音のない叙情詩—「Rainbow Notes♪」

 あるひとが自分と同じ年齢で鬼籍に入ったことを知ったとき、どうしても私は、深く考えてしまう。もし次の誕生日まで生きられないとしたら、と。

 もちろん生きている限り、死はいつも、すぐそばにある。明日死なない保証なんて、どこにもない。わかってはいる。けれども、常に深く考えているわけではない。そんなことを考え続けていてはいまを生きることが大変だし、なにより、できることなら先送りしたい問題なのだ。つまり、棚上げにし続けているのだ。

 だから、現実に私と同じ年齢で亡くなったひとを知ると、その問題がふと目の前に降りてくる。


 神戸みゆきという女優がいた。1984年生、2008年没。現在の私と同じ24歳のときに、心不全で亡くなった。10年に満たない女優人生のなかで、数々のドラマや映画、舞台にバラエティ番組と、多くの仕事を残している。ミュージカル『美少女戦士セーラームーン』で3代目の月野うさぎ/セーラームーン役を務めたことが有名だろうか。

 私が彼女のことを知ったとき、もう彼女はこの世にはいなかった。だから、実際に彼女に会うことは叶わない。けれども、声を聞くことはできる。まさに私が最初に出会ったのは、彼女の声だった。

 彼女は2枚のシングルCDを出している。そのひとつ「Rainbow Notes♪」、1年前に初めて聴いたときから、この曲が好きだ。この曲はアニメ『マーメイドメロディぴちぴちピッチ』のオープニングテーマ曲だ。アニメの方はかすかに記憶にあるくらいなのが申し訳ないところで、アニメの主題歌は、そのアニメと併せると味わいがより深くなることはわかっている。けれど、この曲は単体で聴き入ってしまう。

 この曲のテーマをひとことで言い表せば、「日常を愛おしむ」ことだと、私は思う。明るいなかにも力強さを感じる彼女の声で詠われるのは、世界の肯定だ。けれど、ただ明るいだけではない。つらさや空虚を抱えながらも前を向こうとしている、その健気さに私は打たれる。

「未来のわたしが 道に迷った時 素直な自分を 信じてあげたいな…」「おはよう! ってリセット 心の耳をすまして 忘れてたものがきっと 見えてくる」「はじめての 別れは 涙が止まらなかった いつだって 空に虹を…探してる」

 これを歌ったとき、彼女は19歳だったろうか。このとき彼女は、自分が5年後にこの世を去るとは予想だにしなかっただろう。けれども、後の時間を生きている私は、そのことを知ってしまっている。すると、どうしても、このような歌詞には立ち止まってしまう。

「生きてる きっとそれだけで ねえ 愛を知ってる」

 生産性という言葉に代表される、生に価値を求める思想。生きている以上、社会に貢献することを義務とする、あの風潮。私はなにも、社会に貢献することが悪いとは言わない。問題は、生きていることになんらかの社会的な成果を課す、成果のない生を悪であるかのように蔑む、あの感じだ。そうではない。生きている、そのこと自体が持つ意味がある。この歌詞は、そのことを思い出させてくれる。だってそうではないか。皆が皆、生きられるわけではない。生きている、それ自体が尊いことなのだ。

「しあわせになれる人は しあわせをずっと 信じてる」

 もしかしたら、これはトートロジーのようなものかもしれない。けれど、ひとを「しあわせ」にしてくれるのは、なにも劇的なものでなくともよい。

「特別なエールじゃなく いつもの君の声が好き」

 日々の生活、その一瞬一瞬を愛おしむこと。それが、「しあわせ」への道だ。

「服を着がえて 君をむかえにゆくよ 地球(ここ)は 愛と希望の 歌があふれるワンダーランド」

 ここでの「歌」とは、文字通りの歌に限らない。「音のない叙情詩(メロディー)」。私はこれを、すべてのひとの存在、「生」そのものだと思っている。過去、現在、そして未来の「生」が、「この星」には流れている。
 たしかに、彼女はもうこの世にはいないかもしれない。けれど、こうして彼女の「叙情詩(メロディー)」が、現在を生きている私にも聴こえてくる。それはやはり「愛」であり、そして「希望」なんだと思う。

(矢馬)

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