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#2 幼少期のことを振り返ってみた1

最初の投稿記事

思ったより沢山の方に読んでいただき嬉しかったです。

ありがとうございます!

というわけで今日はタイトルにもある通り

幼少期

小学生になるまでについて振り返ってみようと思います。

出身は広島市の中心にある病院でした。

私の母は「子どもが出来にくい体質」と医師から言われていたそうです。


それにも関わらず、直ぐに出来たのが私で。

子どもを育てる自信がなかった母。

だけど授かった命を殺すことも出来なかった母。

できれば成長して欲しくなかったそうで。

わざと走ってみたり、冷たいお風呂に入ってみたり。

いろいろと試したけど、順調に成長。


どうやら私は、どうしても産まれてきたかったみたいです。

予定日は4月だったけど、2週間以上早く生まれました。

2540gという未熟児に限りなく近い、微妙なラインで誕生。

その日は祖父が酔っ払って母に絡んできたらしく。

母、激怒。

そのまま陣痛がきて産まれたそうです。

そんな誕生の仕方だったからか?!

ミルクも飲むのが下手。
寝るのも下手。

とにかく朝から晩まで、よく泣く子で。

その頃、父は何をしていたか?というと

職場の後輩たちと毎日毎晩呑み明かして帰ってこない。

そんな状況だったので、母は育児ノイローゼに。

今だったら完全に児童相談所案件だったと思います。

唯一早かったのはトイトレ。

1歳になる頃には、もうオムツではなくトイレに行けていたそう。

オネショも1回もしたことがない、超優良児だったみたい。

恐らく、オムツ生活が気持ち悪かったんだと思います。

トイトレはスムーズだったけど

とにかく夜泣きが酷かったらしく。

今でも寝つきは、かなり悪いほうです。

頻繁に原因不明の高熱をよく出し

入退院の繰り返し。

うーん

あまり良い思い出はないですね( ̄∀ ̄)

だけど母は母なりに一所懸命育ててくれたのだと思うから。

今となっては、両親に文句や言いたいことも特にない。

幼少期をひと言で言い表すとすれば、、、

「失敗作」

かな。

それは未だに変わらない事実だと思う。


失敗作だけど、それなりに生きてこれた。


これからも劣等感と闘いながら

表面上では、そんな様子は1ミリも出さずに生きて行くのだと思う。

振り返ってみると意外と変わってないなあ。

というのが感想。

というわけで今回は、これでおしまい。


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