見出し画像

初参加! 4年ぶり開催の伝統のお祭り

京都だけじゃない「祇園祭」

7月28日、29日の2日間、佐久穂町の中の高野町というエリアで「祇園祭」が開催されました。

この町に越してきたとき、商店街である我が家の前の通りは、祇園祭で大いに賑わうのだ、と教えてもらいました。「祇園祭って、京都だけじゃないんだ…」と驚いたことを思い出します。

調べてみると、祇園祭は京都・八坂神社のご祭神であるスサノオノミコトを祀る神社の例祭として、全国各地で行われているのですね。

こちらでは、高野町にある諏訪社という神社の氏子である4つの町(柳町、翠町、相生町、東町)が、共同でお祭りを開催します。私が住む東町は商店街でもあるため、出店が出たり、4つの町のお神輿が集まって競演したりと、特に賑やかになるのです。

コロナの影響で、こちらの祇園祭は2020年から開催されていませんでした。私は2020年春にここに来たので、噂のお祭をやっと体験できるときがきたのでした。

ちょうどよい人出、規模感のお祭り

お祭りの2日間、うちのまわりは確かに賑わいました。普段は歩いていても1人すれ違う人がいるかどうかという通りに、大人も子どももたくさん!

いわゆるテキ屋さんの屋台が4つほど。昔はもっとたくさんの出店があったそうです。
90代のおばあちゃんが頑張っている焼き鳥屋「甲の池」に、行列ができていたのが嬉しかった!

もちろん、京都の祇園祭に比べればその規模はゴマ粒みたいなものでしょう。いくら人が多いといっても、身動きとれないほどではありません。商店街の賑わいも、300mくらいの範囲に収まります。

人口密度が高い!と感じた、4町の神輿の競演の時間。
それでも、肩が触れ合わないくらいの密度です。

でも、この混みすぎていない感じ、広すぎない感じが、逆にいいなぁと思いました。

大きなお祭りだと、人をよけながら出店を端から端まで見て歩くだけで結構疲れます。一方、ここの祇園祭は何度でも往復できる距離感。歩いている間に知り合いに会っておしゃべりしたり、手をふってすれ違ったら後でまた再開したり。気の向くままにブラブラできました。

小学生の親としては、子どもがすぐに友だちを見つけ、一緒にいろんなお店を覗いたり、お小遣いで買い物したりするのを自由にさせてあげられるのがとても良い。ちょっと姿が見えなくなっても、「うちの子見なかった?」とまわりに聞けば、「あっちで花火してるよ」と教えてもらえるくらいの距離感なのです(花火は、商工会青年部のイベントで子どもたちに無料配布され、みんな大喜びでした!)。

祇園祭の屋台、それを運行する"若衆"とは

さて、祇園祭の目玉はなんといっても4つの町の山車(ここでは「屋台」と呼ばれる)の運行です。

それぞれの町の”若衆”たちが1週間ほど毎晩お囃子の稽古をし、お祭りの2日間は昼過ぎから夜中まで、演奏しながら唄いながら、屋台を引いて練り歩きます。

町の人によれば「祇園祭に雨はつきもの」。今年も激しい夕立にあいました。

実は昨年から、「祇園祭を開催するときは若衆に加わってほしい」とお誘いを受けており、今年は何名もの移住者が屋台の運行に参加していました。

私もせっかくの機会だからと迷ったのですが、小学生の子どもを置いて毎晩稽古にでかけ、お祭りの当日も夜中まで……というのは難しく、辞退しました。そして実際のお祭りの様子を見て、「うーん、これは”若衆”という名の通り、若くないと無理じゃない!?」と感じました。

屋台は左右に大きな車輪が一つずつ、後ろに小さな車輪が一つついていて、後部は人が座れるようになっています。そこに三味線の人が座り、太鼓を叩く人は屋台の内側、笛を吹く人は外で歩きながら演奏します。演奏する役目と屋台を押したり引いたりする役目とを交代しながら、そしてお酒を飲みながら、長い道のりを運行します。年齢は脇においても、足腰の強さと持久力と気力、そしてお酒の強さが求められます(もちろん、限度を超えて飲む必要はないのですが)。

いやー、大変だな……と思うわけですが、だからこそ、それをやっている人たちは格好良く、心からの声援を送りたくなります。若衆の皆さんも、祭が終わった後の達成感はひとしおでしょう。

「神事」としての祭

「若衆、無理だな」と思ってしまった、ふがいない私ですが、ちょっとだけお祭りの運営にも参加させていただきました。

こちらの祇園祭では、2日目の「本祭り」の日に、諏訪社の御神体を乗せたお神輿が町内6箇所に貼られた注連縄(しめなわ)を切って回ります。

このお神輿も車輪がついた山車です。これを引いていき、それぞれの注連縄を切るのは、各町から2人出る”氏子総代”の皆さんです。

祭が始まる際の修祓式に参加する氏子総代の皆さん。

私は自分の住む東町にお神輿が来たときに、お神輿を引くお手伝いをさせてもらいました。正直、役に立ったかどうかよく分かりませんが、合間に「自分らが若衆だったときは、もっとやんちゃしたもんだよ」みたいなお話も伺ったりして、とてもおもしろい時間でした。

「へぇ!」と思ったのは、お神輿を引いていく間にお参りを希望する人がいれば、そこで停めてお参りを受け付けるのです。私もお参りさせていただき、神主さんから榊(さかき)をいただきました。

お神輿の後ろにお賽銭箱があります。

注連縄を切る儀式も荘厳で、「お祭りって、ただみんなが集まって楽しむだけのイベントではなく、神事なんだ」ということを実感する時間でした。

祇園祭の半月ほど前から町の6箇所に貼られていた注連縄を低い位置までおろし、
神輿で運んできた鎌で切ります。

それと同時に、商店街のお店がいつもと違うメニューを出したり、商工会青年部などの企画でビアガーデンやストリートステージが催されたりと、神事とは関係ない催しもたくさんありました。真面目に神事をやりながら、たくさんの楽しい企てがなされて住民たちをつなぐ機会になっているのも、お祭りというものの良いところだなぁと感じました。

高齢化・過疎化する地域でのお祭りを続けていけるか

いま、高齢化・過疎化が進む多くの地域で、伝統行事を継承する難しさに直面しているのではないでしょうか。

ここでも、祇園祭に参加する4町のひとつである東町は、今年を含めてあと3回で、祇園祭への参加を終わりにしようという決定がなされました。東町の”若衆”の多くは、今は町外に住み、祭が近づくと地元に通って役目を果たしています。高齢化率の高い地域ゆえ、"氏子総代”のなり手を見つけるのも難しくなっています。そんな事情から、これからもずっと続けていくのは難しいと判断したのです。

少しずつですが移住者も増え、新しい店もできたりしている。けれども、まだまだ伝統をつないでいく力にまでにはなっていないと考えると、歯がゆいです。

神事ゆえに、「これが難しいなら、こう変えればいい」といった人間の都合による合理化も、なかなか難しい。ですが、変化していく世の中で伝統をつないでいくのは、何かを変えなければ無理でしょう。

「ここの祭は、こういうもんだ」と当たり前に知っている地元の人だけでなく、よそから来た人も力を貸しやすいような、そんな祭や伝統行事のあり方に少しずつシフトしていくようなことを、多くの地域で考えていくときなのではないかと思います。

(さくほ通信club 部長 やつづか えり)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?