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自分って(2)

私の家は自営をしており、祖父からの2代目として父が家業を継いでおりました。
生真面目な父で、商売はもとより町内からも信頼もあり、町内会、祭りや行事ごとの多かった田舎だったので、その役や自衛団、青年会議所の役員など、常に肩書きも多く、いつも沢山の仲間に囲まれている···そんな父を私も幼いながらも誇りに思っていた。

私には年子の兄がおり、父は何故か兄には厳しい。まだ幼いのに手を上げる事はいつもの事で、ある時は叱って雪の積もった庭に放り投げた事もあった。
それは母が庇えば庇うほど厳しくなり、結局見兼ねた祖父、祖母が庇ってやるといった具合だ。
お酒を飲むと少し大きくなる性格もそこに付随している。
母が家事や育児を熱心にしようとすると、父はそれよりも商売を手伝えと言う。
要するに常に自分の元に置いておきたのだ。

しかし私にはいつも優しい「パパ」だったので、兄に虐められるとすぐに私はパパに告げ口しては叱ってもらっていた。それが子供ながらの知恵だったのだが、兄はそれが気に食わないのでいつも私に意地悪をする。
仲が決して悪いばかりではなく、優しい面も沢山ある兄だったのに、幼い兄の心には酷だったんだろうな、可哀想だったよな···と。父を嫌いと言い放つ兄に父はどのように映っていたのか。。。今、大人の目線で振り返ると切なくて胸が締め付けられる···。

そして大好きだったのがパパの背中。
家での仕事が終わると私を自転車の後ろに乗せて近所のお菓子屋さんへ行き、そこで大好きな「pino」を買って貰ってそれを持って公園へと散歩する時間が好きだった。
兄にはそんな思い出が一つもない。(後に聞くと、祖父がかなりその面はフォローしてくれていたようでほっとした)

私の父との良い思い出は、そのしがみついた温かくて大きな背中だった。。。

そしてそんな日々が激変したのは小学3年の夏のあの日…
次の日から夏休みという終業式の日にそれは起こった。
正確には学校から帰ってきたらそれは

「起こっていた」

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