私の小説の書き方(ボツ案)

 ようやくクラファン用の「私の小説の書き方」を提出できた。「私の小説の書き方」とは、坂崎が寄稿するSFアンソロジーのクラファンのリターンである。

https://camp-fire.jp/projects/view/544251#main


出した方は真面目で、このボツ案は私としては真面目な執筆環境講座である。すかいらーくよ永遠なれ。

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 よい小説を書く秘訣は、
よき隣人《すかいらーく》をもつことだ。
 Kaoru Sakasaki(2022)

 まとまった時間をとる、という行為が小説を書くときにはどうしても必要だ。たとえば、10分をとびとびで二時間とれたとしてもあまり意味がない。マーベラスでハイパークリエイトな思考を維持するためにはそれなりの余裕が大切である。
 私は寡聞ゆえよくは知らないが、専業作家というのは、現代においてそう多くはないのではないだろうか。ましてや、私のようなアマチュアであればなおさらだ。みな、生活のために別の仕事で金を稼ぎながら、どうにか執筆の時間を捻出しているものだと、私は思っている。そうでない、左団扇でタイピングしている人がいたらぜひお知り合いになりたい。口座番号をお教えする。
 この時間の捻出という作業について、私もたいへんに苦労している。いろいろ考えた結果が、冒頭に掲げた「よい小説=すかいらーく」理論だ。以下、順を追って説明する。
 私はできれば執筆については早朝に行いたいと思っている。もう私も若くはない、徹夜や寝不足は単純に健康に悪い。お肌も胃腸も根性も、夜中になったとたん、昼休み中の役所ぐらい生気が失われてしまう。普段は6時ぐらいに起床するため、2時間確保したいなら、4時の目覚めがベターだ。
 だが、4時に起きるためには、遅くとも前日の10時ぐらいには就寝しなければならない。6時間が私の最低睡眠時間だ。ここで問題になってくるのが子供の存在である。我が家の子供はたいてい9時ぐらいに寝る。残り一時間のうちに私自身も布団に入りたい。余裕だと思うあなたは少々楽観的である。もしくはこんまり氏のように片付けが得意なタイプである。羨ましい。
 たとえば、風呂掃除は終わっているだろうか。皿洗いは終わっているだろうか。洗濯物は畳んであるだろうか。もし明日がゴミの日であれば、ゴミ袋はまとめ終わっているだろうか。持ち帰りの仕事はないだろうか。そこら辺に読みかけの本が転がってないだろうか。明日の朝ごはんの算段はついているだろうか。夫婦のコミュニケーションはとれているだろうか。海は死にますか。山は死にますか。おしえてください。
 楽観的で片付けのできるあなたは、こう思うかもしれない。いやいや、そんなものは子供の寝る前に終わらせておけばよいと。確かにそうだ。それはそうだ。正論だ。ぐうの音も出ない。すみません。でも難しい。難しいのだ。
 第一に、うちの子供は食べるのが遅い。私の帰宅時間もあるので、平日は7時ぐらいが夕飯時になる。すると食べ終わるのは何時になるかというと、8時だ。8時。1時間かかるのだ。私と似ていて、集中力がない。放っておくと、スプーンが宙をさまよい、ご飯粒の数を数えだし、麦茶の表面張力を研究し始める。
 加えて、さあ寝る準備でも…となったときに、謎のプリントがランドセルから発掘されることもある。そういうプリントの締切はたいてい過ぎているか翌日だったりする。他にも、白紙の宿題が出てくれば、一度しまった筆箱を取り出すところからやり直さなければならない。体験してみるとわかるのだが、「子供が一度ランドセルにしまったものを再度取り出す」という作業は、大人が思うほどスムーズにいかないということは、必修単位にしてよいと思う。
 そして無論、大人も完璧とはいかない。何かを思い出すのは、たいてい夜だ。会議の資料を作成していないことを思い出す。一週間前に来た「ご検討をお願いします」のメールに返信していないことを思い出す。洗剤をAmazonで注文し忘れていたことを思い出す。返却期限の過ぎた図書館の読みかけを思い出す。コンロの油汚れを思い出し、いい加減歯ブラシを交換しなければならないことも思い出し、ボディーソープも詰めかえる時期であることも思い出す。そしてそうやって細々した作業を行っている間、子供は黙ってくれない。何かをひっくり返したり、兄弟げんかをしたりする。日常を送るとは、そういうことだ。
 その全てを解決するのがすかいらーくである。
 例えばジョナサンであれば、クーポンを使用すれば、たった税込み329円で、お子様メニューが食べられる。メニューも豊富だ。おにぎりセット、ハンバーグ、パンケーキ、うどん、カレー。野菜もついてくる。そして子供は黙っていても食べてくれる。「カバさんのお口で食べよー」などとご機嫌をとったりする必要はない。勝手に食べるのだ。あまつさえ、「もっと食べたい」などと言うのだ。皿や鍋を洗う必要も、油で汚れたコンロを拭く必要もない。
 しかも、ジョナサンのお子様メニューには、全てにガチャガチャがつく。中身は大したことないプラスチック製の何かだ。指輪とか、蝶とか、よくわからない立体とか。だが子供の目は輝く。コインを入れ、ガチャガチャのハンドルを回し、出てきたカプセルを開ける瞬間は、彼らにとって何物にも代えがたい幸福の時間だ。家に帰ってからも、そのおもちゃで遊んでいる間は静かだ。その隙間に、大人たちは、粛々と日常の細かな作業を片付ければいい。これはガストでも同じだ。バーミヤンはもうちょいがんばれ。
 そうして子供たちを9時に寝かしつけ、全ての必要作業が終わった夜ほど、多幸感に包まれる時間はない。神がすべてを祝福し、好きな音楽なんか聞きながら、何なら読みかけの本のページを手繰る余裕すらある。10時には明かりが消え、安心して私は眠る。すかいらーく万歳。すかいらーくが全てを解決するのだ。もし君がよい小説を書きたいと思うのならば、近所にすかいらーく系列店を持ちたまえ、話はそれからだ。
 そして結局、4 時には起きられない。特に冬の寒い日には。目覚ましは「鳴らしましたけど」みたいな顔をして、朝日が燦々と降り注ぐ。よい小説を書くことは、かように難しい。