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【鼎談#1】沼野恭子×工藤順×石井優貴「幻の作家プラトーノフ」

『チェヴェングール』の刊行を記念して、2022年8月6日にジュンク堂書店池袋本店でトークイベントが開催されました。
本書の訳者の工藤順さんと石井優貴さんに加えロシア文学者の沼野恭子さんをお迎えし、幻のロシア作家プラトーノフについて、そして、作品とその時代背景、世界文学的視点、翻訳について語っていただきました。その模様を3回に分けてお伝えしていきます。

■『チェヴェングール』翻訳前史

工藤 まず、作品について簡単にご紹介します。『チェヴェングール』は、1917年のロシア革命が起きた後のロシアを生きる人びとを生き生きと描きつつ、この革命がどこに行き着くのか、作家的想像力を駆使して書き尽くした作品と言えます。いちおうのあらすじは、ドヴァーノフという男が真の共産主義を求めて革命後のロシアをさまよう話、とでも言えるかと思うのですが、あらすじ以外の部分が非常に豊かな作品なので、要約してお話しすることにはあまり意味がありません。むしろ筋から離れ、一瞬だけ出てきて消えてしまう登場人物やエピソードがとても魅力的で、そういったところが忘れがたい印象を残し、最後に振り返った時に全体的な印象を形づくっています。このような作品なので、何よりもぜひご自身で読んでいただいて、感じてほしいと思います。

沼野 私はこの本の帯文を書かせていただきました。まず、この作品がどれほど素晴らしい作品かを説明しなければならないと思います。20世紀ロシア文学の「最後の砦」と言われ、日本語に訳されていなかった二大作品がありました。一つがミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』でこちらは日本語訳がありましたが、もう一つがこの『チェヴェングール』で、一体いつ翻訳が出るのか、誰が訳すのか、という話題はロシア文学者仲間でも長年期待をこめて語られていました。
 私自身ははるか昔の学生時代にこの作品に出会いました。当時、東大駒場の院生でしたが本郷にも通い、島田陽先生のロシア文学の授業にも出ていました。その時に読んだのが『チェヴェングール』だったんです。ただ、島田先生は毎年読んでいかれるので少しずつ先に進みますが、院生は1年だけなので、自分が読んでいるのがいったい物語のどの辺りなのか、最初はよくわかりませんでした。読まれた方は「あの場面ね」とピンとくるかもしれませんが、いきなり「日本人」が出てきたんです。じつは私の修士論文がロシアの文化や土壌における日本表象についての研究でしたので、『チェヴェングール』に登場した「日本人」に驚き、「これは修論の材料になるかしら」と姑息なことを考えながら読んでいました(笑)。
 それで、島田先生がいつか翻訳してくださるのかなと思っていたんです。工藤さんの「訳者あとがき」にもあるとおり、ノーベル文学賞を受賞したヨシフ・ブロツキーというアメリカに長く住んだロシア出身の亡命詩人がいますが、彼が「プラトーノフは外国語には訳せない」とあるエッセイに書いたことがあります。そのためかどうかわかりませんが、何しろ外国語にできないロシア語テクストだという評判があまりにも印象強く我々の思いの中にあったので、いったい誰が果敢な挑戦をするのだろうと思いながら待ち望んでいました。一方で、プラトーノフを研究する方が日本にもいまして、久保久子さんが博士論文を書かれたり、その後もいろいろ研究論文が発表されました。ですが、どなたもなかなかこの大作の翻訳には挑戦なさらずに今日に至ったわけです。
 私はプラトーノフの短篇「ジャン」(『プラトーノフ作品集』所収)という作品が大好きでファンでしたので、『チェヴェングール』の翻訳もずっと待っていたところ、若いお二人が、この難しい『チェヴェングール』を訳されたということで、とても驚きました。早速読んだところ、「どこが翻訳しにくいの?」と思わせるほど読みやすく訳されているではありませんか。もちろんここで「読みやすい」というのは、誉め言葉です。
 ということで、まずは何を措いても、お二人が翻訳されたことは大快挙ですので、拍手を送りたいと思います! 誰も挑戦しようとしなかったこの作品に、なぜ若いお二人が挑戦しようと思われたのか、きっかけやお二人の出会いも含めて聞かせていただけますか。

工藤 石井さんとの出会いはロシアでした。私は2013年頃にサンクト・ペテルブルクというロシア第二の町に留学していたんですが、石井さんも同じ時期に留学されていました。石井さんと知り合う前に、ヨーロッパからの留学生から「あの日本人は酒がすごく強くてヤバい奴だから、あまり近づかない方がいいよ」と言われていたんです(笑)。ですが、二人の共通の知り合いに誘われて石井さんと一緒に飲むことになってしまった。その時、石井さんは浴室でお風呂を壊したりしてました。すごい音がすると思ったら、「風呂の脚が取れちゃった」とか言って…。非常に強烈な出会いでした。当時は私も大学卒業後の進路に悩んでいた最中でしたし、こうして一緒に翻訳をすることになるなんて、当時はまったく想像もできませんでしたね。
 私は沼野先生のロシア文学ゼミ出身なのですが、沼野先生には文学の素晴らしさをずっと教えていただいていましたし、何をするにも「あら、いいじゃない」と背中を押してくださる沼野先生がいらっしゃらなければ、ずいぶん違った生き方をしていたと思います。結局大学院には進学しない選択をしたのですが、それでも何かしら文学的な活動を続けていきたいと思っていたので、「ゆめみるけんり」という同人誌を始めることにしました。そこに作品社の編集者の倉畑さんや石井さんが時々関わってくださり、それが縁として繋がって『チェヴェングール』翻訳のプロジェクトに結びついたというわけなんです。
 『チェヴェングール』の翻訳は、一人では絶対にできなかったと思います。先ほど沼野先生が話されたように、いろいろな意味での難しさがあって、それを個人的努力によって乗り越えることは無理だったと思います。翻訳中は、石井さんとの非常に綿密なやりとりに加えて、装画を作ってくださった清野公一さんに校閲もお願いし、3人で血や涙を流しながら頑張り通しました。終わってみると「楽しかったな」という記憶が残るんですが、翻訳中は私も白髪が出るくらい、本当に大変でした。

石井 本当に大変でしたね。私の方からも、自分にとっての翻訳前史的なことを少しご紹介します。私は東大駒場の出身なので、沼野先生の後輩にあたります。その駒場で、ロシア文学の平松潤奈先生の授業を受けていたときに『チェヴェングール』と出会いました。出会ったといっても有名な作品ですから、『チェヴェングール』という名前だけはすでに知っていたんですけれど、正直、それまではプラトーノフの作品にそれほど興味を持っていなかったんです。でも、『チェヴェングール』は授業ですこし読んだだけでも「すごい小説だな」と感じました。それで「早く日本語訳が出ないかな」と思ってはいたのですが、当然、自分で訳そうなんてことはまったく考えていませんでした。
 大きなきっかけになったのは、工藤さんが2018年に『不死』(未知谷)というタイトルのプラトーノフ短篇集の翻訳を出されたことです。私は『不死』が出版されたことに非常に驚きました。なにしろ、工藤さんは専業の翻訳者ではなく、言ってしまえばアマチュア活動の延長線上でそれをやったわけですから。それ以前にも、工藤さんは「皆で詩を作ろう」という文学イベントを開催されたり、同人誌での翻訳活動をされたりしていて、私もそこにお邪魔したりしていたのですが、そういう活動の集大成のような形でプラトーノフ短篇集の翻訳が完成した。しかも、工藤さんがご自分で版元を探して出版まで漕ぎつけた。私はそれにひどく驚いたんです。私自身は行動力がなく出不精で、できれば動きたくない人間なので(笑)、その行動力と熱意に驚き、素晴らしいと思いました。
 その『不死』の出版イベントに私も参加したんですが、そのイベントの少し前に、ふと「工藤さんの力を使えば『チェヴェングール』を訳せるんじゃないか」と思い浮かんだんです。難しいと言われ続けて訳書が出なかったわけですが、「若いうちに無謀なことをやっておこう」という勢いでやったら意外といけるんじゃないか、と思ったので、出版イベントの際に工藤さんに「やってみようよ」と話したんです。そうしたら、私が想像していたよりはるかに早く工藤さんが動き出してくださった。その後、編集の作品社の倉畑さんも加わり、「やりましょう!」となったわけです。

■二人はナイスペア?

石井 というわけで、私が言い出しっぺだったわけですが、やり始めたら「これは止めておいたほうがよかったかな」と思ったことが何度もありました。私は訳し始めた最初の段階が一番辛かったですね。とりあえず一旦バーッと日本語訳を作ってから、訳文を見直して2周目を作り、さらに見直して3周目、4周目くらいで完成という作業だったんですが、私は1周目がとにかく辛く感じました。工藤さんはいかがでしたか?

工藤 私は感じ方が違うかもしれません。私は仕事の合間合間にぽちぽちと訳していったので、切れ切れでも初めて見る文章に向かうのは楽しい時間でした。その後の時間の方が長くて辛かったですね。

石井 1周目は何もわからないので、私はそれが辛かったです。最初は、意味不明な文章が並んでいるのを、ただただひたすらに、翻訳にもなっていないような、日本語のような何かにしていく。その作業が辛くて辛くて、止まったりしていたんです。その間に工藤さんが担当箇所をすべて訳し終っていて、こちらとしては「信じられない!」という感じでした。「私は終わりそうにないから残りの箇所を少しあげる」ということもありましたね(笑)。そうしたら、工藤さんがそれも終わらせたというのに、私はまだ半分以上残っているという感じで。その時が一番辛かったです。

工藤 まったく前知識がない状態で始められたんでしたっけ?

石井 一度、原文全体をチビチビと読んだことはありましたが、その時も「すごそうだけど、よくわからない」という感じでした。

工藤 共訳はとても刺激的な作業でした。二人で何度も下訳を交換したんです。自分ではある程度自信をもって訳した箇所に、がんがん朱字を入れられるので正直ムカつくんですが(笑)、自分で「これだ」と思ったものが何度も覆されていくと、自分の限界を見せつけられて謙虚にもなれますし、自分の限界をどんどん超えさせてもらっているような感覚があって、最終的にはとても楽しかったです。もし外国語をやられている方がいらしたら、ぜひ一度共訳を経験してみるといいんじゃないでしょうか。あるいは仲が悪くなってしまうかもしれませんが…。

石井 トラブルはなかったですよね。

工藤 そこがすごいですよね。「いつか絶対に喧嘩するな」と危惧していたんですが、実際はなかったですね。

石井 もめたりはしましたけどね。

沼野 もめたんだ(笑)。

石井・工藤 もめましたね!

工藤 私はわりと融通をきかせるタイプなんですが、石井さんは結構厳密に見てくる。

石井 なにがどう違うのかをばーっと書き連ねて送りつけたり(笑)。

工藤 ただ石井さんは、これはこうだから違う、これはこうだからこの方がよいと、きちんと理由をつけて説明してくれるので、最終的にはお互い納得して落ち着くことが多かったです。

沼野 つまり絶妙なコンビネーションだったということですね(笑)。

工藤 どちらかが妥協する人じゃないと難しいかなとも思います。

沼野 そうですね、一人でやっていると思い込みというのもありますしね。

石井 思い込みは恐ろしいとは、実際に思いました。なにも『チェヴェングール』だからという話でもなくて、ロシア語を勉強し始めたばかりの大学1年生でも分かるような文法を間違えたりとか、肯定文と否定文を見間違えたりとか、そういうことをやっぱりやるんですよね。もちろん自分でもチェックしますが、漏れたりすることもあるので。そういったミスは、時間をかけてチェックをすれば大丈夫なもので、今回の翻訳はわりと時間を取れたこともあり、そういうケアレスミスをけっこう減らせていたんですが、締め切りがタイトだとかいろいろ事情が出てくると…。

工藤 しかも長いものとなると、他の翻訳者もきちんとできているのかどうか。

石井 それぞれ、いろいろ制約がある中でやってますからね。今回の経験で、これからは翻訳の間違いを見つけても、あまりバカにしないようにしようと思うようになりました。

工藤 他の人に優しくなれたよね。

石井 人間として成長しました(笑)。

【鼎談#2】に続く