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働き方、ではなく、働くことと向き合うという視点

昨日書いたように、今日は院長へのプレゼンデイ
結果・・・問題なく終了!
というか、想像より随分とスムーズに話が進んだ
これも昨日の記事で書いたように、壁を高くし過ぎずに、課題を細分化した効果、なのかもしれない

***

そして、今日は年明け初の出社日
今は他事業所に研修に出させてもらっているので、所属先への出社はしていなかったのです

久しぶりに会う、同僚たち
・・・疲れている・・・
相当に疲れているのを短時間で感じた
元々人手ギリギリで回していたのに11月に1人、12月に1人(私)と減っているので当たり前と言えば当たり前なんだけど・・・

ここで感じたのが、罪悪感

先日罪悪感について記事を書いたけれど、この感覚がまたまた襲ってきた

***

働くの先にあるもの

役立つという実感

罪悪感についての記事で、コメントをいただいた
noteの師(と勝手に思っている)風井麻希さんからだった

sakさんが、働く中で感じていたい想い・感情ってなんなのか?そんなことも知りたいなって思いました

一部抜粋して載せちゃいました汗

この問いかけは、なかなか私にとって新鮮で、頭の中でリフレインしていた

何日かぼーっとしたときに思い出しては考えていて
なんとなくこれかなーと思ったのは

役に立つという実感

という言葉だった

きっと、今まで、私の中で働く=目の前の人たちに役に立っている、という公式ができていたのだと思う
特に理学療法士という職種は、目の前の患者さんから直接「ありがとう」と言ってもらえる
これはダイレクトに役立つ、を実感できる

そして、今
直接患者さんに触れることもなく、参考書を読んだり、PCと向き合っているか、スマホで検索していたり
これらの作業は役立っている、という実感を伴わない
これが、私の感じる罪悪感なのかもしれないと感じた

余白なく働くこと

そして今日、同僚たちと話してはっとした
身を粉にして働いていないこと
つまり、時間的に余白のある働き方をしていること
それ自体に罪悪感を感じているのだなと

余白なく働くこと、が私にとっての働くのスタンダードな形
にいつのまにかなっていたのかもしれない

余白だらけで働いている私は、こんなんで働くと言っていいの?
と罪悪感を抱えている

なりたい働く、はなんだろう

そんな申し訳なさを感じながら、会社を後にした
しかし、またその働き方に戻りたい、とは思わなかった
働いているという実感は得られるだろうが、失うものもあるだろう

私にとって働く、とはなんだろう
働く、のその先で感じたい思いはなんだろう
そんなことを考えながら、今もこの記事を書いている

結局、まだ答えは出ていない
出ていないけど、働くこと、それ自体に対してアンテナを立てるきっかけになったことは大進歩だと思う

今まで、働き方、にばかり目が向いていて
そもそも何で働くのか?
働いて何を得たいのか?
という視点が抜けていたような気がする

引き続き、働くことと向き合っていこうと思う

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