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セーラー服を愛す

セーラー服、好きですか?私は大好き。

なんなんだろうね、この感情は。私は結局1度もセーラー服が制服だったことがないから、そのせいなのかなあ。前から見ると三角形の、後ろから見ると四角形の、肩にかかる大きな襟。それだけなのになんで。とても大きな感情がそこにあるんだよ、執着と呼んでもいい。

日本でセーラーといえば、女子学生の制服としてのイメージ、それからなんとなくマリンなテイスト。まあ海軍の制服ってこと?とかざっくり思っていたのですが。この前「セーラー服と女学生展」に行って多少知識を得ました。
そもそもセーラーが日本に入ってきたきっかけは、欧米で単にファッションとして流行していたから。イギリスかなんかの王子かなんか(うろ覚え)が着たり女優が着たりしてブームだったんだって。洋服としてのブームが先で、海軍の制服に採用されたのはその後らしい。
日本でも子ども服などとして流行し、ちょうどそのころ洋風の女生徒制服を考えていた時期だったのでうっかり取り入れられた。そしたら、すごい、いい感じだった!
日本でもはじめそうだったように欧米ではセーラーは結局子どもの服として定着した。なぜなら、あの可愛らしい、幼い雰囲気は欧米の大人っぽい少女たちにはイマイチ似合わなかったから。でも日本の少女は彼女らよりずっと幼く、そう、セーラー服があまりにも似合ってしまったのです。紺を基調にした色合いも日本人の優しい黒髪と黄色みの肌にぴったり。また、セーラー服のずん胴なフォルムは和服を着なれていたあの頃の少女たちとしても取っつきやすかった。作るのも直線的で意外と簡単だったり。
という感じで色々な偶然が重なり、セーラー服は日本の女学生の象徴になったってさ。間違ってたらごめん。そもそも制服文化はもはや日本のカルチャーであるとかいう説明もあったしセーラー服にまつわる展示も色々あって面白かったので、まだやってるので(2018/5/29現在)ぜひどうぞ。上野の弥生美術館です。

話は戻りますけど、襟がついている服ってきちんとしているというかフォーマルというかそんなイメージがありますよね。運動するときには邪魔だし。その中でも大きな襟は幼いイメージ。丸くて白くてフリル付きなんて、バブバブって感じ。
そんな襟の中でもセーラーは特別だと思うの。大きいので幼い感じあるけど直線的なのでそこまででもないし、色も暗いことが多くて、だけどリボンが付いたり可愛くて。かっちりした雰囲気はもちろん、ライン入りなんてトラッドな感じで、けれど首もとは普通の襟よりすっきりとして堅苦しくない。

セーラー服と言っても色々あってどれもすっごく可愛いけど、一番好きなのはやっぱり重々しい紺の生地に白のラインが入って、えんじ色のつやっとしたリボン、かな。プリーツスカートは長めで、微妙な丈の白い靴下をきちんと履いてほしい。ああでも、夏の爽やかな白セーラーも捨てがたいしミニスカートにハイソックスもいい。リボンじゃなくてネクタイみたいなやつとか、知的なグレーとか、やっぱ黒ってのもいいなあ……。

日本ではもはや普遍的な少女のイメージとなったセーラー服は多くの作品に描かれ、どんどん普遍的になっていく。あらゆる少女たちのきらめきがセーラー服というものに価値を付加し続ける。そして実際の制服としてはかなり少なくなっているセーラー服は、いつか概念となって日本の上を飛び回るかもしれない(?)。

私はセーラー服が大好きで、普段着でセーラーカラーが取り入れられているものなんかを見つけると、買って、着ている。セーラーのワンピース、セーラーのブラウス、もちろん可愛い。でもどうしようもない気持ちにもなる。自分がセーラー服に執着していることを感じて。私はいつまでこの気持ちに囚われ続けるんだろう。つまりはさ、

ああ、いつまでも少女でいたいなあ……。

そういうことです。21歳モラトリアム満喫中(あと少し?!)の私がまだ少女なのかとっくに少女じゃないのか、それすらも分かりませんが、いつの日かセーラー服を着たくなくなるときが来るまでは少女でありたいと願うくらい許してね。

とにかくこの夏はお気に入りのセーラーカラーのワンピースを着て海へ行きたいし、制服ディズニーだって誘ってくれていいんだからね。

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