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古い写真を訪ね歩く 5 〜小澤正博さん・マツエさんご夫妻を訪問〜①

佐久穂町の国道141号を小海町方面に進む途中、『畑』の信号を右折して山手に上っていき、広域農道をすぎると見えてくる佐口集落。
佐口の見晴らしの良い場所にお住まいの小澤正博さん、マツエさんご夫妻を訪問した。

[古い写真を訪ね歩く 5 〜小澤正博さん・マツエさんご夫妻を訪問〜]
は、2部構成です。

ほとんどの家が馬を飼っていた佐口集落

正博さんが「写真はこれだよ。」と何枚かの白黒写真を出してくれた。
この事業で町内に配布している『集落の話の聴き手だより』に書かれた馬の記事を見てご連絡をもらったので、馬の写真が何枚もあった。

まず目を引いたのが、どこかの広場で馬が何頭も並んでいる写真。
これは競馬ですか。と尋ねると、「これは馬の品評会じゃねえかな。いつの写真って書いてあるだ。」と聞かれ裏をみると、大正5年4月と書かれていた。
「うちの父親の頃までは、馬を飼っていた。昭和になってから馬から牛になったよ。」と正博さん。「馬はこの頃、競争(草競馬)をやっていたし、馬の品評会では、おらっちの家と、上のいさおくんの家とどっちが一等だったかわからねえけど。今では、お互いにおらっちの家が一等だった、といい合って笑っているだ。」と笑いながら話す。

馬が整列している写真


別の一枚は、手綱を引いている馬の横に、もう一頭小さな馬が写っている写真。
「これは、仔馬が生まれた記念で撮ったんだろうな。」と説明してくれた。
手綱を引く男性は、畑八村はたやむらと書かれた法被はっぴを着ている。その横には、馬を見つめ微笑んでいる別の男性が写っている。仔馬は綱も何もついていない。男性は仔馬の世話をしている人なのだろうか。
写真の背景をみると、先ほどの馬が整列している写真と同じ場所で撮られたようだ。
この2枚は同じ場所ですねと聞くと、「これは、神社の記念に撮って配られた写真だろう。」と正博さん。仔馬の写真の裏には、大正5年5月11日と記されている。佐口に今もある諏訪神社の横にある広場で撮られた写真で、今もその広場があるという。
当時は馬を飼っていた人が多かったそうで、馬にまたがる姿が凛々しい写真をみても想像がついた。

仔馬の写っている写真


正博さんは、「佐口は、八千穂村の前は畑八村だった。この集落のお宮は佐口にあるが、同じ畑八村の中畑と共同のお宮だった。寄付の名前には中畑の水上家の名が結構書いてある。」と教えてくれた。
中畑区は佐口から山をくだり、現在の国道沿い付近の集落。お宮の行事のために昔の人は急な坂を歩いて登ってきていた。佐口と中畑の人々が集い、行事などで繋がりを感じた神社なのだろう。

早速、お話を伺った帰りに神社を訪ねてみた。当時の配置と同じ位置にお社が鎮座していた。間違いなくこの広場だと確信した瞬間、目に入ったものがあった。お社の傍に、馬の像が置かれた祠があったのだ。そして、神社を降りた麓に馬頭尊を見つけた。馬に関するものがこれだけあるということは、たくさんの馬がこの辺りにいたのだろう。

お社は当時の配置のまま
祠の前にある馬の像は、近年になって置かれた物だという

後日『八千穂村誌 民俗編』を確認すると、“佐口では、昭和12(1937)、13(1938)年頃まで、どこの家でも馬を飼っていた。また、8割の家で仔馬をとっていたという。”と書かれていた。今もその頃の名残が神社にあった。当時の貴重な写真から、佐口の方々が馬との暮らしを大切にしていたことが想像でき、感慨深い気持ちになった。

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文:鈴木


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