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佐久穂町の昔の集落の暮らし 影③ 〜同じ年のお二人のお話〜

佐久穂町の西側、北八ヶ岳の裾野にある上区。その一つに影という名前の集落があります。今回は、25歳で影へお嫁にきたお二人にお話をお伺いしました。
お話を伺ったのは…

<影在住>
岡部 光恵さん(86)
岡部 のぶゑさん(86)

[佐久穂町の昔の集落の暮らし 影 〜同じ年のお二人のお話〜]
は、①〜③編まであります。
▼最初の記事はこちら
佐久穂町の昔の集落の暮らし 影①

手作りの大豆製品のお話

インタビュアー(以下 イ)「畑のお話の時に、大豆の話がでましたが、味噌や醤油を作っていたんですか。」

光恵さん(以下 み)「そうそう。味噌とか醤油にしただに。自分で作らなくも、ほら、お醤油はお醬油屋さんでやってくれるだから。うちの桶に持ってきて、時々かんまして(かきまぜて)、秋になりゃ、お醤油絞りの人が来て、やってくれただよ。」

「大豆を渡すと、何になって帰ってくるんですか。」

「もろみになってくるから、秋になると絞りに来てくれるだよ。」

のぶゑさん(以下 の)「嫁にきた当時は、味噌だってみんなやっただ(作った)から。たくさんやって。近所の女衆おんなしょうが寄ってやっただから。豆をつぶしてやったんだ。大きいお釜で煮て。私が来たときには、醤油を絞る機械があって、しゅうとさんが、みんなお醤油を絞って。」

「絞るのは力がいるから男性の仕事だったんですね。」

「そうそう。お豆腐も作ったりね。舅さんは、お正月になると生豆腐だ、凍み豆腐だって当たり前に作って。それを夜、編む(凍み豆腐を藁でつなげる)のがみんな女の人の仕事でな。手作りだとおいしかったよ。うちで豆を作ってそれをひいてくれただから。」

「昔は凍み豆腐は、どこのお宅でも作ったんですか。」

「作ったじゃない、うちは頼んだ。作ってもらってあるだよ。それで、ひと箱何連でいうわけで買っただよ。」

「それを軒先に干したんですね。そういう風景がなくなってしまうのは、寂しいですね。」


十九夜のお話

「上区の別の地区でお話を聴かせていただいた際に、念仏講のお話を聴いたのですが、影地区でもありましたか。」
                              
「念仏て、お十九夜じゅくやさんのことじゃないかい。」

「十九の夜って。おじいさんの時は、みんな、うちを回って歩いて。それで、念仏をしたらしいや。」

「家を回って念仏をする行事をお十九夜さんというんですね。行事の名前なんですね。」

「公民館ができてからは、公民館に集まってやるだけどね。」

「お堂っていうのがあるんだよね。」

「お十九夜さんの念仏を書いたやつがあってね。」

「お十九夜さんは、いつやるんですか。」

「3月の19日にやってただけど。」

「毎年やっていたけど、今はやらなくなっちゃった。」

「何を祈願して念仏を唱えるんですか。」

「お産のことだ。」

「子どものことだよ。」

「安産や子どもの成長を願ったんですね。お十九夜さんは、当番で回ってくるんですか。」

「家順で回ってくるだよ。当番の家でやったらしいだよ。みんなが家にきて。念仏をあげて、煮物なんか食べて。」

「念仏を覚えないといけないのは大変ですね。」

「そうだいな。大変だいね。」

「書いたのがあっただいね。」

「うちの息子が、新田の人が念仏をビデオに撮っておいて、見せてくれたよ。聞いてみたら、影と同じだったよ。」

「影も新田も同じ念仏だったんですね。」

「神さんは同じだだいな。影と新田の間にあるからね。」


影の集落の裏手の北側、新田地区との間にある山の手前に十九夜の石碑がありました。
当時は、石碑までの道も何本もあり、山も人の出入りが多く、お参りも頻繁に行われていたそうです。

後日、お十九夜さんについて写真を撮りに影を訪ねた際、のぶゑさんの息子さんがお話をしてくださいました。

影にまだ子どもが多かった頃は、子どもが生まれるお祝いに集落の女性が集まってお金を出し合い、安産を祈って念仏を唱えたり、お茶を飲んだりしたそうです。年に2回、春と秋のお彼岸の19日に行っていたものが、秋の頃はお百姓の仕事が忙しいため、春(3月)のみが残っていたそうです。

コロナ禍のため数年、行えていなかったのですが、今年の3月には地域の女性が集まって行ったそうです。息子さんは、「念仏の文面は、今でも残っているけれど、音声として文化をつないでいくことが難しい。影も、高齢化を進んでいるのでいずれはできなくなっていく行事ではないか。」とおっしゃっていました。 


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上区では、影以外の集落でもお祭りや集会などで、念仏講を唱えていたというお話を昨年、伺っています。

昨年度の活動はこちらから

 

影でも、信仰深かった当時の生活や、地域で子どもを大切にしていた様子が伝わってきました。
お二人の言葉のところどころに「昔は大変だった」という言葉がでてきました。それでも和やかにお話されるお二人に今のように便利ではなく仕事も多かったが、温かな地域の様子を感じることができました。

お二人の楽しいお話は、この「佐久穂町の昔の集落の暮らし 影 同じ年のお二人のお話③」で完結です。光恵さん、のぶゑさん、貴重なお話を聞かせてくださり、本当にありがとうございました。

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文 川嶋愛香


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