ワーパパから見たアイデンティティと習慣

こんにちは。
3人娘を育てている、ベンチャー企業のCTOです。


「何者かになりたい」という悩み

著名な方の質問会に参加すると「自分の軸をどうやってみつけるか」といった質問をよく見聞きします。
著名人も「こういった質問はとても多い」と返しているので、実際によくある質問のようです。

そういえば自分も若い頃はそういった漠然な不安に近い悩みを持っていたことが、あったような気がします。
いまでは、家事・育児に追われているのと、自己肯定感が高いのとで、そういった悩みはすっかり思い出せなくなりましたが・・・

アイデンティティとは

アイデンティティという言葉があります。
辞書で意味を引くと以下のように書いてありました。

自己が環境や時間の変化にかかわらず、連続する同一のものであること。主体性。自己同一性。

goo辞書

自分は何者なのか、というのは、このアイデンティティを確立もしくは認識することかなと思います。

ここで大事なことは、「環境や時間の変化にかかわらず」という部分のように思えます。
他人からの評価のような、自らに関係なく変わってしまうものはアイデンティティとは言い難いようです。

アイデンティティと習慣

アイデンティティと習慣には強い関係があります。
アイデンティティは、ある面では、信念や世界観と呼べるものです。
人はアイデンティティに沿った行動をとりやすく、逆に、アイデンティティと矛盾する行動はとりづらくなります。

書籍「ジェームズ・クリアー式 複利で伸びる1つの習慣」にはこのように書いてありました。

行動を繰りかえせば繰りかえすほど、その行動に関係するアイデンティティーが強められていく。じつは、「アイデンティティー」という言葉は、もともとラテン語で「存在」という意味の「エッセンティータス」と、「繰りかえし」という意味の「イーデンティーディム」を語源としている。つまり、アイデンティティーとは、文字どおり「繰りかえす存在」のことである。

ジェームズ・クリアー式 複利で伸びる1つの習慣

繰り返しこそがアイデンティティを規定してるとのことです

習慣によるアイデンティティの強化

行動を繰り返すことで、「どうやら自分は○○な人のようだ」と思えるだけの証拠が揃ってきます。
読書をするごとに読書家になり、ピアノの練習をするごとに音楽家になり、チームメンバーを鼓舞するごとにリーダーになっていきます。
行動を繰り返すごとに、アイデンティティが強化されます。

もし「このような人でありたい」といったイメージがあるのであれば、そのイメージ通りの人であればどのような習慣を持っているでしょうか。

例えば「人に元気を与えられる人」であれば、「ポジティブな言葉を使う」「いつも笑顔でいる」といった習慣があるかもしれません。
例えば「良き父親」であれば、「子供の話をしっかり聞く」「子供に様々な経験ができるような機会を設ける」といった習慣があるかもしれません。

そういった習慣を身につけることで、アイデンティティを裏打ちする証拠が増えていき、自分は何者なのかを確立していけるようです。

目標ベースの行動は続けるのが難しい

人は、「5kg痩せる」「TOEICで800点を取る」「会社で出世する」「資格をとる」など、目標をきめて行動をとります。

これはこれで素晴らしいことだと思います。
しなしながら、目標を達成できた場合は行動理由が失われてしまいます。
また、目標を達成できない状況が長く続くと、その行動を維持する精神力もすりへってしまいます。

一方、アイデンティティベースの行動であれば、目標達成の如何に関わらず、「自分は○○をする人だ」という自己認識をもって行動を続けやすいでしょう。
たとえば「5kgやせる」ではなく「私は健康に気を使っている人間だから毎日ウォーキングをする」と考えるとよさそうです。

継続することに重きをおき、「継続の結果として目標が達成されることがある」と捉えると、物事が前に進みやすくなります。
何を達成したいかということよりも、どうありたいかということを決めることのほうが、継続にとってもアイデンティティにとっても重要なことのようです。

日本人は肩書きが好き

ここまで書いてみて、ふと感じたのですが、日本人がアイデンティティを語る際、肩書を含んでいるきらいがあります。
日本人に「何をしている人ですか?」と聞くと、「株式会社○○で課長をしています」とか「ベンチャー企業でCTOをしています」とか、肩書で返答することが多いと言われています。

肩書をアイデンティティと捉えると、たとえば会社内で出世したときに「自分は課長だぞ」といった自己肯定感は得られます。
しかし、これは辞書に書いてある「自己が環境や時間の変化にかかわらず、連続する同一のものであること。」とは異なるものです。
肩書は変化するものなので、それをアイデンティティと捉えるのは危険かもしれません。
肩書を失うことはアイデンティティも同時に失ってしまうことになるため、肩書に固執せざるを得なくなり、それによって行動が制限されることもあるでしょう。

一方、習慣をベースとしたアイデンティティを持つことができれば、それは外部要因に左右されない、確固たるアイデンティティとなりそうです。

ワーパパのアイデンティティと習慣

ワーパパは家事・育児を習慣としています。
というか、それを習慣としていないと子供が生活を送れません。

掃除、洗濯、食事の用意と後片付け、お風呂、ゴミ出し、寝床の用意、朝早く起きての朝食用意。
子供と遊び、対話し、経験を与え、教育機会を設け、ハグ。
学校や保育園の諸々の手続き、送り迎え、環境維持・改善のための父母会への参加。

ワーママもワーパパも家事・育児をすることに迷いはなく、そこにあるのは「とにかくやる」です。
毎日やっているからこそ、自分自身が「親」であることにまったくの疑念はありません。
親であることの自覚と自信は、習慣化された行動に裏打ちされているように思えます。

「何者かになりたい」という悩みに対処するには

「何者かになりたい」への一つの回答はこちらです。

  • 自分がどうありたいかをイメージする

  • そのイメージの人がとるべき行動を習慣化する

もちろん、これが唯一の回答ではないと思います。
ただ、こういった視点で捉えると得られるものがあるかなと思います。

書籍「ジェームズ・クリアー式 複利で伸びる1つの習慣」には、アイデンティティと習慣について触れたあと、具体的な習慣化への道筋について教えてくれます。
興味がある方は是非読んでみてください。

行動で示すとは(ジョジョがわかる人向け)

アイデンティティについて考えると、いつも思い出す話があります。
それは、ジョジョの奇妙な冒険 第五部の屈指の名バトル、ブチャラティ・プロシュート戦です。

アイデンティティは行動の集積であり、結果はそのアイデンティティに沿った行動の結果である。
このバトルでは、それを見事に体現していました。
この戦いが読者の胸を打つのは、それぞれのアイデンティティがぶつかり合っているからでしょう。

プロシュートの行動

ジョジョ屈指の敵役のプロシュートは、仲間のペッシの「言葉の強さに対して行動が伴わない」という未熟さに対して以下のように言います。

「ブッ殺す」… そんな言葉は使う必要がねーんだ
なぜならオレや オレたちの仲間は その言葉を頭に思い浮かべた時には!
実際に相手を殺(や)っちまって もうすでに 終わってるからだッ!
だから使った事がねェ―――ッ

ペッシ オマエもそうなるよなァ~~~~~~
オレたちの仲間なら… わかるか?オレの言ってる事… え?

『ブッ殺した』なら使ってもいいッ!

ジョジョの奇妙な冒険 第五部

オレたちチームはな!そこら辺のナンパ道路や仲よしクラブで「ブッ殺す」「ブッ殺す」って
大口叩いて仲間と心をなぐさめあってるような負け犬どもとはわけが違うんだからな

「ブッ殺す」と心の中で思ったならッ!
その時スデに行動は終わっているんだッ!

ジョジョの奇妙な冒険 第五部

ブチャラティの覚悟

一方、ジョジョ屈指のリーダーであるブチャラティは、自らの行動に迷いはありません。
以下のセリフを述べたあと、ブチャラティはリスクを負った行動をとりますが、その行動があるからこそ、このセリフに重みがでるのでしょう。

『任務は遂行する』『部下も守る』
「両方」やらなくっちゃあならないってのが「幹部」のつらいところだな

覚悟はいいか?オレはできてる

ジョジョの奇妙な冒険 第五部

現代の父親の覚悟は

ワーママ・ワーパパが以下のセリフを言ったとして、行動が伴っていれば、そこには説得力があるでしょう。

『お金はかせぐ』『子供も育てる』
「両方」やらなくっちゃあならないってのが「親」のつらいところだな

覚悟はいいか?オレはできてる


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