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「夜に駆ける」の歌詞について言いたいことがある

めちゃ流行ってるらしいYOASOBIの「夜に駆ける」、この曲が音楽特番でToshiさんに歌われていたり居酒屋で流れていたりするとつい、こんなに暗い曲がよく流行ったなあ(あるいはこんなに暗い曲が流行る2020年よ…)と思ってしまう。

いや、この曲の歌詞、すなわちストーリー、ものすごく暗いと思うんですよね。

騒がしい日々に 笑えない君に
思いつく限り眩しい明日を
明けない夜に落ちてゆく前に
僕の手を掴んでほら

1番サビまでの展開はわかりやすいし、もしかしたらよくあるフィクション。屋上でフェンスの向こう側に落ちていきかけた「君」を救いたい「僕」。

忘れてしまいたくて 閉じ込めた日々も
抱きしめた温もりで溶かすから
怖くないよ いつか日が昇るまで 二人でいよう

ここまでだったらいい話ダナーで終われるんだけど物語はまだまだ続く。2番の急展開を聴くたびに私は「死にたみ」を抱えた「君」というキャラクターのリアリティを、同じように死にたみのそばにいるときの自分と重ねながらどこか遠く懐かしむように感じることができる。同時になにもできなくてわからなくてイラついて疲れていく「僕」の感情もすごくわかる、気がする。

信じていたいけど信じれないこと
そんなのどうしたってきっと
これからだっていくつもあって
そのたんび怒って泣いていくの

最もわかるなあ、になるのはここ。落ち込む君を励ましたい、元気になってほしい、というささやかな親切は、何度励ましても何度でも絶望する「君」によって疲弊する。するとつい、思ってしまう。あるいは口に出してしまうこともあるだろう。
そんな些細なことでいちいち落ち込んでいても、仕方ないよ。世の中は理不尽なものだよ。……みたいなことをね。

あくまで君のために言っていることであって、正論で、いつかは僕の言うことが正しいってわかってほしくて。しかしこのあとの歌詞では、「君」は「僕」の手を振り払う。なんで振り払われたのか「僕」にはわからなくて…そのままこの曲は落ちサビに向かうんだけど、ちょっと一時停止。
ほかにも色々と解釈はあるだろうけど(というかここまで書き連ねてきたことも全て私の勝手な読みだけど)、「君」が手を振り払ったのは、そしてこのお話があのラストに向かう原因は、やっぱり、さっき太字にした部分。
すなわち、そんな些細なことでいちいち落ち込んでいても、仕方ないよ。世の中は理不尽なものだよ……的なお説教が極めつけだったんじゃないかと思う。なぜならそんなこと、1番わかってるのは自分だから。
この世の中には信じられないことがどうしたっていくつもあって、これから生きていく中で避けては通れなくて、そのたびに怒って泣いて絶望してしまうとしたら。何度も何度もこんなにつらい思いをしなければならないのならば、あーあ、死んでしまいたいな。って思ってる、んじゃないかなあ?
ひとつの絶望を乗り越えるだけなら、誰かに手を取って貰えれば、できるかもしれない。乗り越えなくたって、逃げたっていいし、やり過ごしたっていい。でも、常に絶望と隣り合わせの人生が見通せてしまうならば、死ぬことだけが答えのように見えてくる。先が見えない「死にたみ」もあるけど、先が見えている(と思い込んでいる)「死にたみ」もあって、この曲の「君」はきっと後者なんじゃないかと、思いながら聴いている。

「終わりにしたい」だなんてさ
釣られて言葉にした時 君は初めて笑った

どれだけ抱きしめても、疲れきるまで明るい未来を信じても届かなかったけど、「僕」が同じ「死にたみ」を理解した瞬間、「君」はようやく笑うのだ。こう書くと「君」がすごい悪人っぽいけど、たぶんそうじゃなくて、はじめからずっと、わかってほしかっただけなのだと思う。自分に見えている絶望を、本当の意味でわかってくれなきゃ、どんな言葉も的外れに決まってる。ああ、明るい未来なんてないんだ、それなら生きていくことをやめたいな、という気持ちを、「僕」はきっとはじめて理解したんだろう。
つまり今までどうしたってすれ違っていた二人が、やっと気持ちを通じ合わせた…という風にとれば、ラブソングとしてはハッピーエンド。そのまま駆け抜けて、終わる。

この曲のラストで結局二人が飛び降りたのか、というのは解釈が1番分かれるところだとは思う。え、そうだよね?! いやMVとか原作小説とかがあるからオチはオチとして決まっちゃってるのかもしれないけど、曲だけで聴くならば、最後は決まっていてほしくないなあというワガママ。だってそれで飛び降りて終わりって。「死にたみ」に逆らわず終わるって、それこそ聴いてるほうが暗い気持ちになる。さまざまな背景は無視して、歌詞というフィクションの中から、私が希望を見出しても構わないかな?

繋いだ手を離さないでよ
二人今 夜に駆け出してく

この歌詞における「夜」は絶望の象徴であり、「死にたみ」を抱えたままの明けない夜である。「夜に駆ける」というタイトルを精一杯ポジティブに受け取るとすれば、絶望の中をそれでも走る、それでも生き抜く、というのはどうだろう。
「君」だって、きっとそうやって生きてきた。フェンスの向こう側にたどり着くその瞬間までは、真っ暗な中で泣いたりしながら、それでもひとりで生き抜いてきたのじゃないかな? そして疲れ果てて、屋上に立ったそのときに「僕」と出会った。
一人が二人になっても、それだけじゃやっぱり朝はこなかったけど、夜の中だって手は繋げる。手を繋いで泣きながら走り抜いて、疲れて、それでも走って、もしかしたらずっとは一緒にいられなくて互いに違う人の手をとることも、再びひとりで走らなきゃいけないこともあるかもしれなくて。
そしてふと気付いたら朝が来ていて拍子抜けするような、そんな物語だったらいい。

実際のところ、本当の意味で「死にたみ」の絶望から抜け出すのは無意識でないといけなくて、きっかけも理由もないんだと思う。抜け出せたから偉いとかすごいとかそういうことでもなくて、いつぶり返してもおかしくなくて、ていうかただの生存バイアスなんだけど、それでも。「君」と「僕」が、別になんとなくでいいから、つらいことばかりでもたまには笑えることとかある感じで、生きていてほしいと思うのでした。おわり。

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