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国境の街、デリーを歩く 【Play back Shamrock #12】

※ご注意※ 本連載は2020年に経験した出来事を1年後に振り返る趣旨で公開しており、掲載の情報等は2020年当時のものです。また、第10回以降は当初の公開予定よりも大幅に遅れて公開に至りました。

(見出し画像:モニュメントFree Derry Corner)

 2月22日はアイルランドと北アイルランドの国境付近の街、デリー(ロンドンデリー)を訪問した。なお、この街の主要部分はイギリス領北アイルランドに所在している。
 デリーを訪れようと考えたのは言わずもがな、Brexitを受けて国境の街をやはり一度は訪れておこうと考えたからだ。Brexit前に日本の某新聞社がこの街の現状に関する記事を配信しており、それを読んで関心を持ったのがきっかけだった。国境の街の中でもデリーはダブリンから離れたところに位置しているが、かつての紛争を物語るスポットがいくつもあることから最も関心を寄せていた。

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写真:ベルファストからデリーに向かう列車。表示が見にくいが行き先は“Derry - Londonderry”と両名表記になっている

 なお、この街については2つの呼び名が併存していることをご紹介しておきたい。「デリー(Derry)」はアイルランド側の呼び名、「ロンドンデリー(Londonderry)」はイギリス側の呼び名である。出発前に「今回はロンドンデリーに行ってきます」とホストファミリーに話したところ、ホストファーザーから「私たちはロンドンデリーとは呼ばずにデリーと呼ぶんだ」と説明を受けた。
 イギリスによる支配の象徴とも言える「ロンドン」という言葉を冠した地名は、アイルランドの人々にとっては今もなおデリケートなのだということを出発前に悟ることになる。アイルランドを拠点にしていた人間として、今回はデリーと呼ぶことにしたい。
 ベルファストからデリーに向かう列車に関しては、ウェブサイト上での検索結果、駅や車内でのアナウンス、車両の行き先表示の全てで、”Derry - Londonderry”と双方の呼び名を並列で伝える形式になっていた。

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写真:ベルファストからデリーに向かう車窓風景

 北アイルランド訪問2回目の今回は、コストパフォーマンスの問題からダブリン・ベルファスト間はバスで移動した。ダブリンからデリーまで向かうバスもあったようだが、長時間乗りっぱなしになることも考慮しベルファストで列車に乗り換えることにした。
 ダブリンからベルファストまで2時間半、ベルファストからデリーまでは2時間少々、片道合計5時間以上かかる長旅だ(ちなみに来週末もほぼ同じ行程で旅をすることになる)。ただし私は列車旅が苦にはならない質なので、それほど退屈な旅ではなかった。

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写真:街の中心部まで歩いて向かう ※画像の一部を加工しています

 デリーの駅は街の中心部からは若干離れたところに位置している。直線距離ではさほど離れてはいないが、道のりにすると1kmほどある。どうやら駅から中心部のバスセンターまで、列車の到着に合わせて無料のバスが出ていたらしいのだが、駅で少々時間を使ってしまったがために乗り遅れてしまった。冷たい風が吹く中、川を渡り歩いて中心部まで向かった。
 デリーは北アイルランドの主要都市の1つだが、中心都市ベルファストに比べるとコンパクトで落ち着いた街だという印象を受けた。

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写真:街の中心部を分け隔てていた壁

 中心部に向けて歩みを進めて見えてきたのは、万里の長城にも似た建造物。これが何かと言えば、かつて居住区域を分け隔てていたDerry Wallsだ。2月1日の訪問時の投稿の中でベルファストのPeace Wallを紹介したが、ここにも「壁」が存在した。Peace Wallのように視界をほぼ完全に遮るほどの高さはなく、どちらかといえば城郭にも近く街の風景にも溶け込んではいる。ただし見た目や程度は違えど、ここにも負の遺産が残されていることを見せつけられる形になった。

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写真:Museum of Free Derryの外観 ※画像の一部を加工しています

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写真:壁面のアート

 今回の最も主要な目的地はMuseum of Free Derry(フリーデリー博物館)とその一帯だ。デリーを舞台に繰り広げられてきた対立の歴史を博物館で紹介するとともに、その周辺の建物の壁には紛争を題材にしたアートがいくつも施されている。
 博物館ではデリーで展開されたイギリス統治への抗議活動を物語る史料が数多く展示され、市民権運動にまつわるものなどが目立った。

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写真:落書きによると思われる”IRA”の文字

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写真:モニュメントにも落書きが

 その後は博物館をあとにし近隣を散策した。博物館の周辺には先に紹介した壁面のアートだけでなく、紛争犠牲者のための慰霊碑や、Free Derry Cornerと呼ばれるモニュメントなどがある。ただし壁面のアートのように見る人の心を掴むものがある一方で、残念なものも目についた。落書きによるとみられる過激派組織の略称”IRA”の文字が見受けられたり、本来書かれているものとは異なる文言がモニュメントに落書きされていたりするなど、紛争が決して過去のものにはなりきっていないことが窺われた。
 特にモニュメントに書かれていた文言については、かなり刺激の強い文言だった(画像検索をかけたところこのような文言の書き込みがある画像はほとんど確認できず、比較的最近書かれたものではないかと推測できた)。身の安全が特段脅かされているような体験は訪問中にしなかったが、過去の紛争に思いを致すとやりきれない気持ちになった。

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写真:壁の上を歩きながら分断と平和に想いを致す

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写真:博物館一帯を望む

 滞在の最後はDerry Wallsの上を歩いて街の風景を一望した。壁の上は自由に歩けるようになっており、先ほど訪れた博物館一帯を眺めることができた。

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写真:駅前ではデモ活動が行われていた ※特定の政党への支持を表明するものではありません

 今回の滞在は以上で、再び5時間ほどかけて列車とバスを乗り継いでダブリンまで戻った。またその帰り際、デリーの駅前には横断幕を掲げて集まっている一団がいた。横断幕にはかつての市民権運動の告知ポスターもあしらわれており、アイルランドと北アイルランドの一体性を重んじる政党に関係するものではないかと見てとれた。Brexitから3週間経ったタイミングでの訪問だったためこのようなものに遭遇することはあまり予想していなかったが、この地域の特殊性を最後に再度、認識することになった。

 次の週末は元々の計画から変更が生じて再び北アイルランドを訪問する。とは言っても北アイルランド紛争やBrexit関係ではなく、純粋に観光目的だ。世界遺産のGiant's Causewayや博物館Titanic Belfastを訪れる。

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