又吉直樹著「劇場」本・映画感想と考察(或いは松岡茉優について)

 お笑いコンビ「ピース」の又吉直樹が「火花」で芥川賞を取ったのは、2015年だから今から5年前になる。当時話題の本であり、全文掲載されている文藝春秋を買ってマクドナルドで読んだ記憶がある。

 落ち着いた筆致の文体で読みやすく作家としての又吉直樹のファンになった。あまりわかってもらえないが、読みやすいと感じさせてくれる作家は貴重な存在だ。その作家は知らない世界や知識・発想を受け取りやすく提供してくれるアンテナになる。見つけたら、放してはいけない。

さて、「劇場」はそんな彼の2作目。恋愛ものだと聞いて食指が動かなかったがこの度のコロナショックで4月に発表予定だった劇場版が異例のAmazonプライムと劇場同時公開となり、病気休職中の時間も手伝って公開翌日に視聴した。

 映画版の概要

夢を追う生活能力のない劇作家(山崎賢人)と彼を支える恋人(松岡茉優)の7年間を劇作家の視点から描いた恋愛映画。ただ、視点人物である劇作家の心の声は随所にモノローグとして出てくるものの、恋人については一切出てこず、何を考えて行動しているのかは演者たる松岡茉優の台詞以外の演技から推測するほかない仕様。

 感想

結論から言うと松岡茉優の演技にやられた映画だった。とにかく松岡茉優の演技がすさまじい。恋人の劇作家をあくまで信じる態度、劇作家の肥大化したプライドを守ってあげようとする気遣い、身勝手な劇作家への献身的な愛情表現。柔らかな所作、泣く演技、笑う演技、ふざける様子、どれをとっても完璧で劇中の恋人役を演じきっていた。

 恋人役松岡茉優

 心を強く揺さぶる松岡茉優演ずる恋人は本の中ではどう描かれているのか疑問が残った。知りたくて原作を映画の後すぐに読んだ。やはり読みやすくて映画を見た次の日には読み終わった。映画との相違点の一つは劇作家の演劇関係の実績や持論の部分が映画版だとほぼ削られてなくなっているところ。逆に映画版にはあった劇作家の浮気をにおわせるシーンは原作にはない。このため劇作家は努力している部分を削られ、浮気を追加されて原作<<<映画ぐらいクズとして描かれていた。

 一方で、恋人についても原作では最初の公演に出演して以降、自分から女優を降りたことになっていたが、映画版では劇作家が周囲から評価される恋人に嫉妬してその後、起用しなかったことになっており、原作と映画でその後、バイトに明け暮れることになる原因が変わったため、これも原作<<<映画ぐらい恋人が可哀そうに描かれていた。

 ただ、原作・映画ともに劇作家視点で恋人の思考については言及がない点は全く同じであった。つまり、恋人が何を考えているかは大きな余白になっており、恋人の台詞や振る舞いをヒントとして読者の解釈にゆだねられていた。

 映画版で余白を埋めたのは誰?…と思いnet上にupされている舞台あいさつや監督・演者・原作者のインタビューも確認した。監督曰く「(松岡茉優は)役を作りこんでから現場に来る」「最初は指示していたが、途中から(松岡茉優に)どうしたい?と聞くようになった」「演技について役者>監督になっていたし、松岡茉優の言うことが自分の案より正しいと感じた」「監督として負け続けていた」という趣旨のコメントを残してた。

 余白を埋めたのは松岡茉優自身だった。恋人役の松岡茉優は細部に至るまで緻密に作りこみ原作のイメージそのまま(筆者にとっては原作以上)に具体化して演じていたのだった。あまりの松岡茉優の恋人演技にクズ劇作家役の山﨑賢人を酷評するレビューも散見されるが、山﨑賢人の劇作家役はモノローグもあり恋人役に比べ余白が少ないし比べるのは酷だろう。

 二目俳優でありパーソナルな面ではモテるだろう山﨑賢人はクズを演じるにあたり「自分の個性を消して演技した」という趣旨のコメントを残しているし、監督も「山﨑賢人は役作りを終えて現場に来る松岡茉優に合わせて演技していた」という趣旨の話をしている。映画版で松岡茉優が映えるのは当然の成り行きだったのかもしれない。

 只、それも松岡茉優の驚異的な演技があって初めて成立する話でこうなると脱帽である。最初に感じた「なんでこんなに完璧なんだ…」という疑問には一応の答えを得た。無論、筆者はただの素人なのでこの先にきっとある役者さんの演技論や役作り論は門外漢である。ただ、松岡茉優が神芝居をやってのけた、というところまでが理解及ぶ限界なので記述はここまでとする。

 あとがき

 又吉直樹には「人間」という3作目の近著がある。松岡茉優は「万引き家族」「蜂蜜と遠雷」「ひとよ」などたくさんの出演作がある。作家同様、良いと思える役者も貴重な存在だ。彼女をきっかけに様々な作品世界に触れるきっかけにしよう。

 ただ、乱文を連ねてしまったのでここまで読んでくださった方はお気づきかと思うが、正直に言えば筆者は書かずにはいられなかったのだ。筆者の人生に松岡茉優演じる恋人のような存在はいなかったし、筆者は昔から自分の中にない美しいものを目の当たりにすると一切共通点や共感する部分が見いだせずによるべないオロオロとした気持ちになる癖を持っている。これは誰しももちあわせている心理なのかはわからないが、今も気持ちを静められていない。その気持ちを吐き出すためにここまでの文章が必要だったのだ。

 もしかしたら、同様の心理を抱く人がいるかもしれないので、書く以外にもう一つ静める方法を最後に紹介しておく。情報をたくさん集めて相対化・客観視できるようにすることだ。神品のような作品だけを見ていると目が潰れるような思いがする。この面倒くさい心理を持っている人が何人いるか全く想像もつかないが、筆者はこの気持ちをたくさんの作品に触れる原動力にしたい。

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