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料理をしない、というプライドを捨てた

私は結婚前、ほとんど料理をしなかった。
というか、できなかった。
恥ずかしながら30歳まで実家住まい。そのあと結婚するまで2年ほど一人暮らしをしていたが、その間、たぶん焼きうどんくらいしか作った記憶がない。
コンロを使うこと自体、月に1〜2回だったと思う。電気ケトルとレンジをフル活用して生きていた。

元夫と結婚した理由のひとつは、間違いなく
「料理を要求されなかったから」
だ。
まず生活時間帯が違った(私はふつうの会社員だけど、元夫は飲食店をやっていたので夕方出て行って朝方に帰ってくる生活だった)ため、夕食を共にする必要がなかった。
一緒にごはんを食べるときはたいてい外食だったし、元夫のほうが器用で料理も上手だったので、必要があれば彼が作ってくれていた。
そのことに対してもちろん感謝もしていたし、もっと言えば、プライドのようなものを持っていた。
世の中の「料理上手な女が愛される」みたいな風潮に対する、反抗的なプライドだ。
実際、結婚していると言うと驚くほど多くの人が
「へえ、じゃあ毎日ごはん作ってるんだ?」
と言ってくる。
それに対して
「いや、私ぜんぜん料理しないんですよ」
と答えるのが私の意地だった。
世間の固定観念にとらわれない、いまどきの夫婦、になりたかったのかもしれない。
こんな私でも結婚できる、と誰かに証明したかったのかもしれない。
結局離婚するときまでずっと、私は頑として「料理をしない妻」だった。

いま振り返ってみて、そのこと自体が間違っていたとは思わない。
共働き、かつ掃除洗濯の類はほぼ私がやっていたので、料理を元夫に任せていたのは悪いことではなかったと思う。何より、彼のほうが上手かったし。
ただ、今になって思うと、あまりにも「夫婦のパワーバランスを水平にする」とか「自分がありたい夫婦像に近づく」ことにこだわり過ぎて、料理をしない自分、に固執していた。
毎日フルタイムで働いて掃除も洗濯もしているのに、このうえ料理までしたら負けだと思っていた。何に?

離婚してから1年あまり経つ。
いまもまったく料理は得意じゃないしそんなに好きでもないけれど、たまには自分のために食べたいものを作る。
ごく簡単でも、食べたいものを自分で作れるというのは良いことだ。
セフレと家でごはんを食べることになれば、スーパーで買ってきてもらうこともあるし、可能なら作ることもある。
セフレと毎日の生活を共にしているわけじゃないので元夫と一緒に考えることはできないが、彼らが家で何もしなくても、私ばかりがキッチンで立ち働いていても、べつに何とも思わない。
たぶん彼らよりは私のほうが(今や)料理に慣れているし、そうである以上私が動いたほうがラクだし、何より、作ったものを食べて喜んでもらえたら単純に嬉しいからだ。
(言い訳になるけど、元夫は私が作ったものを食べてもほとんど褒めてくれなくて、それも私が料理したくなかった理由のひとつ。やっぱり「美味しい」と言ってもらえたらまた作る気になる)

結婚していたときの私は、料理をしないことそのものにこだわり過ぎて、「目の前の相手に何かをしてあげたい」という姿勢を欠いていたなと思う。
ありたい夫婦の形が先にあって、それに自分たちを合わせようと必死だったけど
本来は自分たちがお互いのことを思いやった先に、それぞれの夫婦の形がある、べきなのだ。多分。

もしもまた結婚することがあったら、そのときはもう少し、「相手のために自分が何をできるか」を柔軟に考えられる自分でいたいと思う。

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