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世論調査、大学の研究倫理審査で考えたこと…研究倫理を研究者の自己責任にするな

世論調査の電話、知らない下請け会社からかかってくるから、どこのマスコミがやっているのかわからない。おまけに自動音声で個人情報も聞く内容。これ、大学の研究倫理審査にかけたら今どきは一発アウト案件ですよ。こんなこといまだに平気で続けさせていいのかな。

何が問題かと言いますと、主にはインフォームドコンセントの問題ですね。くわしく列挙すると…

・個人情報の取り扱いだけでなく、データそのものの取り扱いが示されていない(データ管理場所、利用者の範囲、廃棄時期など)。
・そもそも自動音声いきなりなので、その場で質問しようとしても答えてもらえない。質問・苦情窓口も示されていない。
・音声だけで書面通知されないので、通知の信頼性に欠ける。
・調査実施者・責任者の氏名等が示されない。
・調査結果がどのように公開されるか示されない。

列挙してみたら、問題点けっこうありましたね…

ただ、大学の倫理審査も完璧ではなくて、それを経てきているはずなのに、本当に大丈夫かなこの調査?と思うこともあります。それで自分で調べてみたのが下記のnote記事。

これを調べてみて、トラウマを持った人たちを対象とするような、非常にセンシティブな問題を取り扱う際の調査での気をつけるべき点がはっきりしたとともに、研究倫理審査ではここまでチェックできているとは限らないなあ、と思ったのでした…

また、収穫だったのが、「大学および研究倫理委員会の責任」に言及している論文が多々ある、ということ。それはもちろん、調査対象者への責任もあるのだけれど、調査実施者(教員や院生など)の安全・健康についても、大学や研究倫理委員会はサポートする義務があるんだ、という話。

研究者にとって研究倫理審査はひどく面倒で、ときに邪魔とさえ感じることもあるかもしれない。かくいう私も最近、院生の研究倫理審査の申請を手伝ったのだが、英語院生にもかかわらず大学は英語での申請を受け付けてくれず、大変に苦労した(グローバルなんとか補助金いっぱいもらってるはずなのにな…)。

申請してから審査までに、書類の訂正がやまほど指摘されました。これは書類主義的な煩雑さも感じるところは大いにありながら、しかしある意味では調査実施が問題のないものとなるよう、倫理審査前に調査計画の練り直しと曖昧な点の明確化に結果的にはつながりました。そのため、倫理審査は「面倒」なだけではない、と理解をさせてもらったよい機会だったと言えると思います。

とはいえそれでも、そのサポートはまだ消極的な位置付けであるように思えます。というのは、先の「トラウマを持っている人たちへの調査」の例の場合は、調査者により積極的なサポートを大学ないしは研究倫理委員会が行うべきだと多くの論文が提言しているからです。

「いくつかの研究では、研究者の良好な健康は研究者だけの責任ではなく、大学や研究倫理委員会の責任であるという提言もあります。そこでは、トラウマに配慮した指導、デブリーフィング(辛い経験を詳しく話し、克服する手法)、カウンセリングへのアクセスなどの、環境的支援が推奨されています。」
(上記note記事から引用)

研究倫理審査は論文査読によく似ているように思う。ときに査読も、「ここがだめだ、あそこがだめだ」という、一方的な批判で終わることがある。そういう査読結果を受け取るとひどく落ち込み、また怒りが沸騰する(ひどいのだと「この問題はすでにマックス・ウェーバーが解決している」と一言で終わっていたリジェクト結果を受け取ったことがあります)。

なので、自分が査読者を引き受けた場合は、できるだけ「どうすればこの論文がもっとよくなるのか」まで具体的に示すようにしている。査読者は批判者やチェック者ではない。もちろんその役割もあるが、一番はその論文がどうすれば良くなるかを著者と一緒に建設的に考える「伴走者」だと私は思っているし、また下記のように、日本学術振興会の指針でもそう示されている。

「査読対象の論文のすぐれた点を評価すると共に,問題点についても建設的な立場から指摘し,改善方法などを示すこと。」 (引用:日本学術振興会「科学の健全な発展のために」編集委員会 編『科学の健全な発展のために』丸善出版、2015年【第Ⅶ章第1項第3節】、CSE's White Paper on Promoting Integrity in Scientific Journal Publications,2012 Update,2012.)

話を戻すと、研究倫理委員会、そして大学も研究者に伴走してほしいと強く願っている。でなければいつまでも煩雑な書類仕事を押し付けるだけの存在として、研究の邪魔という認識しか研究者は持てない。

先の世論調査における研究倫理のガン無視も、そうしたアカデミアの「自己責任体質」とまったく関係がないわけではないのでは、とも思ったりもします。


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