日本一周→マラソン大会への道(前編)

 始めて10年目の取り組みにマラソンがある。日記と同時期に始めたから、こちらも丸10年にはもう何か月かある。

 始めた当初は1km走りとおすと翌日は寝込んでいた。運動すると持病の喘息発作も起きるので、およそ体力と呼べるものはなかった。只ある時、「気力=体力だよ」と聞いて一念発起したのだった。目的はうつを治すためだった。

 最初「どんなにスローペースでもいいから限界まで走ろう」とか「走れなくなっても歩いて目的地まで行こう」とか「行きは走って帰りは歩こう」とかたくさん逃げ道を作ってとにかく走っていた。

 それまで走った経験がないので体は全然言うことをきかない。足にマメはできるし、股ずれで血は出るし、揺さぶられることに慣れていない筋肉や脂肪や骨は悲鳴のような形容しがたい痛みを訴えた。体が虐められて泣いている——というのが実感だった。

 疲労感も手伝うと思考は悪い方へ悪い方へ進む。正直、短期的にはうつは悪化していたと思う。でもそれまでの自分から脱皮したくてとにかく続けた。マメは48時間で新しい皮膚ができるまで剥かずに水抜きだけ、股ずれは湿布のように面積の大きいカットバンを張り付けて患部保護、体の悲鳴はその日のノルマが終わるまで無視。そうやって春を過ぎて夏を越えて秋の後に冬が来た。

 私は一日10km走れるようになっていた。運動の結果として生じる体温上昇を抑えることができるから長距離走は気温の低い冬がシーズンである。走りやすさに驚いて調べたら出てきた情報だった。それまで「スポーツといえば夏!」などと単純に信じていた。

 こうなると体にも変化が起きる。筋肉のなかった太ももの裏側(ハムストリングス)にも筋肉がつき、アキレス腱は太くなった。自分の足がいつの間にか見たことがない形になっていくのは面白かった。

 2年目の冬にはハーフマラソンの距離を休まず走れるようになり、こうなると地図を広げて自転車で下見をして、街から街へまたは海や山やテーマパークを蓄えた体力を大いに使って自分の足で探訪できるのが楽しくて仕方がなかった。普段降りない駅から駅へ走っては、坂道や様々なお店など土地に詳しくなっていった。

 走るときはいつもテーピングや補給用のペットボトルと共にGPS機能付きの携帯電話を持っていたから、累積データをたどると始めて2年半で累計2600kmを越える距離を走っていた。それがとても誇らしくてうつでどん底の時でも周囲に自分から話していた。(続く)

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