環境問題はなぜビジネスにならないか
なぜ世界中で環境破壊を止めようとか、自然環境を保護しようと言っているのに、なかなかそれが進まないのか?
僕はずっと不思議に思っていた。
就活でも、僕は環境破壊が進む現実に違和感を覚えています、それを食い止めてこれ以上地球を汚したくない、と熱苦しく語っていた。
だが、それを語っている自分にも違和感を覚えた瞬間があった。
僕よりも熱心に語っている人は星の数ほどいるのに、どうして実現しないのか?
ただ環境保護だ、と言って何ができるのか?
こんなことを言うのはただの偽善者ではないか?
これらの問いかけに答えようとしてもがいていると、答えらしきものに行きついた。
それは、環境保護に価値がないから。
語弊が生まれるかもしれない。
環境保護や保全は"人間にとって"価値がないということである。
多くの人はいやそんなことはないと思うだろう。
しかし、本当にそうだろうか?
僕らは資本主義のもとに生活していて、環境が良くなることで生活が豊かになると言えるだろうか。
自然界に住む生き物たちから見れば、自然を勝手に破壊する人間がそのような行動を止めることは間違いなくプラスである。
ただ、人間界から見れば人類の進歩を遅らせる行動でしかないため、環境保護をするメリットは少ない。
いま生きている人類は100年以内にはほぼ全員いなくなるし、自分が豊かに生きていればそれで良いと考える人が大半なのでやる意味がない。
メリットを考えてみてもほとんどないのが現状だ。
CO2を削減したところで僕らがメリットを感じられる変化はない。まして、CO2が環境破壊をしているという裏付けすら確証されていないため、確実に得られるメリットはないように思える。
果たして、そんなやる意味があるかどうかという行為に人は価値を見出すかということなのである。
人類が自分たちのメリットがないことに対して、価値を見出してお金を払うかと言えば、まず払わない。
環境問題に価値がないと思うのは、僕らが資本主義の世界に生きており、人間の世界に生きているからである。
資本主義の限界を知り、生き物全体の視点で物事を見れる人は、環境問題に取り組むことに価値を見出している。
この違いなのだ。
その中で、世界的にSDGsを推進しようとしているのは本当に素晴らしいことだと思う。
そのような優れた視点を持った人々が率先し、それらを進めていることは何よりもの救いである。
ただ、世界中の人々がお金儲け優先ではなく、社会問題を優先させなければこの問題は解決されない。
いくら自分たちが環境問題に取り組んでも、自分らよりも巨大な会社などの組織が取り組まなければその努力は水の泡である。
この解決法は正直分からない。
でも、若者達がお金という虚像に踊らされず、地球という借り物を守っていかないとと使命感を持つことができれば将来的には快方に向かうはずだ。
僕らの世代で環境問題に価値を見出せる人間がもっともっと増えるように願うばかりだ。
"来た時よりも美しく"
小さい頃に先生から教えられたこの言葉は遠足のためではなく、地球のために教えられた深い言葉なのではないかと思えてならない。
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