師走になって、ようやく自分の頑張りに気づいてきたかもしれない
最近ちらちらっと頭に浮かぶ言葉
「私ってよく頑張ってるのでは・・・?」
まだ ? は残っているものの、この言葉が、人に言われての言葉ではなく、自分の中から湧いてきている感じがする
そんな話です
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とはいえ、よく考えたら特記すべきエピソードがあるわけではなかった
いつ頃からだろう
本当、ここ1か月くらいだろうか
「よくやってるよなー自分」
「結構これってすごいことなんでは?」
という思いがよぎるようになった
何かきっかけがあったのかもしれない、けどちょっと今は思い出せない
・・・と思いつつ、noteを振り返ってみた
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11月中旬
とーっても気になる求人案件に出会った
とはいえ、場所(軽井沢!)や条件(常勤・・・)にうーんと思いつつ、でも惹かれた思いをどうにかしたいとnoteの記事に書いた
正直なところ、記事に書いた時点で応募することは決めていた
でも、その後押しをしてほしかった
そこでまさか、「占いましょうか?」とコメントをいただいた
その鑑定結果を元にした記事がこちら
改めて読み直してみた
この言葉に改めてはっとした
そう、私は
自分の知識と経験を使って、全部を使って生きたい
のだ
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実はこの求人案件、丁寧なお断りメールが届いた
丁寧な、というのは負け惜しみに聞こえるかもしれない
でも、本当にとても丁寧で、明らかに定型文ではない、私の文章を読んでいただいた上でのお返事だった
だめだったかー
そう思ったけど、不思議と落ち込まなかった
軽井沢に週1-2回通勤できるかも、という新たな生活を夢見ていたので、それが実現しなかったことは残念だったけれども
なんというか、今じゃなかったのかもな、と
きっと縁があればまた繋がれる場所かもしれない、と何となく感じたのだった
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この経験だけではないと思う
他にも、関わっている色んな活動において色んなきっかけがあった気がするし、
大好きな占いたちの言葉によってそう気づいたのかもしれない
noteや人と話すことで自己理解が進んだのもあるだろう
なんとなく、全ての経験を通じて
私は私だし、このままで大丈夫だ
今でも十分頑張っている
という感覚を得たのだと思う
・・・こう書くと、悟りを開いた人のように見えるかもしれない
が、全くもってそんなことない
常に不安が顔を出す
でも、その一方で「大丈夫だよ」と言ってくれる自分も出てきたのような感覚なのだ
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なぜだろう
そう考えると、もしかしたら
自分の知識と経験を使って全身で生きているから
かもしれない
と思った
今までは知識と経験を使って何者かになりたかった
でも今は
知識と経験を使うこと=私である
という感じ
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師走ももう後半戦
いまだに私は年明けからどう働くのか、7割くらいしか決まってない笑
年超す前にできればはっきりさせたかった
でも、とりあえず
今、この感覚が全身を使って生きている、の一つの感覚なのだろうと
そう気づけたことで
年を越せそうな気がする
・・・本当は、少なくとも年明け初日の勤務時間だけでも年内にはっきりさせたいのだけれど・・・笑
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