「「終わりなき終わり」を「変容」する」プログラム


以下は、2020年8月14日に森下文化センター第一レクホールで開催された「「終わりなき終わり」を「変容」する」で配布されたプログラム文章です。布施以外が書いたものは除きます。

公演に寄せて

「新型コロナウイルス感染症による死者数が、アメリカで16万人を超えました」
「本日の東京都の感染者数は331人、全国では1443人になりました。4日連続の300人超です」
パンデミックが起こってから、日常で多くの数字を目にするようになった。16万人のアメリカの死者を想像する。できない。331人の東京都の感染者を想像する。できない。そんな無機質で大量の数字と化した人間の生と死すべてに寄り添うことなんて、できるはずがない。人生や身体は、数字に還元することができるのだろうか。わたしはそんな数字にリアリティを感じない。つまり、想像できない数字なんて、抽象に過ぎない。
数字に捉われるようになったのはパンデミックが初めてではない。「2.1万人の「いいね」」だとか「8934人のリツイート」だとか、ソーシャルネットワークを前提とした情報社会に生きる我々現代人は、想像もできない数字に、よく出会す。生とか死とか、コミュニケーションとか「いいね」とか、それは「わたし」と「あなた」という関係性を超えてもいいのだろうか。
今回上演する二つの楽曲のタイトルには、それぞれ数字が記されている。「4つのフルートのための」ならまだしも、「100台の」とか、異なる楽器をまとめて「23の」などという表記は、けっこう珍しい。100台のメトロノームは、或いは23の弦楽器は、抽象だろうか。そこに想いを馳せることはできるのだろうか。

ステートメント


「新しい」を「貧しい」にさせないために

従来の音楽体験を破壊し、音楽に携わる多くの人々を経済的窮地に立たせたパンデミックから、音楽は何を学び、何を得ただろうか。「客席はひとつ飛ばしにしましょう」「ブラヴォーは禁止です」「管楽器奏者は2メートル離れましょう」「生のほうが良いけれど、テレワークされた音楽も面白いですよ」。それだけでは失ったものの大きさに比べ、得たものがあまりに貧しい。「新しい生活様式」に則って過去が劣化された音楽体験は、真に新しいと言えるのだろうか。そもそも音楽が何を失ったのか、それを熟考するところから始めるべきだろう。
日本は現時点では幸い疫学的な被害が他国に比べれば小さなものであるし、東京にいる限りは日本の地方で起こった感染者差別やよそ者に石や卵を投げるような村八分的な言動に出会うことも少なかっただろう。世界で起こっていることの重大さに鈍感になることに、芸術は抵抗しなくてはならない。
傷付いた心を音楽で癒すこと、それは尊い行為だ。しかし音楽には、そのように現実から逃避させる対症療法として耳に快く戯れる機能だけではなく、むしろ現実と、世界と、対峙させる強い力がある。ソクラテスは音楽に「何か大きな魔力」(μεγάλην τινὰ κήλησιν) があると言った。音楽がパンデミックで失いつつあるのは、「何か大きな魔力」ではないだろうか。

音楽を「消費」から「体験」に取り戻す

かつて音楽を聴くことは非常にコストがかかる営みだった。専用の劇場を郊外に建てたワーグナーは、自らの楽劇を聴かせるため人々に移動を強いて、例えば『ニーベルングの指輪』を聴くならば一週間ほどその地に滞在せねばならなかった。私が田舎の中高生だった頃は、図書館で音楽雑誌を読んで話題の新盤を知り、ワクワクしながら電車に乗って隣街のCDショップ店に行き、帰宅してからはワクワクしながらパソコンにそれを取り込んで、さらにそれをiPodに移してからようやく音楽を楽しんだ。それが今ではどうだろう。iPhoneを数度タップすればワクワクする間もなく私が聴きたい最新の音楽を提案され、音量やバランスの変更も、気に入らない時にスキップすることも容易にできる。音楽は操作できるのだ。自動的に引き落とされる月数百円には気にも留めず、時間や移動の自由を奪われることもない。パンデミックによる外出自粛は演奏会の停止によってコストのかからない音楽聴取を急激に加速させ、SNSに高品質で操作可能な音楽コンテンツが大量に跋扈することにより音楽はインフォデミックを助長した。分割画面やスカスカの客席が空間性を曖昧にしていくと、場を支配し聴衆を服従させる「魔力」も薄れてゆく。ラテン語において「聴くことaudire」は「従うことobaudire」の語源である。あなたは一週間前に聴いた音楽を思い出せるだろうか。コストが払われず文脈から抜け出した音楽は、「消費」する「モノ」になった。
「消費」される「モノ」が「何か大きな魔力」を引き起こすことはない。芸術は、人知を超えた「体験」である。すなわち、人間の意識の内側だけで起こりうるものではない。人間の身体や外からの「暴力」 といった意識の外側が、必要不可欠である。スティーヴ・ジョブスによって音楽に触ることができるようになった指 はそれを操作可能な「モノ」にすることによって、人知を超える「体験」から遠ざけてしまった。音楽の「魔力」を発動させるために、音楽を「体験」する「コト」にするために、我々は何をすべきだろうか。

「終わりなき終わり」を「変容」する

社会学者の大澤真幸はパンデミック禍の日本社会を「終わりなき終わり」と表現した。先の見えない社会に対する不安は、多くの差別的な言動をも引き起こす。音楽が「魔力」を失っていく絶望もまた、「終わりなき終わり」である。繰り返すが、その不安を紛らわせることだけでなく、諦観の漂う絶望を根本的に変えることこそが芸術の役割ではないか。私はこのコンサートをもって、「終わりなき終わり」を「変容」させる。
場所は森下文化センター。都心から「ちょっと」遠い。都営大江戸線/新宿線「森下」駅か、都営大江戸線/東京メトロ半蔵門線「清澄白河」駅から歩かねばならない。音楽を指で触って消費する現代人にとって、操作可能なはずの音楽に自由を奪われるのは苦痛かもしれない。開場したその時から音楽は始まっている。100台のメトロノームによる雑然とした不快感の中、客席に座る。ひとつひとつ、メトロノームがそのエネルギーを失って消えていき、最後の一台が時を刻むのをやめたところで、低弦によるハーモニーが鳴り響く。演奏者と客席は平土間のホール上に点在され、全ての客席から2メートル離れたところには、必ず、演奏家がいる。音楽はスカスカの客席の遥か彼方で鳴っているのではない。観客は音楽の中に取り込まれ、その身体は音楽に束縛され、音楽を「体験」するだろう。

楽曲解説

リゲティ・ジェルジュ(1923-2006)
100台のメトロノームのためのポエム・サンフォニック(1962)

リゲティは1923年、ルーマニアにてユダヤ系ハンガリー人の家に生まれた。第二次世界大戦で家族はバラバラになり、父はアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所で、弟はマウトハウゼン強制収容所で生涯を終える。終戦後はブダペストでコダーイらに師事するが、ハンガリー動乱でウィーンに亡命。そこでシュトックハウゼンやアイメルト、ケーニヒら前衛作曲家と出会う。この頃作曲した《アトモスフェール》(1961年)や《レクイエム》(1965年)《ルクス・エテルナ》(1966年)などが、キューブリックの映画で使われたことは有名だ。《ポエム・サンフォニック》もまた、この頃「西側」で作曲された。
この作品について多くを語ることは控えたい。聴こえている通り、ゼンマイ式のアナログメトロノームが100台同時に鳴っている。テンポは50から144という指定だ。作曲家自身によって「リズムによるひとつのディミヌエンド」と言われた本作は、全てのメトロノームのゼンマイが終わったところで演奏が終わる。楽譜は五線譜ではなく、テキストのみである。楽譜には、聴衆は演奏中に静かにしなくてはいけないと書いてあるので、声を発さず、静かに聴いていただければ幸甚である(感染症対策にも嬉しい注意書きだ)。
この作品は、本来15~20分程度の演奏であるが、ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団の演奏(2015年)を参考に、今回は開場前から開演までおよそ30分程度の演奏となっている。最後にリゲティが晩年に東京で語った言葉を引用しよう。
「私は音楽を書く。それが人々に何を語りかけるかは、気にしない。ただ、消費され、最後は無に帰すたぐいの作品ではないとの自負はある」


リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)
メタモルフォーゼン 23の独奏弦楽器のための習作(1944)

音楽学者の岡田暁生は、リヒャルト・シュトラウスについて「クライマックスを一番最初にもってくる(ひらたく言えば「最初の一撃でハッタリをかます」)傾向がある」 作曲家だと述べている。リヒャルト・シュトラウスはベルリオーズの『管弦楽法』を改訂して出版したことが象徴するようにオーケストレーションに卓越し、それを最大級に肥大化させたロマン派らしい「量」の作曲家であるが、彼の音楽には、ベートーヴェンやブラームス、ブルックナー、ワーグナーらのように「量」によるカタルシスが最後に用意されているわけではない。前世紀の大作曲家たちが文字通り積み重ねてきた弁証法的な時間軸が欠如した状態で、その「量」的表層がある。彼の作品は聴衆の心を掴む圧倒的な出だしが特徴的だ。それは、冒頭がキューブリックの映画で使用された《ツァラトゥストラはかく語りき》だけでなく、《ドン・ファン》《英雄の生涯》《ばらの騎士》《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら》など多くの管弦楽曲に当てはまる。多くの作品が、岡田の言葉を借りれば「いつまで待っても、怒涛のような冒頭を凌ぐクライマックスは現れない」 し、「曲が先へ進むにつれて冒頭の力の漲りは徐々に徐々に萎えていき、最後は諦念の中で消えるように曲が閉じられる」。
彼の人生もまた、諦念の中に閉じられていったように思うのはわたしだけであろうか。多くの歌劇で人気を誇っていたリヒャルト・シュトラウスは、国家社会主義ドイツ労働党(通称ナチス)が政権を獲得した後帝国音楽局総裁に就任するが、その後の彼の人生は悲劇の連続である。歌劇《無口な女》で台本作家を務めたシュテファン・ツヴァイクをはじめとするユダヤ人たちと交遊を持ち、彼への手紙の中で政権の文化政策を批判したことで、1935年に総裁の地位を失う。また彼の息子嫁はユダヤ系であり、息子夫妻がゲシュタポに拘束されるという事態も起こった。悲劇は止まらない。シュトラウスが総裁時代に作った、娯楽音楽に対して芸術音楽の作曲家がより高い地位を持つという方針が無効になり、そのことで抗議したシュトラウスは、ナチスのゲッベルスに「それであなたの名声が上がるわけではありませんよ。明日の芸術は昨日とは芸術は違う。シュトラウスさん、あなたのは昨日の芸術なんだ」 と言われる。1945年になるとオペラ作曲家であるシュトラウスにとって思い出深い歌劇場が、まずはドレスデンとベルリン、そしてウィーン国立歌劇場までもが空爆で散る。そして終戦の一ヶ月前、《メタモルフォーゼン》の作曲が始まるのだ。
天才的なオーケストレーションによって華やかなサウンドを作り、官能的な旋律やユーモアを織り交ぜてきたシュトラウスは、《メタモルフォーゼン》において、弦楽器のみというモノクロームの素材で、23の独立したパートのための非常に複雑な音楽を作る。全編を通して登場するモティーフは、ベートーヴェンの《交響曲第3番『英雄』》第2楽章葬送行進曲の主題によるものだ。ベートーヴェンは《英雄》をナポレオンに献呈しようとしたが、皇帝即位の報せによってそれを破棄したというエピソードがある。その他のモティーフについて、音楽学者の広瀬大介氏はワーグナーの楽劇《トリスタンとイゾルデ》との関連を指摘している 。《メタモルフォーゼン》冒頭の主題には、「トリスタン和音」が登場する第1幕前奏曲の面影が漂い、第4、5ヴィオラと第1チェロで提示され展開部で何度も繰り返される主題は、第2幕で登場するマルケ王の嘆きのライトモティーフが意識されていたはずである 。和声の危機とも言われた「トリスタン和音」は音楽で描かれた崩壊であり、最も信頼していた甥トリスタンと妻イゾルデの不貞がマルケ王を嘆かせたことは物語で描かれた崩壊であると言えるかもしれない。
幾度となく登場した《英雄》のモティーフは、楽曲の終わり9小節で初めて、完全な形で演奏される。チェロとコントラバスによって演奏されるその旋律の楽譜には「In Memoriam!(=追悼!)」と記されている。このベートーヴェンの引用について、「ナポレオンとヒトラーを重ね合わせた」、「戦災で失われたミュンヘンへの追悼だ」、或いは「結果的にナチスに迎合したシュトラウス自身へのもの」など、様々な解釈がなされてきた。ともかく、最初に提示された主題が変奏され発展していくのではなく、変容しポリフォニックに絡み合ってきた主題が最後に原形を顕し、そこに収斂されていくという構造なのだ。諦念に消えていくこの構造こそがシュトラウスの音楽であり、そして彼の人生でもあるのではないか。
1945年4月12日、総譜を書き終え、その後「メタモルフォーゼン(変容)」というタイトルを付ける。5月8日終戦。翌1946年1月25日に、《メタモルフォーゼン》はチューリヒで初演される。前日の練習で自ら指揮棒を振ったシュトラウスだが、初演当日にはなぜか姿を見せなかった。
戦後は音楽局総裁の地位にあったことから裁判にかけられる。1948年に傑作『四つの最後の歌』を作曲、翌1949年死去。同世代のマーラーやドビュッシーに比べて30年以上もあとに亡くなったシュトラウスは、長く生き(すぎ)た。晩年には前衛音楽が始まっており、彼の死からたった3年後にジョン・ケージが《4分33秒》を作曲している。シュトラウスは後年のインタビューで自らを「過去の作曲家」と語った。ゲッベルスに言われたことが彼の中で反復されていたのだろうか。しかしリヒャルト・シュトラウスは現在、世界中の人々に愛され、晩年の作品も含めて高い演奏頻度に恵まれた作曲家である。

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