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浪人って怖いよね。わかる。⑥完

どうも、昨日はギガ忙しかったので寝てしまいました。sa kuです。

今日で、ひとまず僕の現役時代の話は終わります。あとは2月の2次試験から無事浪人するまでです。

2月

もう、日々緊張してあんまり覚えていません笑

私大専願の友人はどこどこ受かった!とか盛り上がっててうらやましかったです。

あと、塾の自習室でほぼ毎日見てた人たちが私大の入試が終わっていなくなっていくのは少し寂しかったように思いました。

浪人した今なら、絶対にたくさん私大を受けて現役で進学するのを選んだと思いますが、受験のストレスで頭がおかしくなっていたのかわかりませんが、国立専願で挑んでしまいました。

国立は2/25に入試が始まり、東大などの一部の大学は26日と合わせて2日間のテストになります。

国立を受ける人の中には地方大に受験のために泊まって行く人も多く、特に僕の高校では北海道大学志望が多くて、たくさんのやつが北海道に飛行機で飛んでいきました。

東北大や、千葉大、琉球大を受けるやつもいて、その時のインスタグラムのストーリーは受験直前とは思えないほど地方の様子が伺えました。

ちなみに、そんな感じでインスタにストーリーを上げてたやつはほとんど浪人しました。

それと同時にそれを見ていた僕も浪人しました。

話がそれましたが、こうして各々で国立の2次試験に備えて最終チェックを進めていたようです。

僕は受験のために前泊する必要はなく、都内での移動だったので、当日までに早寝早起きのルーティンをとにかく続け、体を壊さないようにと労っていました。(そんなことせずに最後まで単語の1つや2つ覚えたほうが良かったです)

こうして迎えた2/25日、

僕は2日間に渡る受験だったため、前もって「1日目で落ち込まない」ということだけを決めて望みました。

過去問は10月から15年分を解き、模試の復習もした。英語に関しては、20年ほどやった気がします。

ここまで努力したのだから受かるはずだ!いや、受かる!と、意気揚々と家を出ました。

家から会場までは1時間。その経路は高校のときとほぼ変わらず、見慣れた風景でした。

こうして会場に到着。

30分前に到着し、早めに席に座る。

後ろの方の席で少し安心した。

「ここで、俺の将来が決まる、、」

そう思っていました。

もうあとは気持ちの問題だと思い、集中力を高めて、世界史の一問一答をやっていました。

ここでは見慣れたもの、もっと言うと見飽きたものを見たほうがいいと思います。とにかく安心します。

そうして試験が開始。

(ほんとに申し訳ないのですが、試験中は問題のことしか考えてなくてなんもおもしろいことないので割愛します)

試験が終了。

1日目で落ち込むこともなく、2日間の激闘を無事に終えることができた。

しかし、ここでスラムダンクで言うと陵南戦のあとの赤木がそうだったように、安心した瞬間に不安が襲ってきました。

あの問題間違えたかも、あれも、あれも間違えたかも。と、途方もなくそんなことが頭を巡っていました。

それでも同じ大学を受けた友達が試験後によるご飯に誘ってくれたのは嬉しかったです。(この友達は慶応にいきました)

みんなが安堵のような、不安のような、混沌とした表情でした。

次の日、前日の激闘から一変。

私大で既に合格を決めていた人や、推薦の人はガンガン遊んでいました。

まだ3月ということもあり、まだ世間でもコロナウイルスの影響はあまり出ていなく、僕も数回遊びに出かけました。

合格発表は2週間後、そわそわしながらも一時の快楽に身を浸して、不安な自分を騙して、ボーリングしたりダーツしたりして遊びました。

そうしているうちに合格発表。

結果はもちろん不合格。

後の開示でわかったのですが、点数はあと8点で合格でした。

結果が出る日は僕は友達と鎌倉に遊びに行ってて、海鮮丼やさんで合格のネット速報に見ました。

受かってるか半々の気持ちだったのですが、落ちたのかわかってからしばらくはかなり悔しかったです。

それを吹き飛ばすかのように鎌倉の海でふざけ倒してびしょ濡れになって帰りました。

親族にも報告。

割と僕がいい線まで来ていることは親も知っていたので、そこまで厳しいことは言われませんでした。父を除いて。

父だけは、絶対に今年から働きに行きなさいと言われました。僕は反抗しようとしましたがもともと決まっていた事でもあり、父の言い分は正しかったのです。

僕はその時、自分が受験すると言った大学に落ちること、それはとても情けないということを知りました。

それに、自分で約束していた落ちたら高卒で働くという現実が目の前に迫ったとき、そんな覚悟もなしに勉強していた自分が不甲斐なかったです。

気づいたら泣いていました。号泣です。泣きじゃくりました。18の男とは思えないほど泣いたと思います。

しかし、泣いたくらいで自分の浪人をさせてほしいという要求が通ることもないわけで、

母と祖父母と父との相談会が3回ほど開かれました。

ここで、自分のやる気をもう一度信じてくれるよう本気で説得しました。

既に崖っぷちどころではなく、崖から落ちていたからです。

しかし、父が浪人を許してくれることはありませんでした。それはこの原稿を書いている現在でもです。

浪人を決めた人の中には、周りが浪人するからという軽い気持ちで始めた人もいるでしょう。しかし、浪人をするからには去年よりも良い成績を残さなくてはなりません。

そのためには、浪人スタートでの本気度を1年間続ける必要があります。

この経験をもとに伝えたいのは、

タイトルにもなっていますが、「浪人って怖い」ということなんです。

試験に落ちるまでは「自分なら受かる」、「自分なら大丈夫だ」と言うような自己暗示がありましたが、試験に落ちたことでそれらは全くの偽物であるとわかってしまうのです。

以前から薄々気づいてはいたのです。自分はひとりでは努力もできないようなやつであると。

6年続けた部活も中途半端に終わり、勉強も始めたのは高3になってから。そんな自分に嫌気が差していたのは紛れもない事実なのです。

でも、そんな情けない事実を認めたくなかった。

受験は残酷です。自分の最も醜い部分を直視しなくてはなりません。

自分の努力でなんとでもなってしまう入試の場では、結果を出せなかったのも自分の努力のせいなのです。自分の弱さを見るのです。直視するのです。

だから「浪人は怖い」のです。


と、ここまで書いてきて今では浪人も5ヶ月目となり、たるんでいた節があるので、自分への戒めということもあり、すこし語気が強くなってしまいました。

もう一度頑張りなおして、今年こそは絶対に受かります。

これで僕の現役時代の話は終わりです。読んでくれている方がだんだん増えてきてとてもうれしく感じています。

ありがとうございました。

それでは

sa ku









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