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社会人で大学院入学を希望される方へ(再掲)

以前、別のブログに書いていた内容の、加筆修正の上での再掲になります。社会人だけでなく、留学生で私の研究科・研究室に来たいという方にもご参考になるかと思います。

はじめに

ここでは、社会人で社会科学系の大学院に行きたい人向けのガイド、というよりも「注意書き」をまとめています。これまでに大学院進学をご希望される方とお話しする中で、たまに、ご期待と提供できるものの間にずれがあって、入学されてから期待外れになってしまっては申し訳ないな、と思うことがありました。そんなときは誤魔化さずに率直にお伝えするのですが、そうしたことの中で、共通的な事柄をまとめています。

なお以下の話は、2年制の修士課程(博士前期課程)、または、3年制の博士後期課程の大学院で、修士論文/博士論文を書いて修了するところを想定しています(※注1)。一部の専門職大学院では1年間で修士号取得できたり、修士論文を書かずに修了できますが、そうした大学院は対象とならない話ですので、ご注意ください。

注1:修士論文を書かなかったり、1年で修了できる場合は、修士号ではなく、「修了証明書」のみのケースが多いようです。これらの大学院は下記の1.で触れる「カルチャーセンター」に近いタイプの大学院かと思います。ただその場合、博士課程への進学へは極端に不利になりますからご注意下さい。

1.大学院はカルチャーセンターより自動車運転教習学校に近いです

これは私が一番最初にお伝えしていることです。大学院、特に博士課程というのは、現在、研究者の「普通運転免許」取得のための教習所なのです。多くの大学が、教員としての採用に必要な最低条件として、博士号の所持を挙げています。ですから多くの大学院(博士課程)では、博士号を書き上げることが、最終目的となっています。

そのため、自動車運転学校のメタファーを使うならば、細かい交通安全規則(調査方法や論文執筆のルール、研究倫理など)の習得や、運転実技(先行研究を読み、調査し、研究発表し、学術論文を実際に書いてみる)をすることが、大学院で行うもっとも重要な取り組みになります。なお修士課程では授業が開かれ、それらの単位をいくつか習得する必要がありますが、そのウエイトは修士論文の執筆に比べれば比較的小さなものかと思います。そしてそれらの授業も「修士論文にどう役立てるか」を目的としていることが多いかと思われます。

自動車学校に対して、大学院が「何ではない」かを説明するメタファーが、カルチャースクールになります。たとえば、教養を深めたい、実用的な知識を得たい、長年の経験を本にしたい、などといった目的には、大学院はそぐわないのです。それらの動機を達成するには、もっとふさわしい学習の場があるかと思います。入学(入院)する目的に、ご注意下さい。ただ、これは本記事の最後あたり「おわりに:大学院での学びから得るもの」でふれますが、大学院での学習を通じて科学研究のトレーニングを受けることで、、結果的にある種の「科学リテラシー」が身についたり、専門的な知識を理解する「枠組み」を得ることにはつながると思います。

2.修士論文、博士論文では、自分の経験をまとめない方が良いです

ご自身の個人的・社会的・職業的経験を論文にまとめたいというご希望に対して、必ずしもダメというわけではないと思うのですが、私としてはあまりおすすめしていません。

これにはいくつか理由があります。ひとつは単純に、経験談では論文にならないからです。これについてくわしくは、次の「3.論文執筆に必要なのは熱意や知識ではなく、先行研究とデータです」をご覧ください。

そしてもうひとつには、上の「1.大学院はカルチャーセンターより自動車運転教習学校に近いです」に書いたように、大学院で達成することについてのそもそもの目的が違うので、そこにこだわると論文を書くことが出来ず、時間も(学費も)浪費してしまって不幸な結果を生む可能性が高いと考えるからです。下手をすると、基本的な研究の素養も身に付かず、「経験」も中途半端な形でまとめることになりかねません。これ実は、私が自分の修士論文執筆で陥った苦い思い出でもあります。まあなんとか書き上げましたが、ツギハギ感は否めなかったです。

苦労して在学延長しても修了できれば御の字かもしれませんが、もし仮に退学してしまうことになったら、とてももったいないですね(ただそれでも在学中に学んだことの意義があれば嬉しいです。「おわりに:大学院での学びから得るもの」もご参照のこと)。ですから、あなたの長年の経験をまとめるのは、修士論文(または博士論文)をきちんと書いてから、そこで身につけたことを踏まえて、論文でもエッセイでもまとめていくことがよいのでないでしょうか。その方が、より深みのある「ふりかえり」となるはずです。

ただしこれは少し矛盾するのですが、「現場」のデータが正当な手続きに則って取得できるのであれば、それをもとにした修士論文・博士論文・学術的論文を仕上げるのは、十分に可能性があることです。当たり前ですが自分が所属している(していた)組織のことでも、好きに書いてよいわけではありません。いったんあなたは「研究者」として、その情報の取得・管理・公表をする必要が出てきます。

具体的には所属された大学院それぞれで研究倫理規定と、必要に応じ研究倫理審査を受けるプロセスがあると思いますので、まずはそれを学ばれるとよいかと思います。そうした研究倫理に注意すれば、現場のデータが活用できることは、よい実証論文を仕上げる近道になると思います。

3.論文執筆に必要なのは熱意や知識ではなく、先行研究とデータです

入学後の指導では、あなたがどんなに研究対象への熱い思いや、自身の経験を元にした現場の詳しい状況・具体例を語られても、おそらく指導教員の先生は「先行研究まとめてきて」、「データ持ってきて」、「とにかく書いてきて」しか言いません。上にも書いたように、それこそが、"ドライビングスクール" としての大学院で必要な作業だからです。

とくに社会人院生の方は、一概には言えませんが、先行研究を考察することが苦手な方も多いように見受けられます。先行研究の考察とは、あなたのその研究がどのような学術的文脈に位置づけられるのかを、説明することです。それがなければ、あなたの研究の価値を示すことが出来ません。

学問とは「巨人の肩の上に乗る」作業です。"巨人"とはこれまで科学的に自明となっていることであり、連綿たる学術的な営為の濁流です。その流れのなかであなたの研究はひとしずくとして、何を付け足すことを目的とするのかを、論文ではまず、示す必要があるのです。それが、先行研究の考察なのです。自分一人が見た世界を語るのではなく、巨人の肩の上=先行研究を踏まえての見渡せる世界、を前提に論文は書くものなのです(なので学問とは、いわば世界中の研究者との共同作業なんですね)。ここが、自分の経験だけを踏まえた「自伝」や「ルポタージュ」と大きく異なるところでもあり、それだけに苦手な方が多いのかもしれません。

4.大学院では、本ではなく、論文を読みます

3.と同じ理由で、(分野にもよりますが)社会科学系の大学院で読むものは、多くの場合、自分の研究に関連した論文が中心です。本ではありません。もちろん、関連した学術書は「参考文献」になりますが、学術書でない「一般書」や「教科書」は研究には直接使えません(ただし文化研究の場合、調査対象として雑誌などを取り扱う場合はありますが)。

もちろん、思想や理論を研究する人は、そうした古典や思想家の著述を精読しいくことが必要となるでしょう。実証的研究(何かを調査したり実験する研究)においても分析するための「理論枠組み」は重要で、何らかの理論を本から学ぶことはあると思います。調査分析方法についても教科書の形でまとめられていることがよくあります。

しかしとはいえ、たいてい入学前(あるいは入学したて)の方には、どれが学術書でどれが一般書なのか。どれがきちんとした理論書なのか。などの区別が付かないことも多いかと思います。それらは指導教員に尋ねると良いのですが、まずは論文を読んでおいた方が無難で、それらの先行研究で参照されている理論・分析手法などで気になったものを、関連書籍を通じてより深く学んでいくという順での深め方もあります。

なおそれ以外、一般的に本は、研究の合間の気分転換に読むぐらいがちょうどよいでしょう。

5.語学と調査分析手法は独学で身につけなければなりません

論文を書くためには語学(特定の国を対象とする研究ではない場合は、現在はおおよそ英語だけでもOKでしょう)や、社会科学の場合、量的か質的の調査分析手法の取得も必須です。しかし、日本の大学院、特に博士課程ではあまりそれらを丁寧に教えてくれないので、ある程度は独学で身につける必要があります。

語学については、博士課程においては、世界的な研究状況を踏まえ自身の論文を書く必要がありますので、少なくとも英語の「読み」(できれば「書き」も)が最低限必須となってきます。最近はAlの発達で、翻訳や要約のネットサービスも充実してきました。それらは上手に使えば非ネイティブにとって力強い味方になります。とはいえ基礎的な文法・単語と読みの力がなければ活用はできないでしょう。特にその専攻の学術分野で使われる専門用語や言い回しは身につける必要があります。

個人的なことを書きますと、自分は博士課程に入って新しい研究テーマに取り組んだので、英語論文を読んでも専門用語を理解できず、また日本語訳を特定するのに大変苦労しました。多くの専門用語にはすでに「定訳」があって、それを間違えて訳するとカッコ悪い、どころか、この著者は専門外の人間であると思われてしまうのです。機械翻訳だけではそれは全く分からない(適当に訳されてしまう)ので、多くの日英(あるいは他の言語)の専門論文を読んで理解していくしかないのです。

また調査技法に関しては、大学院に専門社会調査士資格取得の課程がある場合などは、修士課程の授業のなかに関連科目がいくつかあって、一定程度の(たとえば修士論文執筆のためぐらいの)知識/技術は身につけることができるでしょう。しかしこれもあくまでベースのものであるので、博士課程においては独学によってより深めていく必要があります。とはいえ最近は、大学や学会などで調査技法のセミナーが無料、または安価に開かれることも多くなりました。そうした機会への積極的な参加も検討するとよいかと思います。

6.博士号をとっても、大学教員にはなれません(涙…)

そしてこれは最後に、もっとも声を大にしてお伝えしておきたいことですが、博士号を取得しても、それだけではすぐに大学教員にはなれません。修士号では言わずもがな。小中高の教員免許と違って、博士号所持は最低基準で、後は基本的には、募集分野に見合った研究業績(主に執筆論文、それも「査読付き」が望ましい分野が社会科学では多いです)がどれだけ充実しているかが重要となります。

募集によっては実務経験や他の資格などが評価される場合もありますが、それでも最低限の募集分野の研究業績は求められます。

オープンにされている大学教員・研究者の募集情報として、科学技術振興機構が運営するJREC-IN Portalがあります。こちらでキーワードにあなたの関心ある学問分野・テーマを入力してみて下さい。そして適当な条件(職位や地域・任期の有り無しなど)で絞ってみて、その職に応募するために必要とされる学位・研究業績・その他資格や経験がどのようなものか、調べてみるとよいでしょう。だいたいどれでも、「博士号+募集分野の研究業績3点以上」は最低条件となっているかと思います。最近は英語で授業ができることといった条件の募集も増えてきました。

おわりに:大学院での学びから得るもの

こうしたことをご理解頂ければ、大学院は社会人の方にとって、とても刺激的な知的トレーニングの場となると思います。また、「教養を深める」場ではない、と書きましたが、科学的な知へのアクセス方法、理解・整理方法を身につけられるので、結果的には「視野が広がる」機会をご提供できると思います。とくに専門的に学習・研究した分野については、それなりに理解するための「枠組み」が身につくはずです。それによって、今後も関心を持ち続けて理解を深めていくための土台は身につくでしょう。なにより、その研究対象について、単なる「物知り」を超えて「解像度」が高まる経験は、他では得難いのではないかと思います。

その意味では、自動車運転学校(大学院)を修了して自動車を運転しない(研究者にならない)ことは、必ずしも意味がないわけではなく、その方にとって、その後の人生・キャリアへのプラスが必ずあると私は考えています。

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追記:希望する指導教員の研究業績の調べ方

あと、これはついでですが、大学院入学をお考えの際、入学後に指導を希望する教員の専門分野・研究内容は事前に調べておいてほしいと思います。できれば最近の論文(本ではなく)2,3本くらい目を通し、どのような研究を最近行っているかを、知っておいた方がいいかと思います。内容は全ては理解できなくても、大学の紹介サイトでは分からない、その教員の最近の関心や、研究手法を知ることができるかと思います。

指導教員の研究業績(とくに論文)の調べ方ですが、最近はネットで本文を取得できる論文雑誌も増えてきました。ただしふつうにググるのではなく、Google Scholarを使うとよいでしょう。論文専用の検索サイトです。日本語と英語で、その先生の名前を検索してみるとよいかと思います。また科学技術振興機構(JST)が運営する研究者のポータルサイトResearch mapも、研究者ごとの情報がまとめられているのでおすすめですが、あまり更新していない先生もいるのでそこは要注意ですね。

ちなみにGoogle Scholarには研究者ごとのページもあって、私自身のはこんな感じ。お恥ずかしい程度の研究内容ですがご参考まで。
https://scholar.google.co.jp/citations?user=8gyBgMwAAAAJ&hl=ja

追記その2(2023年10月31日追加)

最近ではオートエスノグラフィーと言って、自己の経験や感覚を質的データとする研究手法も、心理学や社会学などでは増えてきました。そのため、「自分の経験は論文にならない」は必ずしも当てはまらなくなってきています。ただし、オートエスノグラフィーも専門的な研究手法であることは違いありませんので、安易に自分語りをして論文になる、というわけではありません。ご注意ください。


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