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【スローライフ】アンデスのど田舎ってどんな感じ?

こんにちは、さくちゃんです。

私は兵庫県西宮市の出身ですが、実家は有馬温泉近郊で、犬と思ったらイノシシだったってこともあるような田舎です。東京に住んだこともありますが、正直都会の暮らしが肌に合わず、ペルーの首都リマに住んでいた時はわざわざ緑の多いラ・モリーナという地区に住んでいました。

そんな田舎者で田舎大好きな私、ここレイメバンバに引っ越すと決めた時は「なんでまた、そんな田舎に。大丈夫なの?」と多くの友人に心配されましたが、私自身は久しぶりの田舎暮らしにワクワクしていました。

とはいえ、レイメバンバはペルーの中でも田舎中の田舎。田舎慣れしている私でも「むむむ」と思うようなこともあります。今回はアンデス山中のど田舎ってどんな感じか、レイメバンバを例にお伝えしたいと思います。

1.基本的にお金がない

村に来てまず困ったのが、銀行やATMがないこと。これはまぁ驚かないんですが、Agenteと呼ばれる雑貨店などで銀行の一部サービスを利用できるものが国営銀行(Banco de la Nación)のものしかない。これにはびっくり。

一番近い町のチャチャポヤスでも、ペルー四大民間銀行の支店はBCP(Banco de Credito)しかなく、後は国営銀行か小さなCajaと呼ばれる地方銀行です。私のメインバンクはBBVA(Banco Continental)なので、当然お金がおろせない。会社の口座をBCPで作るまでは、車で8時間ほどの遠くの町まで行ってお金をおろしてくるという無駄なことをしていました。

国営銀行の口座があれば村のAgenteでお金をおろせるのか、と言えばそうではなく、なんと大体100ソル(約3000円)まで。酷い時には一人一日50ソル、なんてこともありました。これはそもそも雑貨店に現金がないからなんです。

村の雑貨店の多くはツケで商品を販売しています。月に一度支払いを受けたり、払えない時は分割にしたりします。これはレストランもそう。単身で外から来ている警官や教師などはレストランで三食いくら、と契約して食べていて、月末にまとめて支払います。なので、毎日お金が入ってくるわけではなく、更に入ってきたお金はすぐに別の支払いに回されるので、Agenteでお金を引き出そうにも元手がない、ということになります。

10数年前に道路が整備されチャチャポヤスの町までの交通アクセスが良くなるまで、そもそも村にはお金があまり流通していなかったそうです。当時主流だったのは「物々交換」、ケチュア語でTrueque(トゥルエケ)と呼ばれる習慣でした。

トゥルエケは、必要なものを大体価値が同じになる量で交換するものです。例えばジャガイモ一袋とコカ半袋、といった具合。レイメバンバから車で30分のジェルバブエナという所の日曜市場はごく最近までトゥルエケで商品のやり取りをしていたことで有名です。

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*ジェルバブエナの家畜市場

このコロナ禍の中で一つ良いことがあったとすれば、このトゥルエケの習慣が戻ってきたことでしょうか。移動が止まってしまったので、今までわずかながらも流通していたお金も止まってしまい、必要なものを入手するのに人々は物々交換をやり始めました。

私も近所の人たちとトゥルエケをして、今までお金で買っていたジャガイモや牛乳などを交換で入手するようになりました。幸い私も畑をやっていたので、レタスやニンジンなど畑の作物と交換したり、車を持っているので代わりに荷物を運んであげたり。近所さんと交流ができるので、私にはとてもありがたい習慣です。

2.そもそも物がない

レイメバンバに来てみて「なんと町には物があふれていることか」と思いました。

例えば日常的に使うマヨネーズやケチャップのようなもの。どこを探してもない時があります。なくても困らないから仕入れないんでしょうが、欲しい時に手に入らないとちょっと不便です。

鶏肉などの肉類。ない、どのお店にもない、というのが日常茶飯事です。肉類はがっつり骨付きで売られていて、店頭にある時に例えば鶏一羽丸ごと買ってきて、解体して小分けにして冷凍しておきます。

豚肉や牛肉はもっとひどくて、お店にないことが多いので飼育している人にいつ屠殺するのか聞いて、そのタイミングで購入したりします。もちろん500gなんて単位で売ってくれないので、5kgくらい買ってきて、これも冷凍しておきます。

野菜などもあまり種類がありません。この辺りで育てていない野菜、例えばセロリやパプリカなどは海岸部からやってきます。なのでストライキや土砂崩れなどで海岸部との交通手段が途絶えると野菜類もなくなります。

工事をする時の資材なんかも基本的に注文して取り寄せてもらうことになります。私は車があるので、コロナ以前は自分で町まで行って購入してきていました。今の家づくりでは、コロナで自由に行き来ができない上に購入する物が大きいので、取り寄せてもらっています。

それ以外にも、段ボールやビン類、ビニール袋や紐など、普段ゴミと見なされるものすらない。意外にこういったものはあると便利なので、町で物を買った時についてくるビニール袋や紐などは大切にとっておいてリサイクルします。

物がないならないで十分生活していけるし、あるものをできる限り有効利用しようとするので、これは田舎暮らしのいい点でありますね。

3.ネット環境はおろか、携帯電話の電波も届かない

レイメバンバの村にはペルーのキャリア3社の電波が届きますが、私のホテルがあるエリアは最大手Movistar1社しか入らず、しかもものすごく電波が悪い。幸いにも博物館でWifiを使っていてホテルの方にも拡張してもらえたので大丈夫ですが、携帯電話だけでは通話はできるもののネットが全く入りません。

携帯電話が普及し始めたのはここ5年くらいの間、とのこと。それまでは携帯電話がない生活で、何か知らせたいことがあれば直接行って話すか、誰かに伝言を頼んでいたそうです。

面白いのが、例えば谷を挟んだ山の向う側にいる人に伝えたいことがある場合、「大声で呼ぶ」ということをしていて、今も時々そうしている人を見かけることです。「お昼ご飯できたよ~」とか「薪を持ってきて~」とか、単純な内容が多いですが、村人は携帯電話でかけるより早くて確実だと思っています。もちろん声出しにコツがあって、私なんぞが大声を出しても聞こえません(笑)。

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*左の畑から私がいる所まで大声で会話したりします(笑)。

余談ですが、このコロナ禍の中ペルーでは3月以降学校が遠隔授業になっています。ZOOMなどの機能を使ってネット上で授業を受けたり、テレビで授業を受けることもできますが、この地方ではそのどちらも現実的でなく、なんとラジオでの授業が中心となっています。補足は先生からWhatsappというLineのようなアプリで送られてくるそうですが、そもそもスマホを持っている家庭も限られていて、更に親が文盲である家庭は親によるフォローもできず、授業についていけなくなる子供が大量に出ています。

コロナによって、都会にいる子供たちとの教育格差は広がるばかり。電波やネット環境の不備はこういった点に深刻に影響しています。

4.電気もない

これはペルー全体にいえることですが、電力供給が不安定で停電がよくあります。電力の供給地点で落雷や大雨があるとてきめんに停電になります。なので使わない電気機器のコードは必ず抜いておくようにしていますし、非常用の充電式懐中電灯やろうそくは常備しています。

私のホテルにはもちろん電気がきていますが、実は博物館の周辺で電気があるのはここだけです。ここは村から離れたところなので、博物館が設立されるにあたり、博物館を運営するNGOのセントロ・マルキが資金を出して電線をひきました。その際、博物館で使用する電力だけを想定していたので、ご近所さんが電気をそこからひこうとすると博物館の電圧が下がってしまうのです。

ではご近所さんはどうしているのかというと、ソーラーパネルを使用しています。エコエネルギーですね。私が家を作っている場所にも電気がきていません。なので同様にソーラーパネルを使用することになります。

ペルーではこうした僻地の農村に対し、農業省などが最低限のソーラーパネルを配布したり、低利子で融資したりして電化を進めるプロジェクトを行っています。照明や電話を充電したりすることができる程度のものですが、私もしばらくはこうしたプロジェクトのお世話になって、最低限の電力で過ごすことになりそうです。

5.怪我・病気には呪術師

村には病院はありませんが診療所があって、子供たちの予防接種や家族計画の指導などを行っています。ただ最低限の機能しかないので、大けがや重病の場合は町の大きな病院に移送されます。

病院に頼る、ということがない村人たちは、多くの場合、何か健康不安がある場合はCurandero(クランデーロ)を頼みます。

ペルーでは呪術師のことをクランデーロといいます。失せ物を見つけたり、誰かを呪ったり、ということもしますが、その多くは病気を治す、村のお医者さんの機能を果たしています。

村人と病気の話をしている時、よく「Susto(びっくりしたり怖い思いをすること)を受けた」ということを聞きます。これは病気の原因の一つで、何か怖い思いをした時にそれが原因で悪い気を吸い込んで病気になるという考え方です。なのでその悪い気を祓うためにクランデーロの所に行くんだそうです。

同様に、極端に恥ずかしい思いをした時も病気の原因になるそう。病は気から、といいますが確かにちょっとした不調の場合はお祓いで効果があるのかもしれません。

また、多くの場合クランデーロは食事療法や薬草類のスペシャリストでもあります。なのでお祓いに加え「このハーブを飲むといい」とか「ジャガイモのゆで汁を飲みなさい」とかの指導があるから効果が出ているのでしょう。

クランデーロに限らず、村人たちは大抵の薬草を知っています。腹痛、頭痛、ちょっとした切り傷などはその辺のハーブを使って治してしまいます。私も「お腹壊した~」なんて時は村人から教わったハーブをお茶にして飲んだりします。それがまた普通に効きます。

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*ムーニャと呼ばれるアンデスミント。消化を助け胃腸を強くします。

この村に来て暮らし始めてとても健康になった私ですが、それもそのはず、オーガニックの健康新鮮野菜を毎日食べているだけでなく、いろんなハーブを日常的に摂取しているからだと思います。

こうした民間医療も捨てたもんじゃないですね。

6.助けてもらわないと生きていけない

私が住むレイメバンバは人口4000人ほどの村ですが、ほとんどが知合いで家族関係も濃厚です。友人と一緒に村を歩いていると、道行く人のほとんどが叔父さんやいとこ、ということがあります。誰かが誰かにつながっている、という関係は、中にいる人には便利ですが、外からやってくると輪の中に入っていくことができずに結構困ります。

これは「仲良くしてもらえない」という単純な話ではなく、コミュニティの中に協力者がいないと生活していけない、という死活問題でもあります。

町であれば、○○したければ✖✖に行けばいい、という情報がすぐに入手できます。例えば水道工事をお願いしたければ、ネットで探してもいいでしょうし、昔であれば電話帳のようなもので広告を見つければよかった。又は関連してそうな所、例えばホームセンターで訊く、ということもできるでしょう。

でも村では水道工事を誰ができるのか、つてがないと分からない。さらに言うと、できると言われてもその人が信じられるのか、腕は確かかが分からないし、料金はいくらくらいなのか、そもそも仕事を受けてくれるのかどうかも不確かです。

なので村で自分が信頼できる人に訊いてみて、その人の電話番号を聞き、先に連絡を入れておいてもらって、ようやく私から連絡して来てもらう、という手順を踏むことになります。

一事が万事こんな感じです。フアネというアマゾンちまきの名人の女性に注文する、なんて単純なことでも、○○さんからの紹介です、って言わないと不審がられてしまう。言葉ができるできないに関係なく、よそ者を自動的に警戒するセンサーがついているみたいです。

逆に言うと、一度関係ができてしまうと強い、とも言えます。

ここにきて、つくづく「人間は一人では生きていけないな」ということを感じます。私が住み着いてからずっと助けてくれている友人たちには感謝しかありません。村の長老の皆さんから受けたアドバイスの数々も本当にありがたかった。私は博物館のバックアップがあったので人間関係が作りやすかったから良かったですが、本当に一人でやってくると1か月で音をあげていたでしょう。これもチャチャポヤの神さまのお導きかもしれないですね。

不便なこともたくさんありますが、その多くはどうにかなることで、その不便さを越えた自然環境の素晴らしさ、人々の気持ちの穏やかさ、小鳥や動物たちの愛らしさ、気候の過ごしやすさがあることは明記したいと思います。

村人たちと話していると、よく花や小鳥の美しさ、石の形の面白さ、お日柄のことが話題に上ります。道を歩いていても、口笛を吹いたり鼻歌を歌ったり、楽しそうに歩いていく人たちに出会います。

小さなものの美しさ、面白さに目を留め、それを楽しむ。ペルーのど田舎にはこうした心豊かな人々が住んでいます。

読んで下さってありがとうございました!

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