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古い写真を訪ね歩く 4 〜高見澤宝輔さん・幸枝さんご夫妻を訪問〜②
佐久穂町中心部から国道299号を十石峠方面に車を走らせしばらくいくと、田んぼが広がる日当たりの良いエリアが現れる。その畑ヶ中にお住まいの、高見澤宝輔さん・幸枝さんご夫婦のお宅を訪問した。
[古い写真を訪ね歩く 4 〜高見澤宝輔さん・幸枝さんご夫妻を訪問〜]は、2部構成です。
▼前回のお話はこちら
古い写真を訪ね歩く4〜高見澤宝輔さん・幸枝さんご夫妻を訪問〜①
当時の暮らしや戦後の地域振興の写真
宝輔さんは、畑ヶ中からみて千曲川を挟んで西側の山手のエリアである上区の生まれ、小学校は栄村の小学校へ通い、写真は『栄国民学校』と書かれた看板の前で撮られている。写真は、勤労奉仕に参加した人たちで撮影したもの。
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そのすぐ下には、昭和19年の勤労奉仕で作業した田んぼでの写真があった。この時の作業は暗渠排水という作業で、湿気る田んぼへ写真に映っている土管を入れて水を抜き、田んぼが乾くようにした。そうすることで、肥料の効果が上がったそうだ。村で今年は何の作業をするかが決められており、勤労奉仕では主にその作業をしたと教えてくれた。
冬の装いで並ぶ写真では、ほとんどの学生が黒い足袋に、ゲタの歯が高いものを履いていた。流行りだったのですか。と聴くと、「6、7cmくらいの雪であれば平気で歩ける」というのがそれを履く理由だったという。寒い冬に足袋一枚にゲタで過ごしていたことにも驚いた。
写真の具体的な場所はわからないが、同じ学校へ通う仲間で撮影したそうだ。
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少しページを進めると、気になる池の写真を見つけた。
「これは、双子池つってね、雄池と女池っていって昔話に出てくる。土地は国有林だが、うそのくちの村のみなさんが小屋を作っただよ。」と話す宝輔さんの話を聞いて「懐かしい。双子池も行かないから。もうね、1年に2回位行ってたから。」と幸枝さん。
今は車で登れるようになったので、すぐに池にたどり着ける。
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昔、パンフレットを作るということで、専門の役場の職員がいなかったため、兼務で写真を撮りに行った。それを現像して、パンフレットとして出した。その時の写真だそうで、何枚かの写真が残っていた。
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幸枝さんは、畑ヶ中で生まれ育っていて、海瀬小学校へ通学していた。当時の学校の思い出の写真も数枚出てきた。その中で目に留まったのは、川の中にある大きな岩の前で撮られた写真。
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これは、どこで撮影されたものですか。と尋ねると、「小学校6年の時、これは抜井川の石だよ、まだあるよこの石。昔の小学校は、みんなそこで写真撮ったんだよ。学校の裏だよ。」
後日現地を訪れてみると、「まだあるよ」という幸枝さんの言葉の通り、写真に写っていた岩らしきものが川の真ん中にどっしりと鎮座していた。
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最後にぜひともご紹介したいのは、幸枝さんと他2人の娘さんが橋の上に並んでいる写真。
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こちらは、古い写真をみせていただいた、川久保の宮川邦夫さんの話にも出てきた、抜井川にかかる丸太の橋。
橋をかけている石垣は立派に積み上げられており、現代のようなコンクリート技術もない頃、人々の生活を支えてきた橋がしっかりと写っていた。
そんな橋の上で、楽しそうに写真に写る3人の娘さんが初々しく感じられ、当時の日常の静かであたたかな風景を連想させてくれるようだった。
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高見澤ご夫妻には、たくさんの古い写真についてお話いただきました。
一つ一つの写真の背景を聴くことで、戦後に生きてきた人々が、時代の大きな変化に戸惑いつつも、精力的に活動していたことを写真によって証明してくれるような、そんな感覚にさえなり、貴重な時間となりました。
文:鈴木
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