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友だちがいなかったらとっくに死んでた

『ハリーポッターと呪いの子』を一気読みした後に、タイトルの通りのことを思って、サイゼリヤでひとりでロゼを飲んで酔っ払っていたのでそのまま脳直でTwitterにつぶやいたんですけど、もうちょっとちゃんと書こうかなと思って。なお、以後の文章では『呪いの子』について一切触れませんので未読の方もご安心あれ。

高校生が終わるくらいから薄々感じていて、今年晴れて社会人になり、地元をちょぴっと離れて暮らしたり働いたりしてみて、やっぱりそうだなーと思ったのは「もうこの人生、自作自演じゃんね」ということ。

私は自由な人間だ、と思う。
自由であることは不自由であることより幸福であるように見えがちだが、実際のところ自由であるとは不自由ではないというだけで、逆に不自由であるとは自由でないというだけだ。もっと言えば、自由であるということに囚われているのならばそれを不自由と呼べるかもしれなくて…云々。
えーと、私は自分のことを比較的自由な人間だと思っている、ということにして話を進める、とりあえず。

私は好きなものを買うし、好きなものを食べるし、好きな服を着るし、泣きたい時は泣くし嘘をつきたい時は嘘をつくし暑いときはクーラーをつける。自由でしょ?
サイゼリヤでひとりで2000円使っても、ゴスロリで地元を歩いても、全くモテなくて23年間彼氏がいなくても、全身脱毛とかしてなくても、なんならたまにお風呂入ってない日があっても、そんな大した世間からの圧力なんて感じたことないし、幸運なことに、まわりにも私に聞こえるようにとやかく言ってくる人はいない。うーん、もしかして私が同調圧力とか陰口にひどく鈍感で、上っ面を繕うのがうまくて、都合の悪いことはそれとなく忘れてるだけな気もするけど、そういう能力も環境も全部込み込みで、わたしはだいたい自由に生きている。どうもありがとうございます。

さっき言った通り自由であることは別にイコールで幸福なことではないけど、自由だとわりと楽しいことが多い。楽しいのは、うれしい、うん。

いやいや自由ゆーてもね、社会人になって、そりゃ自由だけではいられないこともあってストレス溜まっちゃってそれでなんか久々にnote書いてる…というわけでは、ないんですね、これが。ここからがちょっと複雑かもしれない。
例えば仕事で嫌なことがあったとき、わたしには、仕事を辞める自由があるわけです。別に誰からも辞めるなとか言われてないし、1年目で辞めたから…みたいなことを気にするような人間ではない。ただし、仕事辞めて収入がなくなったら、今の家を引き払わないといけないかもしれないし、新しい職を探さなきゃいけないかもしれないなあみたいなことを考えて、それはめんどくさいなあとか思って、仕事を辞めないという自由選択をしている。ちゃんと自由があって自分で納得して選んだ上で、でもやっぱなんか嫌なことあって落ち込んだり、辞めないくせに辞めたいとか思ったりする。ね、これめっちゃ「自作自演」じゃないですか?一人暮らしの虚無、ここにありけりです。

コロナで人に会えないし非日常なイベントもない、みたいなことも手伝って、仕事してお金稼いで税金払って食材買ってご飯作って食べて家賃払って光熱費と通信費払って余ったお金と時間で欲しいもの買ってやりたいことやって、という生活を自分ひとりが自分ひとりのためにひたすら繰り返しているのがありありと自覚できて、いやあと何十年もこれやるの?って思っちゃった。

だから、自由のこと大好きだけど、わたし自由と共には行けないな、って。きっと自由と共にさえあればどこまででも行けるっていうタイプの人もいるんだと思うんですけど、わたしはそうじゃないんだろうな〜と分かった。

じゃあ、不自由が必要だ。不自由はどこにある?不自由とは、他人との関わりである。そりゃそうだ。あらゆる他人は自分の思い通りにならない。でも、わたし自由が取り柄だから、他人に自由を奪われたら、わたしがわたしではなくなってしまうし、楽しくなくなってしまう。私は私のこと大好きなので、それは自作自演の人生とか差し置いても1番つらかったりする。無為に自由な楽しい時間がなくなるくらいなら、自作自演でもいいからひとりでいさせてくれって思う。

だからーー話はもうまもなく終わるんだけど、友だちって、すごくない?私を私の好きな私のままでいさせてくれて、互いに不自由な他人として、それぞれの自由を侵食しながら、それが楽しくて嬉しくて笑っていられる。これってすごい。私に必要なのはいつも友だちだった。ていうかこんな思考回路の私が今までなんとかやってこられたのは、友だちがいたからだ。私の唯一の自慢は素敵な友だちがいることだけど、素敵な友だちがいない私というのは存在し得ないのだからびっくりだ。

ちなみに私が友だちと呼ぶのはつまり、私を私のままでいさせてくれて、それぞれの自由を侵食しながら、それが楽しくて嬉しくて笑っていられる人すべてで、上下関係とか年齢とかはあんまり関係なくそういう気持ちで一緒にいられて、一緒にいてくれる人のこと勝手に友だちと思ってる。てへ。

私は友だちがいなかったらとっくに死んでたから、私の友だちは存在してるだけで命の恩人。みんながほどよい自由とほどよい不自由の中で楽しく生きてくれればいいなと願う。つらいときは、恩返ししたいから、何か私にできることがあれば言ってね。いつもありがと。

おわり!

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