名百貨店さんで、働いていた、ひとつ年下の彼女は、当時、24歳。
15歳から、ひどい躁鬱病だった。
今は、なんていうんだっけかな…。双極障害かな。

病院の中で豹柄のコートを着始めたので、私は慌てて、それをとめた。
「Kちゃん、それ必要ない必要ない。病院だから、ここ」
そう言われた彼女が、何だか嬉しそうだったのが、不思議だった。

そのことから、彼女に急激になつかれた。
彼女の喜怒哀楽は激しくて、突然怒り出したりして、ケンカをすることも、あったみたいだから、人がなぜか寄り付いていなくて、とても長身で綺麗な女の子だったので、謎ではあった。

お年寄りのお世話を焼いてあげていたり、付き添ってあげていたり。
正直、付き添いの人で、入院患者さんとは思っていなかった。

それが、私の隣の部屋に入っていくものだから、愕然としたもので。
入院患者だった………マジか。

彼女にそんな風に注意してくれる人もいなかったらしくて、私の存在は嬉しかったらしい。

175センチで、52キロしかなかった彼女。
また体重が減ったよーと言いに来たり。
15歳から、入退院を繰り返していた。
仕事も、営業さんで、めちゃくちゃ有能なのも、接しているとわかるもので。

彼女が大好きだった。

私自身が入院したのは、一ヶ月程だったので、その時は、16歳の派手な女の子と出会ったことも、印象的だった。
真っ赤な上下に、煙草を吸う女の子。
誰も注意をこれまたしにくいようだった。

私は、ヤンキーの女の子が好きだったので。
高校の頃、後ろの席の子がまさにそうで、ビビることはなかったけれど、なんというか、情に厚くて、肝が据わっていて、優しいコがが多いんだなと、その時、感じたからだ。

なので、注意することに、ためらいはなく。
自分もこっそり煙草を吸うようなタイプでもあったし→絶対そう見えないタイプらしいので、イメージは裏切るそうです。人曰く。

「そんなに煙草吸ったら、背伸びなくなっちゃうよ」そう言って、頭ををポンポンと撫でた。
164センチ、茶髪の女の子は、ポカンとして、私を見ていたと思う。

それで、あっさり彼女は煙草をやめてくれたし、さっきの彼女のように、次の日から、姉さん呼ばわりになったので、正直慌てた。

姉さんはいつから、やってたの?

いや、何もやってないし、むしろクソ真面目にしか生きてない……と、答えた。

不思議な交流をその時、したと思う。
話したいことなんて、たくさんあるけれど、この二つの出逢いは、私には大きかった。



退院して、少ししてから、仲良くしていた奥さんから電話がかかってきて(私は独身です)
とんてもない話を聞かされて。
愕然とした。

彼女が、自分のマンションの屋上から、飛び降りて、亡くなったと。
彼女は、結婚していたし、旦那さんとも仲がよかった。
住所も教えてもらっていたから、手紙を書いたこともある。

後日、先生に尋ねたら、誰がそんなことを言ったのかと憤慨していたけれど、本当ですと、ポツリと答えてくれた。

ああ、絶望とは、こういうことをいうのだ。
神様とやらは、優しいいい子から、連れて行ってしまう。
こんな生活に耐えられないと、私に呟いた時もあった。
15歳からなら入退院なんて、私には想像がつかないからだ。
半端な労力ではなく、躁状態は、躁状態でやったことを決して忘れている訳ではないから、うつに落ちた時の反動たるや、本当にひどい。
落ち込むし、自分を責めるし、想像するだけでも、怖いことだ。
彼女のお母さんは、末期の癌だったし、なんというか、余計に切なかった。

彼女の存在は、何十年経っても、褪せることはない。
ずっと、残っている。

自分を踏みとどませてくれてる何かがあるとしたら、人が亡くなると、こんなにも残された人間はダメージを追うのか…ということだった。

一ヶ月程、その時は立ち直れなかったし。
毎日、泣いていた。
彼女に会いたかった。
また話をしてみたかった。
それが、人が亡くなるということなのだと、痛感した。


それほど、人を追い込む病気です。
他人事ではないのです。
簡単に、あっさり誰もがかかりやすいです。


だから、彼女のことを考えると、生きなくては。
悔しいから。
本当に、優しい子だったから、反面、やっと解放されたのかなとも思って、複雑だった。
でも、また話したかったな。

何が書きたいかはまとまらなかったけれど、今しか書けない文章だから、書いておこうと思う。

呆気ないくらい、人はいなくなってしまう。
突然に。

齧り付いてでも、何とか生きていないとな……と、苦しい時に、このことを思い出して、いつも思う。

バランスは本当に悪いし、生きることに相当必死。
投げたくなる時もあるけど、何とか生きてる。


辛くても、しんどくても、生きてさえいれば、どうにか転がれる時がくるから。

必ず、雨は上がるし、虹も出るはず。
母の3回目のワクチン接種の予約をした時、これからは、母親に返さないとなと思った。

見捨てず、助けてくれた母に。
それだけは、強く願う。

少しずつでもいいから、やっぱり前へ。
止まってもいいから。
逃げずに、対処する事だけは、少し覚悟ができた。

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