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結局、決めたのは。

その日、私はギリギリまで悩んで、行くことを決めるはずだったけれど、本当に単純なことで、絶対行こうと考えを変えた…。

前日、なんばに行くことを、やっぱりうーんと悩んでいたのだが、母の言葉、態度。
それで、ああダメだ、行こう。
おかしくなりそうだ。

と、なりました。
というのも、私はなぜか依存されやすいタイプです。
友達も、昔、お付き合いした人も、そういう風になった人が1人ずついます。
私は、それがとてつもなく、嫌なので。
短大の頃、それで潰れてしまいました。

課題の範囲、持ってくるもの、どうしたらいいか?
とにかく何でもかんでも、前半、後半と班も分かれていたはずなのに、関係なく、彼女は家に電話をひっきりなしにかけてくるようになりました。
断るし、自分で調べて、考えて。
電話にやんわり出ない。
いろいろしたつもりでしたが、だんだんエスカレートし、私自身、高校時代にうつになったので、コントロールもきくわけもなく、見事に再発してしまいました。

昔の私は、人間関係等で、うつになって、悩んで、どうしようもできず、ダウン。
ということが、多かったのだと思います。

子供の時から、喘息で、近くの私立に通わせてもらい、そこは進学校というやつで、都道府県が描かれた真っ白な紙を帰りに渡され、全部、都道府県をうめた人から帰っていいとか。
つまり、全部書くまで、帰れません。
忘れ物をしたら、連帯責任で、雑巾がけ5周、または校庭を走るとか。
午後の授業、問題できた順から、遊んでよしとか。

だいたい、できるメンツなんて、決まってくるもので、10人程が校庭に集まって。
「何してよっか……」
なんて、話し合うことも多々ありました。

私は、頭がいいというよりも、記憶力が良かった方なので、助かっていて。
もちろん、数学とかは苦手だったので、めちゃくちゃ努力しました。
授業参観も、めちゃくちゃ静かで、兄が2人いるので、その静かさに母が驚いていたのを当時、覚えています。

親から、そう見えていても、子供は戦々恐々で、当てられるプレッシャーが半端なものではありませんでした。
非常に、怖かった……。

なので、そこで形成されてしまったといっても過言ではない、クソ真面目な性格。
完璧主義。融通の効かなさ。

私は、それが仇になったと思っています。
忘れ物するのも、怖くなりましたから。

いい学校ではありましたが、教育に関する熱がすごかった。
当時としては、移動動物園なんてものまで、やってくれていたので。
ウサギとか、ダチョウとか、檻と一緒に来るんです。
なんかこの二つしかぼんやりとしか覚えてないのですが。
ウサギは嫌がる自分に先生が抱っこしようねーと持たせたから。
ダチョウは、動物園が終わる時、走って逃げ回って、校庭を走り回り、大人の男の人が3人がかりで、必死に追いかけていたけど、ダチョウはめちゃくちゃ早くて、中々捕まらず、子供の私たちは、その様子を窓から見て。

ダチョウ、めちゃくちゃ速いな……怖っ。

そう思ったことを、ぼんやりと覚えているからです。
ダチョウ、恐るべし。

ま、そんなこんなで、とてもユニークな学校でもありましたが、英語の授業も外国の先生が通訳を連れてくるという、子供からしたら、怖さ倍増でしかない授業もあったので。
当たらないで当たらないで…金曜の1時間目にあった記憶があります。
ボールを投げてきて、取った人がこたえるみたいな。
飛んでくるな………小さな私は、ずっと怯えておりました。
ちょっとした、恐怖でした。

話が逸れましたが、私のうつの要因は、こんなところにあると思っているので、いかに、ゆるく、のんびりと、真面目になりすぎずに生きるかということは、本当に大事だと思います。

私は、融通のきかない子供でした。
サボることもしなかったし、知らなかった。
それをやるのが当たり前の環境で、育ったからです。
親も、いい点数を取ったら、喜びますよね。
子供なんて、本当に単純なんです。
褒めてくれるのが嬉しくて、私は一生懸命、勉強をしていたから。

5年の冬、先生達が止めて下さったらしいですが、喘息がひどかったので、大阪から、奈良に引っ越しました。
その学校で仲のいい子はいたし、嫌だと泣いたけれど、聞いてはもらえず、犬を飼う、自転車を買ってあげるという条件で、私は転校。
すごく、寂しかったです。
なので、大阪は本当に好きな土地です。

そこから、カルチャーショックが始まったのですが、公立の自由さ。
40分かけて、通う学校。
漢字テストをやっても、ミニ黒板の裏に答え書いてある…。
それを見に行く男子。
わいわいがやがやが当たり前。
給食当番を始めてやる。

以前は、月曜日、水曜日、業者さんがサンドイッチ等を置いていってくれて、火曜と木曜はお弁当だったのかな。
金曜日は1年から6年まで集まって、食堂でクラッシックを流しながら、なぜかカレーとか食べてた気がします。

なので、テレビで見る給食当番というものが、これか!と、白い服装を整えて、牛乳運んだり、大きなお鍋を運ぶのは、新鮮ではありました。

人間、性格なんて、そんなに変えられるものではないんですよね。
とくに、子供は。
私がそれを自覚して、少しでもゆるく、完璧主義を崩し、クソ真面目…は、やはり抜けないんですが、そこそこ力を抜く、もっと気楽に考えないと、自分が潰れてしまう、可哀想すぎる←という思考になるたのなんて、正直、ここ数年です。

元々、本が大好きで、図書室に通い、新しい学校でも、あまり馴染めず、図書室に逃げたりしていました。
そこで、読んでいた江戸川乱歩は、大好きな作家でした。
あのおどろおどろしい世界がなぜか好きで、たくさん読み耽っていました。
なので、本好きは自分のベースであり、兄の影響で、サンデー、マガジンもよく読んでいて、私の漫画と本好きは、そこで出来あがりました。
本や漫画は、自分をたくさん助けてくれた。

楳図かずお先生の漫画も、兄が読んでいて、悲鳴を上げたのですが……未だに怖い感覚残ってて、ちょっと読めない作品です。
小学生にあれは、きつすぎました。
一番怖い漫画でした。

それから、今の話に戻るのですが、真面目だと頼られます。
責任感持ってると、そこも同じです。
下手にできると、教えて、見せてが発生します。
自分がお人好しだったなら、なおさら断れず。
教えてしまいます。

そうすると、相手はもっともっととなるんですね。
これが、わからなくて。
どんどん頼られて、依存され、自分が潰れて。
うつ病が悪化。
授業がまともに聞けない、わからなくなる。
素通りする。
先生にさされても、どこをやってるか頭が理解出来なくなるから、しばらく立ち続けて、しどろもどろになって、答えるしかなくなる。
ご飯食べられない。
人の話し声が、自分の悪口を言ってるみたいに聞こえて、耐えられなくなる。
笑い声もしかりです。

これが、高校生の私に起こったうつの特徴でした。
一年、再発しなかったので、どうにかこうにか高校は出ることができました。
2ヶ月とか休んだので、行くの怖かったですけどね。
有難いことに、女子校で、友達が年賀状で、たくさん励ましてくれて、私は高校は行くことができました。

依存というのは、本当に怖いことで。

簡単に言うなら、私の母は、過保護過干渉の人です。
高校時代、友達の家によく泊まりに行きました。
泊まるのはなぜかOKだったので、逃げていました。

どこへ誰と何をするのか。

常に、私に矛先が向いていたので、めちゃくちゃしんどかったです。
少しでも遅いと、学校に電話かけちゃう人だったので、大袈裟ではなかったんです……。

なので、その矛先が今はグランドゴルフや、いいお友達がいるので、その人たちとLINEしたり、電話したり、お花を育てたり、インスタ教えたら、ハマってくれて、私より投稿数多いのも、今では有難いことではあります。

その人のなんばです。
話が長くなって、すみません。
一応、自分がうつになった顛末は必要だったので。

私がショックだったのは、うつさないでよね!
と、言われたことでした。

正論ですよね。
でも、私、グランドゴルフに行こうが、カラオケに行こうが←行ってほしくない時、ありました。
だって、こんな時ですし。
それでも、私のことで、ストレス溜まってるだろうから、行ってきなよーで、すましてました。

友達にも会いたいねーって言いながら、直ぐにコロナがひどくなるので、結局、LINEばかりで、中々会えず。
調子が良くないと、待ってくれる友達ばかりなので、感謝しきりなのですが。

うつさないでよね!

えーーーーーーマジですか。言ったこと、私、ないんですけどね。
気持ちはわかる。怖いのもわかる。
でも、なんだそれ。

私、言ったことないわーーーーーーーーーー。

キレました。
それで、危険だとか、感染するとか、どうしようとか、いろいろ考えていた頭がバーンとなりまして。

行こう、何がなんでも行こう。
もうどうなってもいいから、行こう。
腹立つわ。

というシンプルな思考に変わりました。
一生懸命、そのことをLINEで伝えて、そんなこと言ったことないよね?と。

返事が、はいはい、わかりました。
スタンプ。


あーーーーすごく腹立つ。ムカつく。なんだこれ。
悩んだ時間、返せ。

という、結論になりまして。
木曜日、しっかり就労支援に行ってきました。
電車はすいてるし、天王寺から乗り換えると、御堂筋線は、少し込んでるんですが、3駅なので、約7分もあれば、着きます。
ホームも広いです。
人も普通に動いています。
当たり前なんですけど、普通に生活があるので。

コンビニで通販で買ったクリームの支払いをして、就労支援のあるビルまで歩いて、出口を出るとすがにあるので、エレベーターを待って。

あの事件があってから、対策をされていて、インターホンを押して、鍵を開けてもらってから、入るというシステムを取ってくれています。
知らない人が入ってきたら、怖いので、入ると、鍵を閉めてくれます。
細かいけれど、大きなビルなので、これくらいはやっていないと、怖いと思います。
私も、最初は戸惑いましたが、よくやってくれているなと思っています。
逃げ場、本当にないですからね。

アンガーマネジメントだと思っていたら、説明力をつけようの授業だったので、プレゼン能力を高める講座でした。
それでも、プレゼンの仕方とか、やり方とか考え方、組み立て方は勉強になりました。
そこのスタッフさんたちは、とても優しい方ばかりなので、安心するんですね。

自分もまだ病み上がりなので、1時間受けるのが、やっぱり精一杯だなぁと思って、半分にしてもらって、帰ってきました。

母のダメージがあまりにもあったので、少し休みたくて、大好きなカフェに行き、黒みつきなこという飲み物を飲んでおりました。
友達にも、LINEで相当助けてもらいました…。
この子いて、本当に嬉しいし、助かる。
いてくれて、ありがとうの親友さんです。

それで、家には帰りました。
あとは、普段通りにしています。
大人になっとこ。
普通にしとこ。ケンカせんとこ。
それだけなので。

母も不安なだけなので、対策して、マスク二重にしてと色々言われたので、家近くで、マスク二重にするような娘です。
いや、二重めちゃくちゃ苦しいので、物理的に無理です。

そんなこんなが、顛末です。
うつの要因あり、きっかけあり、いろいろ書いたので、読んで下さった方はお疲れ様でした。

来週、また通います。
私も、こりないので。コツコツやります。

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