見出し画像

好きじゃない仕事、の先にあったもの

「好きを仕事に」
「好きなことして生きていく」
などのキャッチコピーが世の中に定着して久しい。

個人的には、単純に「好きなこと」を仕事にするってなかなか難しい、と思う。どんなに好きなことでもそれが仕事になってしまえば「好き」だけでいられなくなることもあるし、逆に全然興味がなくても仕事として向き合ったことで好きになることだってある。

以前働いていた会社では、自身の仕事を振り返る指標として
「WILL(やりたいこと)」
「CAN(できること、得意なこと)」
「MUST(やらなくてはいけないこと)」
の3つが挙げられていた。
仕事との適性を考えるうえでこの3つの指標はとても有効で、転職するときにも役に立った。
10年前にいまの会社に入ったのは、それまでやっていた営業職に限界を感じていたから。そして、たまたまその時募集していたポストが自分のWILL・CAN・MUSTに一致すると思ったからである。

実際に入ってみてもその感覚に間違いはなく、職種自体はほぼ未経験だったにもかかわらず自分の強みを活かすことができたし、周りの人からの評価も高かった。
WILL・CAN・MUSTのバランスが取れている状態は仕事の幸福度につながるし、少なくとも私のような凡百の社会人にとってはそれが「好きな仕事」と言って良いのではないか、と思う。

だから入社から数年経ち、いわゆる営業職への異動が決まったときにはとてもショックだった。
日本企業の常で、スペシャリストとして入社したわけではないので(だから未経験でも採用してもらえたのだが)文句は言えない。そして今後も長くこの会社で働いていくのなら、現場を知る上で必要な異動ともいえた。
でも、嫌だった。
新卒ならいざ知らず、別の会社で営業はさんざん経験して、それが合わないし好きじゃなかったから転職したのだ。なのに何故30代も半ばを過ぎて現場に行かなくてはいけないのだ、と反発した。縁もゆかりもない地方都市への転勤までセットでくっついてきたから、尚更だった。

知らない場所で、新しい仕事をした3年間は、つらかった。好きじゃない仕事は、つらい。おまけに過去のnoteでもちらほら書いたが、上司がやべえ奴だったので職場環境も非常に悪く、周りのメンバーは次々に退職や休職に追い込まれた。そのぶんの仕事もどんどん回ってきて、ますますつらくなる、悪循環だった。

うちの会社はもともと異動スパンが短いので、もし私が病んだり、あるいはどうしようもなく業績が悪かったら、もっと早く異動になっていたと思う。
だが幸か不幸か、私はストレス耐性が人より高く、身体も丈夫で、そして目の前にやらなくてはならないミッションがあると100点は取れなくても75点ぐらいは取れてしまう性質なのだった。

二拠点生活などで心身のバランスを取りつつ、とにかく目の前の仕事をやっつけているうちに3年が経った。3年の間にメンバーはほとんど入れ替わった。やべえ上司もようやく去り、皆が穏やかに働ける環境になった。

自分自身の異動の内示が出て、好きな仕事、好きな場所に戻れると分かったとき、勿論とてつもなく嬉しかった。
同時に感じたのは、とにかく投げ出さずにやりきった、という達成感。そして、部署の状態が落ち着いたタイミングでよかった、という安堵感だった。メンバーの皆を過酷な状況に置いたまま去りたくはなかった。

いまは大阪に戻り、もともとやっていた仕事に近い部署にいる。まだ馴染んでいない部分はあるが、それでもやはり、この仕事のほうが圧倒的に自分に向いている、好きだなと思う。

営業に戻りたいとは微塵も思わない。
ただ、3年間「好きじゃない仕事」をしたことで、いままで自分では認識していなかった強みに気づけたのも事実である。
タフで意外と責任感が強く、WILLがなくとも与えられたMUSTは最後までやる(プライベートは飽きっぽいのに)、というのが私の内面的なCANだった。
そしてもちろん、現場の実情や大変さを知ったことで、以前と同じような仕事をしていても思考の幅は大きく広がっている。知識や人脈といった、業務上のCANも3年分増えた。

会社に滅私奉公する時代、歯を食いしばってつらい仕事に耐えることが美徳とされる時代、はとっくの昔に終わっている。
好きじゃないなら辞めればいい、という意見もよく分かる(私も何度となく転職を検討した)。
嫌なら辞めていい。途中で逃げても全然いい。たまたま私の場合は、好きじゃない仕事をやりきった先にちょっと違う景色が見えた、というだけの話だ。



こちらへ戻ってくることが決まったとき、思いのほかたくさんの方が惜しんで見送ってくださって、驚いた。正直大したモチベーションで働いていなかったのに、もしかしたらこの方たちは私を必要としてくれていたのかもしれない、と思うと嬉しいやら申し訳ないやらで、気持ちが忙しかった。

中でも3年間ずっとご一緒させていただいたクライアントさん(というか、社外のパートナーさんに近い)のひとりは、異動をお知らせした日にも、そして私の最終出社日にもわざわざ会いに来てくださった。
その最後の日にかけていただいた言葉が、ずっと忘れられない。

「佐久間さんは本当は、こんなところにいる人じゃないと思う。もっともっと偉くなって、大きいフィールドで活躍する人だから。だから、たまたまここにいてくれた3年間、関われた私はすごくラッキー」

つらかった3年間を全部打ち消してくれた、と思うぐらい、私にとって力のある言葉だった。


好きじゃない場所で好きじゃない仕事をしていたけれど、そこにいた人たちは、私の大好きな人たちになった。

あの人たちに恥じないよう、きょうも粛々と自分の仕事をする。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

サポートをご検討くださり、ありがとうございます!月額162円のメンバーシップで「こぼれ日記」を公開しております。もしご興味ありましたらぜひ🍶