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「何者かになりたい」って?

どういうことなんだろう。

こんにちは、ありゃれんです。
今回は少し人間について考えていて思ったことを書き綴ってみたいと思います。
ズバリ人間の大きな悩みの一つであろう、
「何者かになりたい」
というのが何なのか。

INFJとしての私個人の思いもあり、その辺りはいつも通り「あなたはそうなのね」と捉えていただければ。でも、悩む方に、何か届けば良いなと思っています。

そもそも「何者かになりたい」という悩み・その思いって、いつから湧いてくるんでしょうか。
例えば小さい頃、それこそ幼稚園児とか小学生の頃は、
「○○みたいなサッカー選手になりたい!」
「○○みたいな人になりたい!」
って、純粋で単純な気持ちで言ってたと思います。多分私もそう言ってたと思います。

少し成長すると、進路とか考えだして、交友関係も広がって、その中で話題も凄く多様になる。
好きな人が出来ることもあるでしょうし、
「好きな人の好み・タイプにならなきゃ」
ってあらゆる手を尽くすことも、ある人はあるかと思います。凄く良い例かもしれない。

かくいう私は…
周囲に馴染もう馴染もうとしていましたが、やっぱり何か嫌でした。
「馴染む、何かの一部・一員として認められる」っていうのは、少し違うでしょうか。
でもその時点で、自分の何かを変えようとしているわけですから、「何か」にはなろうとしている点で少し似ていると思います。

でも擦り合わせ、社会に適合ということなので、個々人の生き方やあれこれとは違い、相対的視点があるのが大きいと思います。話がズレた。

んで、大学や社会に出ると、
「何者かになりたい」気持ちに動かされて、無理して勉強したり働いたりして、体調壊すことも…
なんてネガティブな話は置いといて。
何かしら自分がやっていることで、「成し遂げたい」という気持ちが強くなることがあるのではないでしょうか。

完璧にこれをこなさなきゃいけない
これを成し遂げて昇進昇格しなきゃ
より良い立場と名誉の為にもっと頑張る

など、思い描いている像に向かってがむしゃらになる方々がいらっしゃるはず。
それを私がどうこう言うことつもりなどつゆほどもありません。でも、体を壊すまでやり過ぎないでほしい。

そのイメージが正しいと、100%言えるなら。

でもイメージって、徐々に変わっていくものですよね、というのが私の考えです。

かくいう私も、何者かになりたいと思っていたことは多分あります。


でもその「何者か」って、既にいる「誰か」のことを指してるわけじゃないと思います。

エジソンとか太宰とか、時代問わずいる有名な人になりたい、
そう思ったことはありません。

じゃあ誰を指してるの。
自分以外に何もないのでは?

私だって、「憧れの人になりたい?」って聞かれたら、
「いえ、別に・・・」(エ○カ様)
って答えます。
その人の全部なんて欲しくはないです、私がいらないものだってあるでしょうしね。たとえ推しでも。

きっと「何者かになりたい」って思ってる人は、憧れの人に似た未来の自分を指して、それを「何者か」と言っている。そんな気がします。
つまりは何かを成して、そのことで他人から認識される「わたし」。
社会的に文化的により良い生活をして、地位を持って、キラキラしている「わたし」。
家族や友人、社会からの期待を裏切らず、上昇線を辿った先の「わたし」。

それが、思い描いている「何者か」。だと思うのです。

いろーんな要素が積み合わさって、それに向かって頑張ろうとする。
あの人と同じように、これをして、あれが好きで、あそこに住んで・・・
でも、自分。

それが楽しくて、ずっとやっていられるぅ!って思えるなら、それはそれで良いかと思います。
でも自分で自分を殺すようなことになるのは別です。

あなたの、あなたとしての性質が、思わぬ方向で変わったり失われていくのは、何だか悲しい。

理想の人、憧れの人がいるのはとっても良いことです。原動力になります。
私が偉そうに「人の目なんて気にすんな」とか言うつもりはありません。

でもね、どうかあなたはあなたを大事にしてくださいな。
ありのままのあなたが好きよ。

それから、「「何者かになりたい」って言う人は何者にもなれない」って言う人、あるいはそれに似た言葉、気にしなくて良いと思います。
(その文脈はさておき。)

偉そうに言われちゃたまったものじゃありませんね?
それはただ、「認識されたい」っていう思いなんだから。
「わたし」がここにいてどんな人で何をしてるか、それを人に知って欲しいからそう言うわけで。その思いは否定なんてできません。

「俺は攻撃を行う!」(日本兵)

そこに誰かいる、何かしてる。
いいじゃんそれで。

断じてマウントや自慢などではないのですが、ちなみに私が今思う「何者かになりたい」というのは、本当に私の理想像でしかありません。
そこに「絶対たどり着いてやる!」という意志がないですが(爆)

例えば、嫌な仕事に忙殺されてご飯はいっつもコンビニか酷く適当なもの、趣味もやる気無くして刺激のない憂鬱で退屈な毎日を過ごすんじゃなくて、

程よく忙しくて面白い仕事をして、丁寧に家のことをして料理をする余裕もあって、創作意欲も無くすことのない「わたし」。
具体的にどこにいて何してるーって言うのは、赤裸々に書くつもりはありませんが、描く先にいるのは未来の「わたし」。
何かする際に人と関わっていることをイメージすると、「何者か」感が強くなるので、どんな人とどんな空気でいるか、それを大事に描いています。


何者かになりたくて努力をすることに疲れ始めたら、一度ゆっくりして、自分の声に耳を傾けてあげるのが良いと思います。

何だかありきたりな言葉しか書けないですが、
理想像を持って歩み続ける人々に幸あれ。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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