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一秒たりとも待てないドライバー

タイの工場の立ち上げ当時は道路が整備されていないこともあり、想像のつかないほどの渋滞でした。
特に工場まであと10分くらいの距離にあった交差点の渋滞ぶりがひどく、そこから約1時間ほど待たされました。

同乗していた社員は折しも腹を下しており、後部座席で「俺は下痢していない、俺は下痢していない」呪文のようにつぶやいていて、私も彼の人間としての尊厳が損なわれないようにと心で何度も十字を切ってました。

今では1時間程度で到着する距離だが、その当時は2時間から2時間半かかることがあり8時の就業開始に合わせてホテル出発は5:20。
ホテルに帰る時間が毎日0時~2時の間だったので、睡眠時間は不十分極まりなく、今思えばよく生きていたものだと思います。

私が同乗していた車のドライバーはサングラスを掛けた寡黙な男でした。
どう見てもカタギには見えない。チンピラと言うより命令されれば抗争相手のオヤビンのタマ(生命)を取る鉄砲玉のような男。
男の名はチャイ。

彼は待つことが嫌いな男でした。主要道路で停車する気配を敏感に察知するとすぐに脇道に入ります。
土地勘のない私には、それが近道なのか判断することは出来なかったのですが、時に行き止まり、時に他人の庭を横断するようなルートは決して正しいとは思えませんでした。だが彼は毎日、愚直に同じようなことを繰り返していました。

結局、脇道に入ったとしても最後には主要道路に戻るため、また渋滞に巻き込まれます。
しかし彼はへこたれない。まだ工事中の舗装もされていない道路に向かって、さながらマリオカートのごとくハンドルを操ります。
我々は取っ手に捕まり、横揺れに対する備えを怠りません。

やがて車の流れがスムーズになると、彼は遅れを取り戻すかのように猛スピードで走りました。
一般道なのにスピードメーターは実に130km/hを超えることもしばしば。
そんな時いつも思いました。

ああ、きっと今日が命日だ。


工場には就業時間ギリギリに到着。
こんなことを毎日繰り返していて、今思い返してもよく生きていたと思います。

ある日、ワークパーミットの申請のためバンコクに行きました。
チャイさんも初めてなので他のドライバーに地図を持たせてもらったようです。
バンコクの渋滞は有名です。ここでも脇道に数回入ったけど迷走を繰り返したためさすがに諦めたようでした。
目的地へはなかなか着きません。
街並みを眺めていたらふと気づきました。

同じところ回ってね?


明らかにさっきと同じ街並みを数回見ています。
同乗者とそんなことを話していたら、チャイさんが信号待ちなどで停車するたびに確認するように地図を眺め始めました。
そのうちに、おもむろに中央分離帯のようなところの先端に車を停めました。え?ここ停めていいの??

彼は血が吹き出しそうな眼で瞬きもせず地図を凝視しています。やがてスマホを取り出しドライバー仲間に電話をかけ始めました。
こういう場所にいる、どう行けばいい?といった内容のタイ語が聞き取れました。
こいつ....。

地図読めねーのかっ!!!

それってカルテを読めない医者のようなものじゃ?
ドライバーとしての適性の問題のような気がしてきました。

結局、電話でずぅ~~~~っと話しながらドライバー仲間NAVIのお陰でなんとか到着。

ある日、チャイさんが休んだので代わりのドライバーが派遣されました。
その男は慌てない男でした。渋滞でも脇道に行くこともなく、のほほんと前の車が再び走り出すのを待っていた男でした。
男の名は


..........忘れました。

我々は焦りました。こんなスピードでは遅刻は確実です。
皆、関係者に
たぶん遅刻します、ごめんなさい、と電話していました。

車の流れがスムーズになっても彼は慌てません。
スピードメーターは80km/h近くをようやく指していて、毎日130km/hのスピードで移動することに慣らされてしまっていた我々には、そのスピードはとてもとても遅く感じられました。
まずい、これは絶対に遅刻だ。今日は朝一で関係ベンダーとの打ち合わせがあるのに。

そんなふうにして焦る我々を嘲笑うかのように、その後も彼はのほほんと運転を続け、そうして会社に到着したのはなんと就業時間15分前でした。

いつもより早いじゃないか!

チャイさんの運転がいかに効率が悪かったのかが証明された日でした。
そんなチャイさんも数年前に別のドライバーと替わっています。
今も元気でドライバーを続けているのだろうか。
そんなことをふと懐かしく思い出しました。

有り体に申し上げさせてもらえば、もう彼の運転する車に乗りたくはありません。
そして頼むから、もう戻って来てほしくないと切に願う私は間違っているのでしょうか。