痛み

 渋谷にあるNビルは自殺の名所として有名だった。ビルはさほど高くはないのだが、もちろんその屋上から飛び降りれば命はないぐらいの垂直的な高さはもっていた。専門家は、周囲により大きなビルが建ち並んで死角になっていることや、程よい郊外感を挙げていたが、理由はよくわからない。柵は頑丈になり、有刺鉄線が貼られ、こころの電話のビラがそこかしこに貼られるようになっても、自殺者は後を絶たなかった。
 僕の恋人がそこから飛び降りた後、ようやく行政は重い腰を上げて対策に乗り出した。オルタナティブ・スキンを使ったのだ。もちろんビルではない。叩きつけられる側の道路だ。
 ガードレールやブロック塀の代わりに、スキンを使う例は今まで聞いたことがあったが、道路に使用した例は初めてだったので、当時はそこそこ話題になった。
「原因を絶つことは、無力な私たちにはできませんでした」当時の区長はそう言った。「ただ、結果を変えることはできる。痛みを感じた人間たちに、そこで手を差し伸べたい」
 今までの使用例と同じように、スキンは弾力性と自己修復能力を持ち合わせていた。反射的筋収縮も持ち合わせており、落下の瞬間の形状変化(お椀型になることが多い)によって、無傷とまではいかないまでも、少なくとも死にさらされることは極端に少なくなった。
「そこまでして生きたいとは思わないけど」
 それは僕の恋人の口癖だった。新しい技術や医療の先進性が話題になるたびに、シニカルな口調でそう呟くのだった。そんな時に僕は、よく彼女の太ももをつねった。彼女の太ももの内側には、三角形の頂点のような三つのほくろがあり、人生に警句をもたらす蜂よろしく、半分冗談も混ぜて、僕はそこをつねるのだった。彼女はよく笑った。太ももに頭を預け、そんなことをする瞬間が僕は好きだった。今もし彼女が生きていたら、この状況を見て、何と呟くだろう。
 自殺者は少なくなったが、代わりに増えたのが度胸試しをする連中だった。無思慮な若者が多く、どんなに厳重にしても非常階段やらなんやらを使って屋上にのぼり、酒を飲みながら、どちらが先に「ジャンプ」できるかどうか競うのだ。もちろん、スキンは飛び降りた人間の選別は行わない。どんな人間でも、等しく反射的筋収縮によって、優しく包み込む。
 結局、結果は変えられたが状況を変えられなかった行政は、ついにビルを取り壊すことを決めた。それを聞いた僕は、最後にビルの屋上にのぼることにした。
 屋上に来るのは二回目だった。一度目は恋人が死んだ時。風景はその時と変わらなかった。ビルに囲まれ、空も見えず、見下ろすと、そこまで高さが無いように感じられた。暗い夜だった。僕は有刺鉄線も気にせず、柵を乗り越えた。持ってきた黄色い花を一輪投げると、息を吸い、一気にジャンプした。
 スキンは反射的にボウルのようになり、ジャンプした僕をまあるく包み込んだ。幸か不幸か、僕の体は落下による傷はひとつもつかなかった。恋人の気持ちはわかったか、と僕は自分に問いかけたが、わからない、と僕は答えるしかなかった。
 徐々にスキンは元の形に戻り始め、狭い空が近づいてきた。ふと、僕は何か懐かしいものを感じ、自分の足元を見た。そこには何か黒い染みのようなものがついていた。三つの黒い点。つなげば、三角形になる。僕は息をのんだ。
 地上に出ても、僕はしばらくそこに立ち尽くした。それから、このオルタナティブ・スキンに、痛覚はあるのだろうかと、そんなことを、考えた。