クイズ歴(きっと)7年【高校生編】
はじめに(はじまる)
「abc the19th」が先日終わり、自分の「学生レギュレーション」もついにもうすぐ終わるわけで、そう考えると高校1年生のときに出会ってから7年間、7年間!? こうして競技クイズ(以下、クイズ)に触れ続けることができたのは幸せだったなと思います。はじめたころはいやになることもたびたびあって、途中できっぱりやめる可能性もあったのですが、今となっては杞憂でしたね。
もっとも、自分は「クイズに触れ続け」てきただけであって、その触れる手をもっとぎゅっと強く、「クイズを掴めた」というべき、そういう"努力"と"達成"をまだしていない気分ではあります。ではそれで後悔しているのかというと全くしていなくて、それはそれで保有する100冊近い問題集はなんなんだという話なのですが、そこらへんどういう気持ちなのかを、7年(+その前)を写真とともに1年ずつ振り返ることで整理してみたいと思います。学生レギュレーションの終わりという、クイズの世界における大きな出来事なんだから、それくらいはやってもいいでしょう。
競技クイズの前
自分は幼稚園児のころからクイズ番組が好きで、押し入れから出てきた当時のおえかきノートには「オールスター感謝祭」の問題画面の絵と「IQサプリ」のマッチ棒クイズの絵が載っていました。処分しました。
小学生のころはカードゲームを自作することにハマっていた(処分した)のでクイズの"実践"はあまりしなかったのですが、中学生になるとカードに依らずいろいろなゲームを友人と作るようになって、自分は早押しクイズを作った覚えがあります。机の真ん中に置かれた消しゴムを早く取った人に回答権が与えられる「アタック25」とか。その問題原稿(PC技術がない当時はもちろん手書き)も、もうありません。
このころは、まだ、「自分にクイズを出してくれる存在」はテレビだけでした。
高校1年生
高校に合格すると、同じ進学先である中学の友人からこんな一報が入ります。「うちの塾にクイズの集団が来たんだけど、高校の新聞部らしい」(大意)。クイズか新聞かどっちなんだ。
1週間あたえられた体験入部期間。その放課後のほぼすべてを、自分は生物室で過ごしました。新聞部は当時、この部屋の一画に3台のPCを構えていました。そのPCが置かれた机の下には、特大荷物扱いされそうなほど大きい銀色のケース。中には、
手のひらに乗るくらいの大きなボタンが5人分。
守山高校クイズ研究会。学校非認可、新聞部員有志(当時)のサークル。
とうぜん「ちっちゃくて黒い箱にちっちゃいボタンとランプが付いている早押し機を見たことがない」×「この平べったいボタンはクイズ番組でよく見る」ということで、自分はこのボタンこそが全国のまだ見ぬ強豪も駆使するスタンダードなボタンだと思っていました。このボタンを、「空が崩れ落ちてこないかと心配する……」と聞いて・押して・答えたのが、自分の「最初の競技クイズの正解」です。雑学番組で見た覚えがありました。
高校1年生は、「本屋では手に入らない問題集」というものを初めて見て、そして真似はじめたころ。自作の問題集(手書き)は、まだ処分していません。
高校2年生
当時の自分は、「クイズプレイヤーによるクイズ大会」の存在を知りません。問題集という存在が、「大会が先にあって、それのレコードとして作られた」という実態も知りませんでした。そんな自分たちにとっての最大にして唯一の「プレイヤーとしての目標」は、「高校生クイズ」の全国大会出場でした。
手が届きました……。
泊まったホテル(『機山館』じゃなかった!! 期待していたので当時はかなりショック)で関西のプレイヤーと交流。そこでお誘いいただいて、高2の1月に初めて外部のクイズ大会に参加しました。それがQuarK(関西の中高生プレイヤーの連合)の東大寺例会です。ここで初めて黒い箱にランプとボタンが付いている早押し機を見て、「ちっちゃぁ……変なボタンもあるんだな」と思いました。成績は芳しくなかったのですが、めちゃくちゃ楽しんだ覚えがあります。
衝撃的だったのは、参加者の背後のスクリーンに、なんと、クイズの得点が映っていたということ。手作りのクイズ大会ってああいう演出するんだな~(原初の経験)。
高校2年生は、クイズ大会に触れ、自分の世界がわっと広がったころ。Wordを使いはじめました。でもExcelはまだ触っていません。
高校3年生
受験生なりたての4月、自分たちの手ではじめて「守山例会」を開催しました(2016.04.17)。そのときのナンバリングは「QuarK27th」。
手作りの企画と画面。東大寺例会で印象的だった得点表示(この時点では『得点表示』と呼ばれていることも知らない)を自分でも作りたいと思い、独学でVBAをかじっていました。Excelはまだ自分のなかでは登場せず、PowerPointにマクロを埋めていたんですね。
当時は作問(といっても『はじめて知ったことを文章化する』というもので、競技クイズとは少し離れている)が"自分の趣味"として確立していて、用意された問題500問くらいの大半を作りました。たしか当時のQuarKは傾斜(決勝に近づくほど難易度が高まる、長文化することも)が主流で、守山例会の決勝も、
みたいな感じでした。いや今これ見てもわかんね~~~。ちなみにこれはマシな出来のものをピックアップしていて、答えを確定できているかも怪しいものがゴロゴロありました。でも遡及してケチをつけるほどダサいこともないので、これはこれでヨシとしましょう。
ちなみに先述の5人用ボタンはこのときも現役のままなので、当然6人以上の早押しはできず、予選の段階で45問限定7o3x[5→2]を6組、みたいなことをしていました。むしろ今やってみたいかも……。
高校3年生は、クイズ大会の「作る側」を経験し、もっと色々なクイズを実践してみたいと思いはじめたころ。
大学生編につづく。
頂戴したサポートは、よりよい作品づくりに活用させていただきます。よろしくお願いします!