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【海外生活】アンデスのど田舎で家を作る

こんにちは、さくちゃんです。私は今アンデスのど田舎で家を作っているんですが、今回は、私が何をとち狂ってこんなことを思い立ったのかを書いていこうと思います。

前にも書きましたが、ペルーはコロナの影響で3月から厳しいロックダウンに入ったものの感染拡大をコントロールできず、ロックダウンが解除されてからも状況は悪化するばかりで、社会にはコロナへの恐怖と不安感がずっと漂っています。

一方で今まで比較的好調に推移していた経済は3月以降どかんと落ち込み、私が所属する観光業以外でも多くの人が職を失いました。都市部で職を失った人々は、感染への恐怖も手伝い農村部へと流入していて、農村部には職にあぶれた人々があふれています。

こんな先の見えない、暗~い雰囲気が漂う中、私は、ふと思い立ちました。

「そうだ、家を作ろう」

なんでやねん!

という一億総つっこみが来そうですが、こう思い立ったのには訳があるのでまぁ聞いてください。

私は人里離れたところにあるホテルに住み込んでいます。ホテル経営ですから普段はお客様がいますが、3月のロックダウン以降全ての予約はキャンセルとなり、独りきりで自主隔離をすることになりました。

人に会わない中でも、夜に泊まり込んでくれる警備員さんがいたり、村に住む友人たちがいろいろと気を遣ってくれて、差し入れしてくれたり、電話してくれたりしていたので、孤独は感じませんでした。メインの収入は絶たれましたが、ホテルの賃貸料を免除してもらえたこと(私のホテルは借り物です)、首都リマに不動産を持っているのでその賃貸料と投資のリターン、そして畑の作物で十分暮らしてはいけました。

要はコロナの影響が広がる中、私は心穏やかにこの辺鄙な場所でのスローライフを楽しんでさえいました。

そんなある日、同じホテル仲間の友人が、従業員の雇用を守るためにイチゴを1万8000株植えた、という話を聞きました。

これは私には結構な衝撃でした。「なるほど、その手があったか!」という思いと、今後生き延びていくために様々な手段を講じようとしている人たちと比べて「なんと自分は安穏と毎日を過ごしてしまったのか!」という思いです。

もちろん私も従業員が今の生活を維持するためのお金を出したりすることはやっていました。しかし今後を考えて、もしホテルをやめるとしても従業員を継続して雇用できる場所を作ったりはしていなかったし、自分自身が生きていく場を作ったりもしていなかった。

その時からようやく私は「このコロナの社会経済的影響の後、自分は何をするのか」を考え始めました。

遅い!

ですよね~。でも取り急ぎ生活への危機感がなかったので、コロナ禍が通り過ぎれば今まで通り観光業を続けていくのだから、今のところは

新しいランチメニューを開発したり、

SNSに力を入れたり、

苦手な英語を頑張ろう、

とか、そういう「一つの未来とそれに向けた努力」の方向しか考えていなかったんですね。将来観光業を続けるかどうかに関わらず、別の選択肢を今のうちに作っておこう、という考えにはなっていなかったんです。

もう一つの衝撃的な出来事は、村で親しくしていた方の自死でした。

私がよく畑の作物を売りに行っていたお店の店主さんで、いつも明るく応対してくれるいい方だったんです。

自死に至った本当の理由は分からないものの、どうやら借金返済が滞っていて、それを苦にしたものと考えられます。

彼は2つお店を持っていて、前の村長さんでもあり、豊かな親戚も多く、なんでそんな状況で借金が。。。と思いましたが、村に住む友人によれば、村人に非合法でお金を貸す人がいて(要はマフィアみたいな)、法外な利子を取り、借りてしまった村人はその後は火の車になって、入ってくるお金は全て利子返済に充てられるような状況になるとか。コロナで村の経済も停滞し、皆が自給自足&節約に向かう中、商業に特化していた人の生活が極端に苦しくなっていたようです。

ど田舎なので、農業に従事することで食べてはいけるけれども、現金収入が細るとやっぱり生活は厳しくなる。当たり前のことが急に身に染みて感じられるようになりました。

コロナで動きは制限されるけれど、やっぱりお金が動かないといけないな。そのためには「今」私に何ができるんだろう。

そう考え始めた私に、ぱっとひらめいたのが

「そうだ、家を作ろう!」

ということでした。

前述したように、私のホテルの建物はレンタルで他にオーナーさんがいます。今はありがたいことに賃貸料免除でとりあえず住んでいていい、と言って頂いていますが、ホテルの事業を再開するか否かに関わらず、いつかは必ず支払いの義務が発生します。

一方で私には「いつか家を作ろう」と思って購入しておいた土地がありました。その「いつか」は本当に「いつか」で、全く以っておぼろげな夢でした。

でも「いつか」家を作るのであれば、それが「今」であってもいいよね。

ふとその考えが頭にもたげたのです。

「今」であれば、

仕事がない人に少しでも仕事を作ることができる。

「今」であれば、

材料を購入したりすることで人々にお金が落ちる。

「今」であれば、

普段忙しい私もじっくり取り組める時間がある。

なんだ、いいことずくめじゃないか!

また、今後自分が観光業以外で何をするのかは決まっていないものの、何をするにしても自分の拠点は絶対必要です。設備投資をするのであれば、借りている場所に投資しても仕方がない、自分の物件を持つべきですし、借りている場所の条件がいつ変わるかも分からない。であるならば、自分の今後の安定のためにも拠点はあった方がいい。

村の人々のためにも、私のためにもなる、Win Winのプロジェクト。これはやらない手はないな!

もう一つ、「家を作る」という考えを後押ししてくれたのは、村の友人たちでした。

彼らは私が「家を作ろうかと思う」と相談すると、皆心から喜んでくれました。

「あなたもようやく村の一員になるのか」

と。

なるほど、そういうことか。

彼らの喜びの言葉を聞きながら、私には妙に腑に落ちたのです。

私はこの村に血縁も地縁もありません。

ふらっと3年前にやってきて、博物館に住み着き、隣の建物を借りてホテルをやり始めたよそ者です。

もともと言葉には不自由しませんでしたし、どんな人とも分け隔てなく付き合える性格なので、村で友人を作るのは早かったと思います。博物館の館員たちを起点に、自分なりに村の中でネットワークを作ってきたと自負しています。

そして、この村でおそらくずっと生きていくんだろうな、とも思っていました。

でも血縁、地縁のない私は、村人にとっては、いつ何時いなくなるやも分からない一時的な存在だったのだな。

それは彼らにとってもちょっと寂しいことだったのだろうと思います。

私が「家を作る」と決めたことは、この地に踏ん張って生きていく、ということを示していて、それは何よりも今まで作ってきたネットワークが永続的なものに変わった、ということで、そのことを友人たちは何よりもことほいでくれたのです。

今まで、なんとなーくふわふわとこの村に住んでいた私の気持ちは、これで固まりました。私はこの村に家族はいないけれど、家族同様の友人たちがいて、皆が私を助けてくれる。私も皆を助けよう。喜怒哀楽を共にしよう。

その証に家を作ろう。

この思いが、すとんっと胸に落ちて、よし!と決断することができました。

家を作る作業は始まったばかりで、これらも色々とトラブルがあるでしょう。まぁ、そういうトラブルを楽しめる心の余裕はずっと持っていたいと思います。

家づくりの様子は、Youtubeの私のチャンネルで進捗を公開していますので是非ご覧頂ければと思います。

ここまで読んで下さってありがとうございました!

頂いたサポートはコロナで仕事を失った民芸品製作者の皆さんに還元させて頂きます。応援よろしくお願い致します!