「嫌われる勇気」を読んで

私の趣味はブログを書くこと。

大好きな趣味であり、ちょっとした生きがいでもあり、生活に無くてはならないものです。

そうだったはずなのですが、最近ブログを自由に書くことができなくなり、息苦しさを感じていました。その理由ははっきりしていて、他人にブログがどう評価されているかが気になるようになったからです。

ブログを書き始めたころは、純粋に自分のためだけに記録として書いていました。そこから誰かのためになるようなブログにしようと思いたち、だんだんと読者が増えて、承認欲求も満たされ、さらにブログが楽しくなりました。

しかし、多くの人に読んでもらえるようになると、ネガティブな反応も耳に届くようになります。

私は八方美人な性格ですから、ネガティブな反応を耳にするととても落ち込みます。「誰にも嫌われないようにするにはどうしたらいいのか」。考えないようにしていても頭のどこかで意識してしまい、いつのまにかブログを書く時に自由に筆を進めることができなくなっていました。謎の義務感にかられてブログを書くけれど、どうも楽しくない。自分の書いた記事を好きになれない。なんだか、しんどい…。

あれ、これはヤバイぞ、と感じて読んでみることにしたのが、この『嫌われる勇気』です。おそらく、今の私に足りていないのは嫌われる勇気だと思ったから。

一回読了した後は分かったような分からないような…だったのですが、メモをとりながら二回目を読み終わり、少しだけ理解できたように思います。そこで、読書の記憶が鮮明なうちに簡単に感想を残しておきたいと思います。

本文中でも触れられていましたが、この『嫌われる勇気』はスティーブン・R・コヴィーの『7つの習慣』とほぼ同じ内容が綴られているように思いました。『7つの習慣』は、ずいぶん昔にカウンセラーの先生に勧められて読んで以来、辛い時に私を救ってくれる本として大切にしています。

『7つの習慣』は、歪んでしまった世界の見方を変えてくれ、人生を生きやすくしてくれるのですが、その分かなり厳しいことが書いてあり難解でもあるので、通常時には戸棚に閉まっています。戸棚に閉まっているうちに歪んだものの見方に逆戻りしてしまって、ふたたび人生に悩んだら思い出してまた戸棚から取り出して読んでみる。私にとってはそんな本です。定期的に読んで振り返ることができれば一番良いのでしょうけど、なんだかちょっと重すぎるんだな。

今回はこの『7つの習慣』が『嫌われる勇気』という本に形を変えて私の前に現れてくれたのだな、という風に受け取りました。実際に読んでみると、最終的に言っていることはほぼ同じなんだけれど『嫌われる勇気』の方がより受け取りやすい形に噛み砕いてあり、読み進めやすく感じました。

『嫌われる勇気』の内容を要約するのはとても難しいし、そもそも正しく理解できたかも分かりません。この本を読んでいる間「この本の文章の一部を切り取って理解したような気になると本質を見誤りそうだ」と強く感じたので。

でも、私が今感じているブログを書く上での不自由さの原因については理解できた気がします。

私は多分「読者全員の期待に応えたい」と思ってしまっていたんです。でも全員の期待にこたえることは不可能だし、それを気にすると自由にブログを綴ることなんてできなくなってしまいます。

私のブログを読んでどう感じるかは読者それぞれに委ねられていて、私にはコントロールすることは不可能な事柄です。自分にコントロールできない問題について考えるのはやめて、読んだ人がどう感じるかは関係なく、私がブログを通じて提供できる価値に意識を集中することにします。自分が誰かに貢献できていると感じられることを大事にして、もっとシンプルに考えることにします。

おそらく、自分のブログの価値を他者からの評価にゆだねてしまっていたのが不自由さを感じる原因です。そうじゃなくて、自分が読者に価値を提供できると信じることをモクモクと書き、私のブログの価値は私が認めてあげればそれでよいのです。

『嫌われる勇気』を読んだことで、少し気持ちが楽になりました。この本に出会えてよかった。

ところで、『嫌われる勇気』の考え方は、夫の転勤で海外生活を始めることになり新しい環境の中で自分の価値について悩む駐在妻にこそ必要な考え方のように思いました。その視点でもう一度感想を書いてみたいな。

また、書けたらこのノートで報告します。

サク

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