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自分を不幸だと思う暇がないくらい、実は恵まれているのかもしれない話。

初めまして、こんにちは。
さくらといいます(*ˊᵕˋ*)

先日、久々にお会いした方とお話しをしている時に「社会に出て理不尽に出会った?」と尋ねられました。

今現在こころが保たなくて休職中なのですが、それを鑑みれば理不尽に出会っていたのかもしれません。それでも私の答えは「出会わなかった気がします。」でした。

よく、ジェットコースターみたいな人生だよね、と友人に形容されることがあります。起きた出来事を「少し悲しかったんだ」と話すと、「理不尽だ!」と友達が怒ってくれたり。ですから、きっと理不尽には出会っているのだとは思います。

でも、もし理不尽な事を言われたのであればその理不尽に怒る前に、その発言をした人をまずは気にかけるべきだと私は思っています。きっとその人は相手を気遣える程余裕が無い可能性が高いからです。「助けて」と、言っているかもしれないから。杞憂であれば杞憂で良いし、私自身内省すべきところなんてきっとたくさんある。

だから、私は理不尽にはまだ出会っていないと思っています。まだ22なので想像を超える理不尽に今後出会うかもしれませんが笑

その時は友達とたくさん笑った後に「少し悲しかったんだ。」と、お話をしたいなぁ。

本題にはいります笑
ジェットコースターみたいな人生だったから、10代の頃は自分自身を悲観したり、なんて不幸なんだろうと哀れんだこともありました。
そんな時、ふと自分の中にぽっかりと穴が空く出来事がありました。今までの人生の中であればあれが唯一理不尽に近かったと思います。

その時その人に言われたのは「今のあなたは悪い方に変わった、私はあなたみたいにならずに生きていこうと思う。」という旨のものです。※大分オブラートに包んでいます。

私にとって、彼女は大切な友人でした。

でも、彼女にとってはそうでは無かった。
その一連の流れを仲の良い友人達に相談すると、相変わらず怒ってくれるんです。

いつも心配してくれて、お互いを尊敬できて、良くないところは良くないよと教えてくれて、会うとやっぱり楽しい。この出来事のお陰で、そんな友人がいるということに改めて気がつく事が出来たし、なんて恵まれているんだろうとあたたかさで胸が満たされたんです。

だから、私は今も胸を張って「私は幸せ者だ。」と言うことが出来るし、そう言わせてくれる友人達に感謝をし続けたいと、そう思うのです。

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