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訪問リハビリの現場に研修にきて、早3週間弱
明日は久しぶりに所属の診療所に出勤して、進捗共有と今後の展開について相談してきます

実は、ミーティングが金曜日に決まってから・・・
明日が来るのがずっと不安でした
というか今も

で、この不安についてちょっと考えてみました

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乗り越える壁を高く設定してしまうクセ

これは、何事にも言えることなのですが、私は自分で乗り越える壁を作ることが得意です

例えば、資料作り
普段しないことでもあるし、プレゼンの意味も込めて作るので、ちょっと気合が必要
そうなると、取り掛かるまでも時間を要します

あれとあれを終えて、心に余裕ができてから、自分の時間を邪魔されないあの空間で集中してやろう

気合を入れる作業に取り掛かる前の心の声

実際にこの環境が整えば集中して行えるのですが、問題はこの環境が整わないと着手できない、ということ

そして、新たなto doが追加されて

あれもやらないと
あれもまだやれてない

と、どんどん心が落ち着かなくなってきます

そして、ようやく〆切が迫ってきたタイミングで追い込んで終える
そうすると、心の中では

よし!!!
大仕事が完了した!!!

となるのです

この流れの何が問題なのか
私も今まで分かりませんでした
問題、という表現はしっくりこないのですが、でもこの流れだと
未知の仕事、慣れない仕事などが常に大仕事になってしまう
のです

もちろん、実際そうなんですが
実際に大変なことを
心にあえて、「大変なことやるよー」とプレッシャーをかけている感じなのです

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壁を壁と感じすぎない

以前、どなたかの記事で壁を壁と感じすぎないことの大切さ、が書かれていました
(本当は引用したいくらい気に入った記事だったのに、フォローもしてなくて突然の引用はびっくりかなとそのままにしてしまってたどり着けなくなってしまった・・・悔しい)

一読しかしていないので、ニュアンスしか覚えていないが

目の前の課題を壁として捉えると、それを乗り越えることの労力が大きくなってしまう
課題を細かく分けて、その細かい1つ1つをこなしていくことで、壁が壁でなくなる

あくまで私の中の記憶、元記事をもう一度読みたい・・・

という内容だったと思う

あー、それだ!!!
とすごいピンときた

私はたぶん課題を乗り越える壁として、何ならちょっと大げさに捉えることで今まで目標設定をしてきたのだと思う
つまり、乗り越える壁理論(いま命名した)
それがモチベーションに繋がっていたので、その戦略も間違いではない
でも、やはりこの戦略はまぁまぁ心への負荷が強い

壁を乗り越えたと思ったら、また新しい壁
いつまで経ってもなくならない・・・

そして息切れして、この課題は私には向いていなかったのかも、と別の方向を向いて歩きだす
そんなことが今までもまぁまぁあったような気がしてきた

***

新たな課題と対峙中

話戻って今、訪問リハビリの立ち上げ、という課題と向き合っている
で、明日事業のトップである院長と今後について相談する

おそらく、相談するという作業、を高い高い壁として捉えている
がゆえに、不安で心がいっぱいになっているのだと思う

明日、私はあの壁を乗り越えられるのだろうか・・・

そんな気持ちになっていた

しかし、前述したやり方で課題を小さく捉えてみたらどうだろう

・現場の見学の様子を報告する ➤ 抵抗なくできそう
・今後の展開を伝えてみる ➤ 当初の予定と変わったことを提案するので、反応が読めないが、実際にこうしないとうまくいかなそうと思っている根拠も伝えてみよう
・・・

こうやって課題を細かくしてみると、思ったよりやれそうな気がしてきた
そして、何より、相手の反応は今の時点であれこれ心配してもどうしようもないな、ということに気づいた
私が今注力するところは、私の感じたことや思いをいかに分かりやすく伝えるか、ということだけではないだろうか

***

私の中にある、不安の種
やはり見えない未来には不安がつきもの
しかし、あえてこの不安を拡げるようなことはしなくてもいい気がする
どうなるかは分からないけど、私の思っていることが他者にもうまく伝わるように
そこをゴールとして、明日の時間と向き合ってみようと思う

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